領家コミュニティ広場(領家)
2020年4月11日のさくらの花が満開の時に訪問してきました。ここは、津山市領家の藤和田神社のすぐ近くにある隣は領家公会堂のすぐ傍にある領家コミュニティー広場です。遊具などはありませんでしたが素敵な東屋があります。
2020年4月11日のさくらの花が満開の時に訪問してきました。ここは、津山市領家の藤和田神社のすぐ近くにある隣は領家公会堂のすぐ傍にある領家コミュニティー広場です。遊具などはありませんでしたが素敵な東屋があります。
泰安寺(西寺町)前に架かる東宮殿下御成婚 記念橋を撮影してきました。吉井川支流の「藺田川」(小田中~南新座)に架かる歩行者専用橋です。
この橋は、大正13年(1924年)に皇太子(昭和天皇)の御成婚を祝して、当時の南新座青年団が発起人となり、近隣の方々の寄附によって造られたそうです。側には東宮殿下御成婚 記念橋」という記念の石碑があり、橋の竣工のために、寄附した方々や世話人の名前が刻んでありました。その世話人の中に、夏木マリさんの、父方の曽祖父中島啓次郎さんの名前があります。(写真:2017年2月4日撮影)
津山市川崎にある兼田児童公園に出向いてきました。ここにはイナバ化粧品店にもほど近く何度か来ていましたが、今回は南側入り口から入りました。さっそく滑り台や遊具が見えてきました。そしてもう一つ、公園内には兼田荒神社が祀られています。(2020年6月7日撮影)
押渕神社は、津山市押渕164にある神社です。吉井川に沿って県道26号線沿いの旧道の西側の田んぼに押渕公会堂の案内があり、それを目指していくと駐車場に着きます。(境内には押渕公会堂もあります。)また、社務所内には、綺麗な色の保存状態の良い絵馬が飾ってあります。今回、案内くださったのは神社総代でもいらっしゃる日下英彦さんです。
『岡山県神社誌』によれば旧村社で拝殿と本殿があり、創建年月・由緒等不詳。明治十年三月十三日字寺床より遷座。主祭神は大国主大神、摂末社は日吉神社とありますが、拝殿は見当たりませんでした。(2020年6月24日・29日撮影)
四足門は、大手の二の丸の入口にある門です。門は、廃城後の明治7年に中山神社(津山市一宮)の神門として移築されました。絵図と比べると、屋根が瓦葺から檜皮葺に変わっていますが、現在でも見ることのできる数少ない津山城の建物の一つです。
絵図や現在の神門の調査から、薬医門であることや、扉のついていない城門であったこと、柱の位置関係が絵図と重なることが分かりました。発堀調査では、門の礎石の根石を確認しています。
ヨーロッパにつたえられた津山
17世紀のはじめ、美作にも、青い目の宣教師が、いくたびかおとずれ、キリスト教を布教しています。そのころの津山の様子が、宣教師によって、次のようにヨーロッパに伝えられています。
「森忠政は、領内にキリシタンはいないと幕府に報告して、キリスト教を黙認している。城下町の近くには、美しい墓地があって、キリシタンは、そこに行って、祈りをささげている。墓地の中央には、高さが3メートルをこえる、すばらしい十字架ががある・・・。」(『日本キリシタン宗門史』より)
作楽神社(津山市神戸433)でアヤメが咲いているとの事で観に行ってきました。今年は新型コロナウイルスの影響もあり境内を訪れる人影もなく静かに咲いていました。このお花たちは、地元住民有志や院庄花作りボランティアの皆さんがお手入れされているそうです。(2020年5月9日撮影)
令和元年5月4日、令和最初の「矢筈山登山会」が開催された。(矢筈城の概要は⇒こちら)
参加者38名。遠く大阪市、鳥取市内からも参加する方がおられた。
開会式、安全祈願のあと、意気揚々と登山を開始した。(この記事は2019年5月4日の登山会の記録です。)
お食事処たかくらさん宅の、奇麗に咲いているお庭の花たちを送っていただきました。そして案内役は可愛いお孫さんたちです。広いお庭には芝桜や牡丹の花をはじめ色々なお花たちが美しく咲いていますね。こんな時世だからこそお花を見ると癒されます。(2020年4月28日撮影)
(前回も三宝荒神社の秋季大祭の写真を送ってくださいました。)というわけで、津山市内の皆さんも自慢の景色、歴史の写真等ありましたら「津山瓦版」迄送ってくださいね。
石燈籠は仏堂に献燈する用具として中国・朝鮮をへて伝わり、後に神社にも用いられるようになった。
献燈は昼に法会を行う際、浄火としたもので、照明用具としてではなく仏前の燈明か法燈を意味するものである。
奈良時代前期の奈良当麻寺燈籠は我が国では最も古い。はじめ堂の正面にだけ建てたものが、室町時代末期より左右一対配されるようになった。
江戸時代から明治期にかけての形式の変化は著しく、より重量感と座りのよい四角形石灯籠に撥形の竿が利用されるようになった。(文:勝北公民館発行『勝北むらの石仏』より)