取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「神社」で検索した結果,761件の記事が見つかりました。

作楽神社のアヤメ

5-9sakurajinjya2.jpg

 作楽神社(津山市神戸433)でアヤメが咲いているとの事で観に行ってきました。今年は新型コロナウイルスの影響もあり境内を訪れる人影もなく静かに咲いていました。このお花たちは、地元住民有志や院庄花作りボランティアの皆さんがお手入れされているそうです。(2020年5月9日撮影)

作楽神社のアヤメの続きを読む

新緑の矢筈城跡を訪ねる(県指定史跡)

yahazu3.jpg

 令和元年5月4日、令和最初の「矢筈山登山会」が開催された。(矢筈城の概要は⇒こちら
参加者38名。遠く大阪市、鳥取市内からも参加する方がおられた。
開会式、安全祈願のあと、意気揚々と登山を開始した。(この記事は2019年5月4日の登山会の記録です。)

新緑の矢筈城跡を訪ねる(県指定史跡)の続きを読む

お食事処たかくらさん宅のお庭の花たち

takakura-hana2.jpg

 お食事処たかくらさん宅の、奇麗に咲いているお庭の花たちを送っていただきました。そして案内役は可愛いお孫さんたちです。広いお庭には芝桜や牡丹の花をはじめ色々なお花たちが美しく咲いていますね。こんな時世だからこそお花を見ると癒されます。(2020年4月28日撮影)
前回も三宝荒神社の秋季大祭の写真を送ってくださいました。)というわけで、津山市内の皆さんも自慢の景色、歴史の写真等ありましたら「津山瓦版」迄送ってくださいね。

お食事処たかくらさん宅のお庭の花たちの続きを読む

石燈籠と水鉢(上野田)

ishi-mizu.jpg

 石燈籠は仏堂に献燈する用具として中国・朝鮮をへて伝わり、後に神社にも用いられるようになった。
 献燈は昼に法会を行う際、浄火としたもので、照明用具としてではなく仏前の燈明か法燈を意味するものである。
 奈良時代前期の奈良当麻寺燈籠は我が国では最も古い。はじめ堂の正面にだけ建てたものが、室町時代末期より左右一対配されるようになった。
 江戸時代から明治期にかけての形式の変化は著しく、より重量感と座りのよい四角形石灯籠に撥形の竿が利用されるようになった。(文:勝北公民館発行『勝北むらの石仏』より)

石燈籠と水鉢(上野田)の続きを読む

中山神社で咲く3月の花たち

3-12nakayama14.jpg

 2020年3月12日、お昼時間を利用して中山神社参拝に出かけてまいりました。
前日に社務所前の杏子の木が満開だったのを見ていたので、丁度晴れたので撮影してきました。また、参道両脇の樹木をよく見ると、それぞれの樹木に可愛い花が咲いていました。普段は立ち止まることもなく通り過ぎていくので気が付きませんでした。

中山神社で咲く3月の花たちの続きを読む

美作の大庄屋巡り「香山家」(野介代)

2020-2-4kouyama1.jpg

香山家 香山太郎兵衛 東南条郡野介代村 森藩~松平藩
大庄屋まで
 香山氏は、播磨国揖保郡香山の地名によるという。康正2年(1456)山名氏の家臣となり、香山城主であった。羽柴秀吉に攻められて落城し、香山安正が美作に逃れ、高野本郷の中島隆重の婿となった。
 森藩によって大庄屋に任命され、貞享年間に川崎村から野介代村へ転居した。
大庄屋として
 貞享元年(1684)吉井川の大洪水があり、川崎村は大きな被害を受けた。翌年、森長成の命により、川崎村200余戸と川崎八幡神社高福寺を北方の丘陵や野介代村に移転した。香山太郎兵衛は、移転に反対する百姓を説得して、移転させ、丘陵の開墾に尽力した。
 元禄8年(1695)幕府は江戸の中野に犬小屋建設を森藩に命じた。その経費として特別な負担を申し出た大庄屋や大年寄の中に香山太郎兵衛の名がある。森藩改易の翌年、松平長矩が新しく津山10万石の領主となった。この時太郎兵衛は領民の代表として土居藤七と江戸へ行き祝意を表している。

美作の大庄屋巡り「香山家」(野介代)の続きを読む

千代稲荷神社と赤い太鼓橋

1sendai6.jpg

2020年2月21日の千代稲荷と宮川にかかる赤い太鼓橋(2009年の取材記事
 大きな赤いちょうちんが目印の千代稲荷神社(せんだいいなりじんじゃ)の本殿は津山市指定重要文化財(建造物平成15年2月17日)です。前回の取材時よりは参道の赤い太鼓橋の色が薄くなったと感じました。また、背後の樹木はすっきりして石垣がよく見えだしましたね。(嘗ては稲荷山地区に、佐平焼の登窯が五室ありました。

千代稲荷神社と赤い太鼓橋の続きを読む

美作の大庄屋「福本家」

t-fukumoto14.jpg

福本善兵衛 久米北条郡坪井下村 森藩~幕府領 挙母藩(ころもはん)
大庄屋まで
 家伝によれば、福本家の先祖は原田氏である。原田行佐の二男政次が坪井村の笠森神社近くに移住した。政次は、亀山城落城のとき戦死した叔父の福本藤兵衛の跡を継ぐため福本に姓を変えたという。政次の孫小左衛門は、村内の比津免(ひずめ)に移住し、後に森藩の大庄屋に任命された。小左衛門の孫文左衛門が、内藤藩の大庄屋に任命され、代々勤めた。
大庄屋として
 森忠政が、初めて領国を巡回した時小左衛門と父助右衛門が召されて、岩屋城攻めの話をしたという『大庄屋由緒調』。文化10年(1813)12月2日伊能忠敬の測量隊が止宿した。

美作の大庄屋「福本家」の続きを読む

2020 徳守神社節分祭(特殊神事 追儺式)

2020-tokumori13.jpg

特殊神事 追儺式
 追儺式とは、赤鬼・青鬼・小鬼たちが、たいまつを手にドラの音を勇ましく鳴らしながら境内に参入し一斉に拝殿に押し寄せ、それを拝殿で待ち構えていたお福や年男・年女(要参加予約)達が豆を投げて追い返し、これを三度繰り返した後、最後に年男・年女の方々が破魔矢を放ち、参集された方々を始め氏子の皆さまの無病息災・福徳招来を祈念するという神事です。 当社で古くから行われている神事で、年男・年女が放った矢を受け取られた方は特別な福徳招来のご利益を頂き、一年間無病息災で暮らせると伝えられております。(文:徳守神社HPより転載)(2020年2月3日撮影)

2020 徳守神社節分祭(特殊神事 追儺式)の続きを読む

2020年福力荒神大祭に行ってきました。

omairi.jpg

 2020年1月25日(土)~27日(月)の旧正月に行われる「服力荒神大祭」にやってきました。
福力荒神社は、マムシ除(よ)けや安産に御利益があると言われる神社で、毎年大勢の方がお参りされています。道の両脇には出店が並び、参拝した後多くの方が買い物をされます。

2020年福力荒神大祭に行ってきました。の続きを読む