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只今満開の桜です。天気もよいし、花見日和です。(´ヘ`;)ビールが美味しい、最高!と言ってます。
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全国土雛展-秋田・山形・兵庫・鹿児島-

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3/31(土)~04/8(日) 全国土雛展-秋田・山形・兵庫・鹿児島-

とても面白いお雛様です。男性がなで肩、女性がいかり肩で首が太いのが特徴です。愛嬌があって好きなお雛様です。みなさん、鶴山公園を廻った後、ぶらりと城東地区を廻ってみてくださいね。
時間:10時30分から18時(最終日は17時) 場所:うき草や ※4月4日(水)は休業問い合わせ:0868-22-8845(うき草や)

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清瀧寺 六十六部 廻国供養と六体地蔵

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清瀧寺仁王門に隣接した東の土手際に、江戸時代の民間信仰を代表する地蔵の石塔や大日如来、六十六部廻国供養等の供養塔がある。
多数現存している大日如来の供養塔については、後述するとして、時折散見される六十六部の廻国供養塔に注目したい。
清瀧寺の供養塔には、「宝永五戌 祈 願主 (梵字)六十六部廻国供養 十一月十八 春教」とある。六十六部とは、俗に六部とも言われ、本来は厨子を背負い、書写した衆生救済の法華経を全国66ヶ国の霊場に一部ずつ納める目的で、諸国の社寺を遍歴して廻る行脚僧のことである。鎌倉時代末期に始まっているが、江戸時代には俗人も行い次第に大衆化した。男女とも白地の木綿の着物に、手甲、甲掛、股引、脚絆といった巡礼姿で鉦を叩き、鈴を鳴らして巡回した。
宝永5年(1708年)といえば、江戸時代半ば、大阪~東海で大地震があり、富士山が大噴火した惨害の翌年であり、春教という行脚僧の心境がしのばれる。(2012.3.21)

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河面 墨池山(ぼくちざん)清瀧寺と仁王門

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 河面にある清瀧寺は、作州きっての古い真言宗のお寺である。(お寺シリーズ、レポート記事
旧「岡山県勝田郡誌」(初版 大正元年)に、「本郡には役の小角夙に来り聖武の朝国分寺を建てられ又行基来り空海来り圓仁来り各寺院を創造す 故に古来巨刹多く宗派は真言を最多とす天台之に亞ぐ」と記述されているように、真言宗の清瀧寺は、まさに、弘法大師(空海)ゆかりの古刹とされている。
 空海が唐の都長安で修行に励んだ寺は、青龍寺であり、ゆかりの寺院名称であるうえに、寺伝によると、平安時代初期の弘仁12年(821年)、嵯峨天皇が弘法大師に命ぜられて建立されたとされている。墨池山というのも、雨乞いの加持祈祷を行った弘法大師が、自らその筆を洗ったという「墨の池」も伝説にちなんでの山号であり、今も伝説の墨池という小池が残されている。
 清瀧寺の往古は、広大な七堂伽藍をようして、多くの僧坊があり、西光寺・真福寺など7カ寺の末寺を持つほど栄えたらしいが、中世戦乱に巻き込まれ、やがて廃絶したと言われている。(2012.3.20)

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2012年3月のイナバ化粧品店内

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2012年3月19日(月)曇りのち晴れ
イナバ化粧品店内の様子です。美咲町から来られていた親子さんです。可愛いぼうやと一緒に、稲葉浩志さんのアルバムや写真を見ておられました。また、イナバママも「春の陽気も外に出れば寒いなぁ~」とおっしゃっておられました。津山はまだまだ寒暖の差は激しいものがあります。今日も店内は名古屋方面から来られたお客様で賑わっていましたよ!
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田熊 八幡宮神事場と南参道口の石碑群

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田熊 八幡宮神事場と南参道口の石碑群(2012.1取材)
 田熊西山集落の南側にある丘陵上の平坦地は、八幡宮の神事場となっている。神事場とは、お御輿のいわゆるお旅所のことである。祭礼のとき、田熊八幡宮を出たお御輿は、左折して西ノ谷集落に入り、南側の神事場参道の坂道をいっきに上って、ここで神事を催した後で、休憩をしている。神事場は、今でこそ片隅に石垣の御輿台を残すのみで、全体が小グランドのようなゲートボール場に様変わりしているが、戦前は、南側の参道と共に松並木の大木に囲まれた草原で、祭礼に多くの幟(のぼり)が立ち並び、神聖さを感じさせられる場所であった。
田熊八幡宮が、あまりにもけわしい坂道を上っていかねばならぬため、足の弱い年寄りや婦人・幼児たちのとって、神事場がお祭りのお参り場所であった。そのため、ここで輿練りなど盛大に神事が行われたことから、大勢の人が集まるようになり、戦前は、出店も数軒構えられるほどに賑わったそうである。

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津山のお雛まつりのレポートです。

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2012年3月4日(日)
津山のひな祭りに行きましたが、どうみても酔っていると思われる方がいらっしゃいました。また、東京かわいいに出てきるようなお目目ぱっちりの雛様、大いに困っている方等など見れば見るほど面白いひな祭りでした。今回は見方を変えると、それぞれ作られた時代のいろんな文化が見えてくるようで面白かったです。
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勝山のお雛まつりのレポートです。

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勝山のおひな様です。2012年3月4日(日)
いつも沢山のお雛様が迎えてくれる勝山のひな祭りです。今年は、小雨が降ってきたのですが、それでも大勢のお客様がお出でになっていました。ことしはこたつの中や、竹の中で迎えてくれたお雛様が印象に残りました。
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新見のお雛様

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2012年3月4日(日)新見のおひな祭りに行ってきました。
ここでは、石にお雛様の絵を描いてある石雛が素朴でした。また、沢山のお雛様が同時にまつられ、お茶の接待もありゆっくりと楽しめました。それに、津国屋 内蔵の内部には、豪華な神棚があり、皆さん思わず見入っていました。今度はゆっくりと散策してみることにします。
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田熊 参道石碑群(3) 神變大菩薩等修験道碑

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田熊 参道石碑群(3) 神變(しんぺん)大菩薩(だいぼさつ)等修験道碑(とうしゅげんどうひ) 
 神事場南の石碑群の中で、目立って大きいのが、東側基壇上の2つの修験道碑である。この石碑は、本来もう少し東に位置していたのが、昭和の初め、家の建築に際して現在地に移されたそうで、文政6年(1823年)のものである。石碑には次のように刻まれている。

(梵字)神變大菩薩
文政癸未年 願主 福島譽次
村々 惣講中

(梵字) 大月如来
(※梵字は○印の中にある) 
 神變大菩薩というのは、修験道の開祖、役行者(役小角)の諡名である。
 寛政11年(1799年)の役小角一千百年御遠忌にあたり、光格天皇から時の聖護院にこの諡号が与えられ、以後、この別名で祀られることが多くなった。(2012.1取材)

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