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成道寺

慶長9年(1604)に津山藩主の森忠政建立したお寺。表門は明治35年各個(1902)に元津山藩庁ならびに北条県庁の門を譲り受けている。元津山藩庁の門だけにあって、普通の仁王門とは違い、頑丈な扉と北側に番士部屋のある厳重な構えになっています。本尊は阿弥陀如来。
津山を代表する俳人西東三鬼の墓碑があるそうです。
https://www.e-tsuyama.com/kankou/check/tera/jyodouzi/index.html

青木山 寂静院 聖徳寺 (小田中)

聖徳寺

青木山 寂静院 聖徳寺の開基

 当山は、和銅7年(714年)6 月に、神融禅師によって開創されたお寺です。昔は現在の苫田郡鏡野町上森原にお寺がありました。 その当時は青木山極楽寺寂静院といいました。その後、慶長の始めに森 忠政公が津山の守護となって築城のみぎり、当時の住職快音上人は現在の地津山市小田 中に移しました。この地は昔聖徳太子が諸国を遊化され立ち寄られた場所である。正保年に、寂静院に一堂を建立し、聖徳太子の像を安置することを人々により 願われた。当時の快映上人は四天王寺に詣で太子を拝見する。孝養の御影を写し帰って、微妙の尊像を彫刻し御頭に仏舎利を納め奉って、当寺の本尊として安置 した。これ以降、聖徳太子の霊地となり。寂静院改め聖徳寺と号した。(情報提供:聖徳寺)

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東海山 本源禅寺 (小田中)

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 寺の前身は神戸(じんご)村にあった南北朝期の安国寺と伝えられています。寛永16年に本源院忠政の御霊屋が完成し、天和3年(1683)忠政の50回忌にちなんで本源寺と改称した。境内の墓地には森氏代々の五輪墓がある。
森家大名墓と御霊屋・表門は津山市指定重要文化財(建造物)。木造森忠政公坐像は津山市指定重要文化財(彫刻)。
2009.1月取材

https://www.e-tsuyama.com/kankou/check/tera/hongenzi/gallery.html

愛染寺

城下町津山の西寺町を東西に走る旧出雲街道に面して建つ愛染寺。もとは金剛寺と称したが、延宝年中に愛染寺に改名。
鐘楼門の両脇に仁王堂が付属している珍しいもので、下層柱を内転びにするなど細かい技術的工夫がされている。
鐘楼門及び仁王堂は、岡山県指定文化財建造物に指定され、仁王像は市指定文化財彫刻にも指定されている。
5月の上旬にはボタンが見頃。
https://www.e-tsuyama.com/kankou/check/tera/aizenzi/index.html

千光寺

枝垂れ桜はすばらしい。
当寺のご開祖さまは、実峰良秀禅師のお弟子であり、本寺瑞景寺(大本山総持寺の御直末)の二世綱菴正宗大和尚(1434年没)である。開創年月日応永年間(1394年~1428年)の頃と思われる。

  • 千光寺

蓮光寺

津山市林田は、中世には林田郷と呼ばれ、この地方の交易、文化の中心として、田中郷、戸川の宿と共に栄えた。林田郷はまた、津山に於ける日蓮宗発祥の地でもあった。
慶長8年、森忠政津山入府の後、慶長15年(1610)本光院日秀は、この地に明星山蓮光寺を開いた。開基檀越は金谷佐大夫夫妻である。
寛文年間となり、徳川幕府の日蓮宗への禁圧、所謂寛文の法難により、寺運は衰微を極めたが、延宝年間、第5世是音院日厳の入寺により再興される。下って天保末年に至り、火魔により本堂を焼失、嘉永元年(1848)第25世浄真院日誠により再建された。
昭和58年11月、第34世智寂院日照は本堂の昭和再建を発願し、檀信徒、法縁314名の浄財により、無縁墓地、納骨堂、歴代住職の墓地の造成、寺域の整備等を併せて施工し、本堂は昭和61年(1986)5月に上棟、同年12月に完成し、昭和62年10月10日に落慶法要を奉行した。
https://www.e-tsuyama.com/kankou/check/jyoto/renkouji/index.html