真備町復興支援神輿譲渡式
「このたび、50年あまり、津山市中心商店街の振興のシンボルであった神輿を、縁あった真備町"り災者の会"の方に譲渡することになりました。私自身、平成11年の災害で、床上浸水の被害に遭い他人事ではない気持ちです。まだまだ、全国さまざまな被害を受けている方々がおられるとは思いますが、真備町の復興を祈願して譲渡式を執り行いたいと思います。」との津山まちづくり倶楽部代表 出口剛三氏の言葉がありました。(2019年7月18日撮影)
「このたび、50年あまり、津山市中心商店街の振興のシンボルであった神輿を、縁あった真備町"り災者の会"の方に譲渡することになりました。私自身、平成11年の災害で、床上浸水の被害に遭い他人事ではない気持ちです。まだまだ、全国さまざまな被害を受けている方々がおられるとは思いますが、真備町の復興を祈願して譲渡式を執り行いたいと思います。」との津山まちづくり倶楽部代表 出口剛三氏の言葉がありました。(2019年7月18日撮影)
坪井金毘羅宮石灯籠(坪井)
安政2年(1855)寄進。灯籠には「村中安全」と彫られている。金毘羅宮は称念寺の南側の西山(古墳)」の頂上にある。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年5月30日撮影)
稲荷宮石灯籠・豊川稲荷宮・亀山城跡(坪井)
石灯籠は2基あり、左側は文政9年(1826)、右側は天保8年(1837)に寄進され、何れも坪井宿の中央を流れる水路のほとりにあったものである。
豊川稲荷は挙母藩陣屋に祀られていたもので廃藩置県後、亀山城跡に移された。
七森神社への途中約500m北にある七森宮石灯籠は嘉永5年(1852)に寄進。「是ヨリ七森宮へ九丁」と刻んである。これは坪井宿から約900mということであり、これも水路のほとりにあったものである。
小田中西松原の荒神社
小田中の西松原(小田中水道局の西)に荒神社があります。荒神社の由来など解らないので、町内の年配者の方にお聞きすると「子どもの頃よく遊んでいましたが、由緒などは解りません。覚えているのは境内には家はなくて広々としていました。また、鳥居の位置がその頃とは変わっていますし、今となっては詳しい事は誰も知らないんじゃないでしょうか。」と教えて下さいました。今でも年に2回ほど集まって祭礼をしておられるようです。(撮影:2019年3月2日)
2019年5月22日、津山市上村の赤堀さん宅へバラの花を拝見しに行ってきました。
なんと今年は庭の作りが大幅に変わっていてびっくりしました。(2016年の様子)このバラ園は奥様がお花好きでコツコツ育ててこられたそうです。今年は小さくなってしまったバラもあるそうですが、新たに植えられたバラが勢いよく大空に向かって沢山の花を咲かせています。
2019年5月18日津山市新田の橋本さん宅のバラ園をお訪ねしてきました。今年も見事に咲いたバラたちが迎えてくれました。橋本さんは趣味を多くお持ちで受賞歴もおありなのですが、大病を患った後からバラを育てるようになったとお聞きしました。今ではバラだけではなく庭中に四季折々の草花が咲いています。また、娘さんご夫婦もバラを育てるのが趣味でご主人が熱心に庭の手入れをされていました。本当にバラを愛してやまないご家族です。(昨年の様子です。)
令和1年5月23日(木)~28日(火)AM9:00~PM6:00までオープンガーデンを開催されます。
2019年4月30日のイナバ化粧品店です。いよいよ平成最後の日となりましたね。
イナバ化粧品店内は、連休になってから沢山の方がお見えになってママは忙しそうです。平成最後にあたって何か感想はありませんか?とお尋ねすると、「何がいいかって、こうして何事もなく平々凡々だけど60年間を無事に過ごして来れたことが一番かなぁ~。毎日毎日同じことの繰り返しで、此処に立って60周年を迎えるんじゃからなぁ~。」「目標は、この先3年、また次の3年と3年毎に元気でいること。そうすれば100歳まで元気にいけるじゃろうから。みなさん、令和も元気で過ごしましょう。」ちなみに、ママさんは加山雄三さんと同じ年だそうです。
2019年4月20日「那岐山麓菜の花まつり」が開催されている奈義町の広大な菜の花畑に行ってきました。奈義町現代美術館周辺と滝本にも会場がありました。
真っ青な青空の中、那岐山麓に向かって真っすぐに伸びる道の両脇には黄色の菜の花が美しく咲いてとてもきれいでした。また、21日には奈義町の特産品が味わえるグルメテントやイベントもあったようです。
地域交流センター アルネ・津山4Fで2019年3月28日(木) 〜 2019年4月1日(月) まで「赤枝佳代子 写経展~ひとすじに~」が開催されています。赤枝さんは嘗て「写経には、それぞれの人の祈りや願い、思いが込められ書かれていると思います。般若心経とは、死者にたむける言葉ではなく、人間の生き方であり行き方ではないかと思えた時、力強く そして 美しく飾ってみたくなり、挑戦しました。」と語っておられます。
もうすぐ春がきます。
「また来む春と誰か言ふ。」きっと陽気な春が両手をふり廻してもどってくるのに、人はなぜか落ちこんでしまうことがあります。
佳代子さんのほとけさまのお顔は薄目をあけて弱気になった人を励ましてくれます。「もうちょっとだけがんばってみよう」って。
楽しい、元気を頂ける展覧会です。 やまだみなこ
腹痛の神として信仰 病の武将助け祀る
勝北町羽賀の公会堂横に「梅の木神社」という小さなお社がある。この神社いわれは口伝えで定かではないが、遠く戦国時代、群雄が割拠しその攻防の争いはこの近辺でも繰り広げられた。その頃のある日、戦いに敗れ手傷を負った一武将がこの地へ落ちのびてきたそうである。
それをこの土地の人が気の毒に思って懇ろに介抱したが、その甲斐もなく亡くなってしまった。人々は、哀んで手厚く葬り、小さなお社を建て一本の梅の木を植えて供養したと言う。