2025 因美線「美作滝尾駅」の秋
因美線「美作滝尾駅」の移ろいゆく秋を撮ってみました。
戦前に建築された古い木造平屋作りの駅舎は「男はつらいよ」シリーズの最終作となった「男はつらいよ 寅次郎紅の花」の冒頭のシーンに登場し、駅前には映画の撮影が行われたことを記念した碑も建てられています。(2008年11月に登録有形文化財に登録されております。)
寅さん最後の姿を映した駅舎でした。(2016年5月15日の取材はこちら)
因美線「美作滝尾駅」の移ろいゆく秋を撮ってみました。
戦前に建築された古い木造平屋作りの駅舎は「男はつらいよ」シリーズの最終作となった「男はつらいよ 寅次郎紅の花」の冒頭のシーンに登場し、駅前には映画の撮影が行われたことを記念した碑も建てられています。(2008年11月に登録有形文化財に登録されております。)
寅さん最後の姿を映した駅舎でした。(2016年5月15日の取材はこちら)
名勝 神代の鬼の穴・龍宮岩
新庄川の清流に洗われた雪白の石灰岩が、長年の浸食により様々な奇岩を創り出し、その景観はあたかも龍宮を思わせるところから「龍宮岩」と呼ばれている。
河中の岩には数多の小洞窟があり、流水は或いは激流となり吸い込まれ、或いは噴出して渦巻きを生じ、深い淵には紺碧の水を湛え龍宮の名に背かない。
これより二百メートル下流、左岸に「鬼清水」がある。夏でも摂氏十二度の冷泉は作西の三清水の一つと云われ、出雲の国の松平不昧公が参勤交代のおり愛飲されたと伝えられる。
国道側の石灰岩壁には「鬼の穴」があり、五十メートル程入ることができる。洞内には明治維新の際、山陰鎮撫総監の西園寺公望公が通過の折に書かれた壁書が刻まれており、また、イシノミの一種、トビムシの一種、ヤスデの一種、その他小動物の生息が確認さ れている。
この一帯は真庭市指定名勝地となっている。真庭市(文:現地パネルより転載)(2025年7月9日撮影)
瀧尾山 西方寺(加茂郷88ヶ所霊場第54番札所)は、津山市堀坂地内にあり、堀坂神社の南100m位の所にある天台宗総本山比叡山延暦寺の末寺です。本尊は不動明王です。本堂は木造茅葺(トタン被せ)一部瓦。(2011年7月10日撮影)
2025年7月20日(日) 09:00 〜津山市上横野にある横野の滝「もみじ亭」界隈で、高田地区元気プロジェクトが実行されました。
このプロジェクトは、令和6年度高田小学校6年生が卒業にあたり、6班に分かれそれぞれ「高田地区○○プロジェクト」を発表した中の一つ「横野の滝を風鈴で飾って高田を元気にしよう!」が、小学校関係者や連合町内会の賛同を得て、高田地区全体で応援しようと企画されたものです。
とっても可愛い風鈴には地元の伝統応芸の「横野和紙」の短冊が吊るされています。そよ風にゆれる風鈴の音色を聞きながら食べる流しそうめんは格別に美味しいことでしょう。
堀坂大日寺(加茂郷88ヶ所霊場第56番札所)は、津山市堀坂地内のJR因美線滝尾駅北400mの踏切脇を数十m入った薮の中にあり、本尊は大日如来です。木造トタン葺き、土壁。(先達は木元林造さん)(2023年3月28日撮影)
元文4年(1739)、不作が続く美作国勝北郡(今の岡山県)の幕府領で百姓3千人が蜂起し、野非人の扮装で富家に押し掛け米や金銭を要求し、鎮圧後に北野村(今の勝田郡奈義町)藤九郎・与三右衛門が死罪となりました。
平成15年(2003)、経済産業大臣の平沼赳夫の揮毫による「元文一揆発頭人義民藤九郎与三右ヱ門之慰霊碑」が奈義町内に建てられました。
(2024年6月14日撮影)
涼を求めて友と何十年ぶりかで新見市豊永赤馬にある満奇洞(まきどう)へ行ってきました。津山市から自家用車で凡そ1時間程で行ける所です。
ここは、1929(昭和4)年に歌人与謝野鉄幹・晶子夫婦が「奇に満ちた洞」と詠んだことから、満奇洞(まきどう)と呼ばれるようになったそうです。また、県の天然記念物に指定されている全長約450mの鍾乳洞です。
入るとすぐメガネが真っ白になるくらいの半端ない涼しさの洞内は、カラフルなLEDでライトアップがされています。奥に進むにつれて、天井が低い所があったり、高い所があったりと変化が楽しめる洞窟です。また、洞内にある「恋人の泉」は『恋人の聖地』に選定されています。(2024年7月8日撮影)
幕府の出先である代官が苛歛誅求(かれんちゅうきゅう)を行なったり、凶作や飢饉に際して救助の手段をとらなかったりの場合が多くあった為か、代官とは冷酷無比と印象づけられている。しかし多くの役人の中には温情をもって政治にあたった者もまた多く、前に述べた早川八郎左衛門のように名代官と慕われているものもある。
町内にも滝本及び宮内に代官塚が建てられている。文化12年に之を建てたと記されて、寛政末から文化の初めに勝北の地を支配していた代官を祀ったもので、善政を布いた代官の頌徳碑(しょうとくひ)と伝えられている。
碑面に 御代官 池田仙九郎 重田又兵衛様塚と刻まれている。建碑の経緯はさだかでないが、役人と百姓の温かいつながりが感ぜられる。(文:『奈義町史』)(2024-年6月14日撮影)
播州平福神吉氏本陣別邸跡庭園 「現,遠入邸」
池泉観賞池の現存する「播州平福神吉氏本陣別邸跡庭園」は兵庫県佐用町平福・岡山県美作市大原古町・鳥取県智頭町の三県を通る「因幡街道」に面した三つの宿場の一つ、平福宿の中程に「門長屋」を持ち、本邸は大庄屋・代官を務めた田住氏の下で台頭した神吉氏の下屋敷で「平福本陣別邸庭園」とし機能していたと考えられています。
当別邸書院は棟札(むねふだ)に「正徳二年建立(1712)」と記されていることから、建立から約300有余年になります。書院に付随する庭園も、同時期の江戸時代初期に作庭されたと思われます。庭園は利神山山頂の利神山城を背景にした『池泉観賞式庭園』です。
瓢箪形の池泉には枯滝を配し、中央出島を蓬莱山(ほうらいさん)としています。池泉に石橋を二基、木橋を一基架け、邸内を巡ることも出来る庭園様式です。地割(ちわり)(平面構成)や護岸石組の配石がよく、庭園内の何処からでも優れた景観が鑑賞できる様に配慮された庭園構成と言えます。また、要所に立石を用いた石組や力強い枯滝石組など江戸時代初期の特徴をよく備えており、この時代この地域を代表する庭園と評価されています。
兵庫県庭園史家 西 桂