美作の大庄屋「福本家」

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福本善兵衛 久米北条郡坪井下村 森藩~幕府領 挙母藩(ころもはん)
大庄屋まで
 家伝によれば、福本家の先祖は原田氏である。原田行佐の二男政次が坪井村の笠森神社近くに移住した。政次は、亀山城落城のとき戦死した叔父の福本藤兵衛の跡を継ぐため福本に姓を変えたという。政次の孫小左衛門は、村内の比津免(ひずめ)に移住し、後に森藩の大庄屋に任命された。小左衛門の孫文左衛門が、内藤藩の大庄屋に任命され、代々勤めた。
大庄屋として
 森忠政が、初めて領国を巡回した時小左衛門と父助右衛門が召されて、岩屋城攻めの話をしたという『大庄屋由緒調』。文化10年(1813)12月2日伊能忠敬の測量隊が止宿した。

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所在地
 坪井下村は、出雲往来の宿場町であった。津山から3里離れる。津山城下の坪井町は、この村から移住した商人のいた町である。
 森藩改易後、幕府領になり代官所が置かれた。元禄15年(1702)上野国安中藩内藤領になり代官所跡に内藤家の陣屋が置かれた。寛延2年(1749)内藤氏は安中から挙母(豊田市)に移封した。
屋敷・墓地
 比津免(ひづめ)の屋敷跡は耕地に変わり、近くに藤兵衛の墓といわれる五輪がある。後に福本家が坪井宿に移住したため現存している。福本家墓は菩提寺称念寺(津山市坪井下)にある。小左衛門は寛永3年(1626)、荒廃していた坪称庵という小庵を、元禄元年(1688)称念寺として再建したという。境内には挙母藩士の墓もある。

子孫
 現在居住していない。

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大庄屋 福本家
 寛永2年(1605)森忠政公は、初めて美作に大庄屋51人を置かれ坪井では福本正富が拝命した。その後坪井下村は 内藤家の飛び領と坪井陣屋がおかれ12ヶ村の大庄屋となり、江戸時代の終わりまで代々続いた。

 天正7年(1579)叔父福本藤兵衛が、河本城落城の時討死。名跡を相続し苗字を福本に改める。
 文禄2年(1593)坪井村笠森東方下畑(福本)に屋敷を立て移住。笠森大明神神主を勤める。
(文:『美作の大庄屋~故地をたずねる~』より)(2019年8月17日・10月21日撮影)

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比津免(ひづめ)の屋敷跡            笠森神社

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藤兵衛の墓