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令和3年度 夏季企画展 あれも薬 これも薬

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 人は昔から、動植物や鉱物などを薬として使ってきました。
江戸時代の薬は、そうした自然由来の生薬であり、刻んで乾燥させるなどの簡単な加工を施して、薬効が高くなるように調合されました。当時は、いわゆる「鎖国」によって、中国人とオランダ人のみが、長崎で交易を許された時代でしたが、医師たちは治療に役立つものを見つけ出そうと、両国から輸入される薬を研究したのでした。
 本展では、江戸時代から明治時代にかけて、人々が薬に対してどのような関心を持ち、どのように研究したのかをご紹介します。「あれも薬になったのか、これも薬になったのか」と、楽しみながらご覧いただければ幸いです。(文:津山洋学資料館)(2021年7月11日撮影)

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「食堂かめっち」の釜炊きスペシャル

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 美咲町のたまごかけごはんを食べに行こうということになり「食堂かめっち」を訪れました。夏の暑い日でしたが、お外でたまごかけごはんを美味しく、また幼いころを懐かしみながら頂いてきました。
 この「食堂かめっち」は、咲町出身で明治時代を代表するジャーナリスト岸田吟香が「たまごかけごはん」を愛好したことから、平成20年1月22日にオープンした食堂だそうです。今日は新しく追加されたメニュー「釜炊きスペシャル」で、屋外で食べられるセットを頼んでみました。1釜が1,500円で、家族で頂くとリーズナブルなお値段です。お隣のテーブルでは、小さな子供さんと来られていた3人家族も美味しそうに召し上がっていました。(2020年9月5日撮影)

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第23回さくらのうた優秀作品展及び岸田夏子展

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「第23回さくらのうた憂愁作品展」及び「岸田夏子展」が令和2年4月10日~4月12日までアルネ津山4階「津山市立文化展示ホール」でありました。
 美咲町の町木である「さくら」をテーマに短歌・俳句・川柳を募集し、応募された作品の中からさくら大賞、さくら準大賞、さくら賞が選ばれ、日展特選書家の寺坂昌三さんが揮毫した作品が展示してありました。また、「桜の画家」として知られ、現在、清春白樺美術館名誉館長の岸田夏子さんは、洋画家の岸田劉生さんの孫娘です。また、曽祖父は岸田吟香さんです。(上の絵画「櫻香」は岸田吟香記念館で見られるそうです。)

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岸田吟香記念館(美咲町)

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美咲町旭文化会館(図書館、岸田吟香記念館)(美咲町西川1001-7)
 岸田吟香は天保4年(1833)4月28日に久米郡中垪和谷村(現在の久米郡美咲町栃原)で父、秀次郎、母、小芳の5男3女の長男として生まれる。
 幼少年時代の吟香は、大きな体で活発な子どもであったという。幼い頃から神童といわれ、4歳の頃にはすでに「唐詩選」を暗唱していたことからもいかに秀才だったかがうかがえる。5歳のとき、垪和の宝寿寺の住職が開いていた寺子屋で学び、12歳で坪井の大庄屋、安藤簡斉のもとへ学僕として住み込むことになる。吟香が坪井にいたのは、12歳から14歳までの2年間。この2年間で、坪井で学ぶものはないとみた簡斉は吟香を津山へ出し、はじめ永田孝平、次いで植原存軒に漢学を学ばせ、かたわら矢吹正則に就いて剣道を修めさせた。吟香が津山で学んだ期間はほぼ5ヶ年、その間津山郊外の高田村にある善応寺で私塾を開き、村の青年たちに四書五経や日本外史などを教えながら、勉学につとめていた。

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岸田吟香生誕の地と岸田家墓地(美咲町)

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  岸田吟香は天保4年(1833)4月28日に久米北条郡中垪和谷村(現在の久米郡美咲町栃原)で父、秀次郎、母、小芳の5男3女の長男として生まれる。
 幼少年時代の吟香は、大きな体で活発な子どもであったという。幼い頃から神童といわれ、4歳の頃にはすでに「唐詩選」を暗唱していたことからもいかに秀才だったかがうかがえる。5歳のとき、垪和の宝寿寺の住職が開いていた寺子屋で学び、12歳で坪井の大庄屋、安藤簡斉のもとへ学僕として住み込むことになる。吟香が坪井にいたのは、12歳から14歳までの2年間。この2年間で、坪井で学ぶものはないとみた簡斉は吟香を津山へ出し、はじめ永田孝平、次いで上原存軒に漢学を学ばせ、かたわら矢吹正則に就いて剣道を修めさせた。吟香が津山で学んだ期間はほぼ5ヶ年、その間津山郊外の高田村にある善応寺で私塾を開き、村の青年たちに四書五経や日本外史などを教えながら、勉学につとめていた。(文:岸田吟香記念館『岸田吟香』より)(2019年8月18日撮影)

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栃原公園 岸田吟香記念碑(栃原)

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岸田吟香翁胸像文
 岸田吟香翁は天保四年(一八三三)久米郡垪和村大字中垪和谷(現旭町栃原)に生まれ一九歳のとき江戸へ出て昌平黌、藤森天山塾などで漢学を修めたあと、アメリカの宣教医へボンに医学を学びながら「和英語林集成」の編集に協力、元治元年(一八六四)ジョセフ・ヒコらとわが国最初の新聞「新聞紙」を創刊、慶応四年(一八六八)「横浜新報・もしほ草」を発刊、明治六年(一八七三)「東京日日新聞」の主筆に迎えられわが国の近代的文章の確立に寄与、その間目薬「精錡水」の製造販売を家業にして石油採掘、製氷、定期航路の開拓などを始め盲唖学校「訓盲院」の創設など文明開化期の先頭に立って活躍した。(文:現地銘板より)(2019年8月18日撮影)

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美作の大庄屋巡り「安藤家 安藤善右兵衛(挙母藩)」

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安藤家 安藤善右兵衛(挙母藩)久米北条郡坪井下村
大庄屋まで
 安藤氏は、周防の大内義隆の家臣であった。義隆が陶晴賢によって滅ばされた後、天正元年(1573)香々美庄、のち河本村(鏡野町)に移住し、寛文3年(1663)子孫の太郎兵衛が坪井村に帰農したという。家譜によると天明年間、善右兵衛の祖父勘兵衛が挙母藩の大庄屋に任命された。
大庄屋として
 善右兵衛(善一)は、天保8年(1837)挙母藩の事務総掛を務めた後、大庄屋職を勤めている。慶応2年(1866)改政一揆のとき、津山に向う百姓に食物を与え説得して帰村させた。兄の鹿左衛門は救済などに献金し武士にとりたてられている。
美作国挙母藩領
 元禄15年(1702)内藤領(安中のち挙母=豊田市)となった久米北条郡内の12か村5千石余が、明治4年(1871)まで、169年間にわたって内藤家の領地であった。これを統括する陣屋は坪井下村におかれた。

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美咲町の「卵かけご飯」

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 2018年11月5日津山市のお隣、美咲町の中央運動公演内にある「卵かけご飯」を食べてきました。この卵かけご飯は、地元の卵と米を使った「卵かけご飯」を売りにした美咲町の町おこしの中心的存在になっています。今や全国の人々がかけつける程有名になりました。この「卵かけご飯」は、ご飯と卵はお代わりでき、みそ汁と漬物がついて350円。また、地元の醤油をのり、ねぎ、しそで味付けた3種類のタレもある。その他、豚角煮たまごかけごはん(トントン)600円、卵焼き(黄福巻き)300円、オムレツ(黄福のオムレツ)300円、カルボナーラ風たまごかけごはん(カルボー)600円、若鶏のからあげ、串カツ、黄福オムライス、黄福親子丼もありました。

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第七回作州維新文庫所蔵展『収蔵作品展』新規収蔵品を主に

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2016年5月28日・29日(午前10時~午後3時)と津山市山下の旅館お多福で、幕末から明治にかけて作州で活躍した文人画家の展示があります。郷土の画家が描いた作品は見ごたえがありますよ。この機会にぜひどうぞ!
旅館「お多福」には、郷土の偉人・先人の遺墨や書簡など、多数の作品を収蔵する「作州維新文庫」があり、貴重な書画を中心として館内に展示保管されていま す。近年、「玉子かけごはん」で有名になった偉人岸田吟香の書や書簡、特に吟香が志士として活躍した青年時代をテーマとしての研究なども「作州維新文庫」 に収蔵されています。その他にも津山藩御抱絵師狩野家の人々の作品など多数が収蔵されています
旅館「お多福」(0868)23-0125 (旅館お多福所蔵、作州維新文庫」より)

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2015年 津山百景 善應寺の紫陽花(あじさい)

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津山百景 善應寺の紫陽花の花はそんなに多くはないのですがとても綺麗ですよ。

このお寺は傘もみじで有名ですが、なんと「岸田吟香私塾の跡」だそうです。立札には、弘化4年~嘉永5年(1847~1852年)と書いてあります。また、育英小学校・高等高田小学校の跡地でもあるようですね。(2015年6月29日取材)

昨年の様子です。

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