獅子空山法苑寺松渓庵(文殊堂)(加茂郷88ヶ所霊場第1番札所)
獅子空山法苑寺松渓庵(文殊堂)(加茂郷88ヶ所霊場第1番札所)は、加茂町塔中地内にあり、松渓庵とも言われる禅寺です。建物は木造瓦葺です。本尊は文殊菩薩です。
堂裏の墓地の一角に岡山県指定重要文化財(昭和三十四年三月指定)があり、室町初期から南北朝期の様式をとどめる、石造無縫塔と石造宝篋印塔の二基があります。(2020年1月30日撮影)
獅子空山法苑寺松渓庵(文殊堂)(加茂郷88ヶ所霊場第1番札所)は、加茂町塔中地内にあり、松渓庵とも言われる禅寺です。建物は木造瓦葺です。本尊は文殊菩薩です。
堂裏の墓地の一角に岡山県指定重要文化財(昭和三十四年三月指定)があり、室町初期から南北朝期の様式をとどめる、石造無縫塔と石造宝篋印塔の二基があります。(2020年1月30日撮影)
江戸一目図屏風(岡山県指定重要文化財)文化6年(1809)鍬形蕙斎(紹真)六曲一隻 館蔵
文化6年(1809)、江戸の全景を詳細に描いた景観図で、墨田川東岸の上空から西方の地上を見下ろした鳥観図となっている。
画面中央に江戸城、左に江戸湾、下に墨田川を配置。江戸城の周囲には大名屋敷が並び、外堀の外には入り組んだ街路や蛇行する用水路に沿って、民家や社寺がびっしりと描かれている。また、浅草寺、向島、新吉原など著名な江戸の名所が250ヵ所以上も描き込まれ、さらに、画面上方の遠景には秩父や丹沢の山々がかすむようにあらわされ、その中央には霊峰富士がひときわ大きく描かれている。
当時より、江戸は人口100万を超える世界でも指折りの大都市であった。本図は西洋画の技法を駆使しながら、19世紀初頭の江戸の繁栄を描いた肉筆画として、近世景観図の傑作と評価されている。(2012年3月14日取材時の写真引用)
鍬形蕙斎が生きた江戸
鍬形蕙斎は明和元年(1764)に江戸で生まれました。この頃、江戸では武家文化人・地方出身者・江戸っ子が一丸となって多彩な江戸文化を創出します。鍬形蕙斎が江戸で育った時期には、浮世絵や狂歌が流行し、新興の出版資本蔦屋重三郎や須原屋などが黄表紙・江戸切絵図など多種多様の本を出版しました。
鍬形蕙斎は13歳の頃に浮世絵師北尾重政に入門したと考えられており、15歳の頃にはすでに黄表紙の挿絵を描いています。その後、北尾政美と号して狂歌で有名な大田南畝や蘭学にもくわしい森島中良などとの交流を深めていきました。(文:「江戸一目図屏風実物展示ー鍬形蕙斎と江戸ー」津山藩御抱絵師の鍬形蕙斎より)(2025年4月5日撮影)
2025年1月」4日(土)~2月2日(日)津山郷土博物館ミニ企画展「お正月」が開催中です。
津山藩士が描いたおめでたい雰囲気の画や、津山藩の正月行事に関する古文書など、お正月らしい資料が展示されています。 中でも、見たことのない珍しい指樽は、変わり形酒器の一種で、おめでたい席で用いられ、扁平な箱を立てたようになっており、その上にそそぎ口が突き出しています。是非、一度見てください!そそぐ姿が想像できない不思議な指樽です。(2025年1月7日撮影)
2023年4月23日に津山市西寺町の愛染寺にぼたんの花を観に行ってきました。毎年4月中旬〜5月初旬には境内の牡丹が見頃です。 愛染寺は西寺町を東西に走る旧出雲街道に面しており、鐘楼門の両脇に仁王堂が付属している珍しいもので、森家二代藩主森長継公祈願所。鐘楼門及び仁王堂は岡山県指定重要文化財となっています。大師堂裏に赤穂義士神崎与五郎生母の墓があります。
津山市に観光客を呼び込もうと、津山藩松平家の菩提寺の泰安寺に黄金の茶室「銀金・神仏の茶室」が常設展示されることになり、記念の茶会が2023年2月10日に開かれました。
この茶会は、津山街デザイン創造研究所(山本昇所長)主催の「生きている城下町 美都津山・葵の御紋で繋がる『城東』と『城西』」という、2022年度 観光庁地域採択事業で津山市への誘客実証事業の一環です。
設置された茶室は、津山街デザイン創造研究所が、日本建築家協会第10代会長の出江寛氏に依頼して制作しており、国内外で注目される建築家の作品を通じて津山をPRしていきたいとのことです。
春はつやまの観光キャンペーンの一環として、津山郷土博物館において企画展示「江戸一目図屏風実物展示」を開催する運びとなりました。江戸一目図屏風は津山藩のお抱え絵師鍬形蕙斎が描いた江戸の鳥瞰図で、今回はその実物を展示します。本屏風は県指定の重要文化財である大変貴重な作品で、今回は平成29年度以来の実物展示になります。また、描かれている視点が、東京スカイツリーからとほぼ同じということで、同展望デッキに複製が展示されていることでも有名です。あわせて蕙斎のほかの作品も展示しておりますので、この機会に蕙斎ワールドをご堪能ください。
また、先般津山藩松平家に伝わる甲冑「朱漆塗本小札啄木糸威胴丸具足」が岡山県重要文化財の指定を受けましたので、あわせて皆様にご披露させていただきます。江戸時代初期の特徴を残す貴重な甲冑ですので、あわせてご覧下さい。令和4年4月1日 津山郷土博物館
標高550mの山領に、塗込造りベンガラ格子の堂々たる町屋が建ち並んでいるのは、江戸時代末期から明治にかけて、中国地方第一の鉱山町に加えて江戸時代からベンガラという特産品の生産がかさなり、当時の鉱工業地として大いに繁盛した面影です。
幕末から明治時代にかけて吹屋はむしろ「ベンガラの町」として全国に知られていました。しかも、吹屋街道が拠点として、銅や中国山地で生産される砂鉄、薪、炭、雑穀を集散する問屋も多く、備中北部から荷馬の行列が吹屋に続き、旅籠や飲食店の立ち並ぶ山間の市場として吹屋の繁盛を保っていました。
これらの銅や鉄、ベンガラは吹屋から更に荷馬に負わされて成羽へ運ばれ、それから高瀬舟で玉島港に集められ、玉島港から上方や西国へ輸送されました。江戸時代から成羽や玉島の繁栄は吹屋の鉱工業に負うところが大きかったと言われています。
頭椎大刀(かぶつちたち)の把頭(つかがしら)・鞘尾金具(さやじりかなぐ)
出土遺物が岡山県指定重要文化財に指定されている柳谷古墳を中心に石敷きの石室を持つ古墳に注目した企画展で、石敷きの石室がある津山市内の古墳の構造や出土遺物を紹介しています。
岡山県古代吉備文化財センターが発掘調査した桑山2号墳(高尾)を除く7基の構造や出土状況、敷き詰められていた石の形状などを説明するパネルや出土品約100点を展示。柳谷古墳(瓜生原、6世紀末~7世紀初頭)は、横穴式石室にこぶし大で角形の石が敷き詰められていたことなどを伝えるパネルと、県指定重要文化財の出土品約30点です。4月16日(金)まで、午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
作東誌(文化十二年 西暦一八一五年)によれば、文殊堂は、小中原村成興寺持で松渓庵と称し、文殊菩薩木像を安置するとある。ここにはかつて獅子吼山法音寺(安政四年 西暦一八五七年初屋文書によれば法苑寺とも、文久四年 西暦一八六四年新調の振亀箱には法音寺と記されている)という京都の天龍寺の末寺の禅寺があったが、創建された時期などつまびらかではない。現在の堂宇は、明治時代に火災に遭遇し再建されたものである。往時は御開帳を、旧正月二十五日に大般若経の転読の奉修が行われていたが最近では毎年三月第一日曜日に甘酒供養を、夏七月二十五日には大念珠まわし供養が行われ、知恵の文殊と崇拝されている。堂裏の墓地の一角には、岡山県指定重要文化財(昭和三十四年三月指定)があり、室町初期から南北朝期の様式をとどめる、石造無縫塔と石造宝篋印塔の二基がある。石造無縫塔は京都の天龍寺の開祖の夢窓国師のもの、石造宝篋印塔は松渓庵開山の宝山大和尚のものであると、宝暦十二年六月(西暦一七六二年)に本山天龍寺から来山し古記録と照合認定したという自然石の碑が塔前に建っている。松渓庵をつつむ自然のたたずまいの中に、時の流れの今昔をしのんでいただきたいものである。
塔中部落・加茂町観光協会
平成三年三月吉日
本山寺 宝篋印塔(美咲町定宗) 国指定重要文化財
宝篋印塔とは、もとは宝篋印陀羅尼経という経典を納めるための塔で、基礎の上に塔身を置き、方形の笠をのせ、その上に相輪が立てられます。四隅に装飾突起がついた笠ご特徴的な石塔です。岡山県は宝篋印塔が多く作られた場所で、特に美作地域南部に多いとされています。