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「作州忍者鶴山(つるやま)隊」が津山城で大活躍中!

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 津山さくら祭りを盛り上げるため作州忍者鶴山隊(つるやまたい)が総力を挙げて取り組んできた一夜城が完成。イベントを盛り上げるために、甲賀忍者の皆さんが応援に駆けつけてくださいました。それに、「奥播磨かかしの里」からお越しくださった助っ人さんが会場でお待ちしております。
 お城の前では忍者検定があったり、また、忍者迷路では随所に忍者修行が出来る仕掛けがあり、子ども達もお父さん、お母さんと大いに楽しんでいました。
 4月3日・4日かぎりですので本丸まで是非、お出かけください。岡山戦国武将隊、隊可愛いくノ一もお城でお待ちしております。(2021年4月2日撮影)

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2021「津山さくらまつり」のオープニングセレモニー

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 2021年3月27日(土)天候にも恵まれ、津山城「鶴山公園」で毎年春に行われる「津山さくらまつり」、「津山さくらまつり」オープニングセレモニーが今年はコロナ禍の中で心配しましたが、無事に開催されました。さくらも例年よりも早く咲き始め、しかも晴天の空の下で気持ちの良い日、春の香りを感じながら見る「津山情緒保存会」の皆さんによる艶やかな踊りを見ながら春が来たと実感できました。

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城山公園(茶臼山城址展望台)赤磐市

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 吉井川の清流のほとり、空を衝くように茶臼山がそびえ立つ。
備前軍記によると戦国時代に山城があったと記載され、県の史跡になっています。
四季を通じて楽しめる山頂に、城型展望台とともに高瀬舟舟宿を移築し、大型竪穴遺構を推定復元して人々に親しまれる公園にしました。
茶臼山城址展望台
 建物は、茶臼山が山城跡であったことから「城」の形態を採ったもので、現存する同時代の山城の遺構に見られるいくつかの要素を基本に構築したものである。構造は、鉄骨一部鉄筋コンクリート造三階建、延床面積181.32m、高さ14.2m、最上階展望室は、街並みから約135mあり、これは超高層ビルのおよそ35階の高さに相当する。ここからは、吉井川、吉野川流域の景色はもとより、はるか北方の中国山脈も眺望することができる。

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津山城下町雛めぐり<城東地区>

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 風情あふれる旧出雲街道「城東町並み保存地区」のひな祭りです。
 代々受け継がれてきた歴史のある雛人形や豪華な飾りはそれぞれのご家庭でご自慢の品々でしたが、生活様式の変化によってかつてのような「雛まつり」を祝うご家庭が少なくなりせっかくの素晴らしい「雛飾り」の多くが仕舞われたままになっています。そんな、「お雛さま」を玄関先やお店のショーウインドウに飾って皆さんに見て頂き一緒にお雛まつりを祝う、そして雛まつりを楽しみながら街を巡り城下町津山の歴史や文化を感じて頂くのが「津山城下町雛めぐり」です。

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津山城下町雛めぐり<城西地区>

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<城西地区>今年も雛まつり(3月3日~4月3日まで)があり2日目に伺ってきました。
 平日でもあり、雲行きもあやしくなってきましたが、通りに面した吊るし飾りがとても素敵でどうしても見たくて巡ってきました。毎年、飾られているお宅が増えているように感じられます。また、各家の前に飾られた色とりどりの花が通りを一層華やかに飾っています。
 期間中は、オーガニックコーヒー/紅茶や、ちらし寿司の販売(3月7日・21日のみ)もあるそうですので、この機会に城西地区を散策しながら雛めぐりをお楽しみください。

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津山城下町雛めぐり<中心商店街>

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 ソシオ・一番街で<中心商店街>おかみさんの雛まつりが、3月3日~7日まで開かれています。
ソシオ・一番街特設会場では、ずらりと並んだ雛壇に飾られたお雛様が出迎えてくれます。
 3月6日・7日(10時~16時)ソシオ一番街で手づくりマルシェが、また、3月6日(11時~)にはガラポン抽選会があり楽しめます。
 実は、元来「磯遊び」は、ひな祭りに海に出かけて遊ぶことをいいます。地方によっては山に行くところもありますが、海や山にご馳走を持って行き、遊ぶのが昔の節句の過し方だったようです。ひな祭りに、はまぐりがつきものなのは磯遊びから来ていると言われています。

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財政破綻した備中松山藩を立て直した「山田方谷」と「津山」

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 津山城の新しいシンボルとして親しまれている備中櫓にゆかりがあり、鳥取城主であった池田備中守長幸は、元和3年(1617)に備中松山城に移り6万5千石を領地としました。
 また、これ以前の慶長年間には、小堀家が備中松山の領主として入っており、二代目小堀遠州は備中松山城の修理や城下町の建設を行いました。津山市の衆楽園が作庭されたとされる時期は遠州没後なのですが、一説には、衆楽園は遠州流の庭園であるとされています。
 このように、なにかと津山とゆかりのある備中松山藩ですが、その備中松山藩の儒学者として、あるいは藩政改革の指導者として著名な山田方谷も、津山とゆかりのある人物でした。その一つに西洋流砲術の修行があります。山田方谷の年譜から見てみましょう。
 方谷は儒学者でしたが、幕末の混乱した情勢の中で軍制改革と西洋式砲術の必要性を早くから感じていました。ところが現実には諸藩の軍制は古式なものばかりでした。

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美作の大庄屋巡り「多胡家」

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多胡家 多胡勘右衛門 東北条郡綾部村 森藩~松平藩
大庄屋まで
 多胡氏は、尼子氏の家臣として出雲国に居住していた。尼子氏滅亡後は宇喜多氏に仕え、医王山合戦では宇喜多氏の武将として戦っている。秀吉の朝鮮出兵に参加したといい、宇喜多氏滅亡後、綾部村に帰農した。吉兵衛が森藩の大庄屋に任命され、以後大庄屋を勤めた。
大庄屋として
 大庄屋を勤めた多胡氏は、屋号を米山という。経済的に行き詰まり、安永5年(1776)大庄屋職を取り上げられ、その後再び大庄屋に任命された。栄二郎は第1次長州戦争に従軍した。(雲路日記)

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備中松山城「御根小屋跡」(高梁市)

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 岡山県指定史跡 備中松山城御根小屋跡
 御根小屋は備中松山藩の藩主の居城であり、藩の政務を行う役所である。
当藩では城が標高430mにあるため、平時の政庁として御城山の麓に造られたものである。北は臥牛山に接し、南は小高下谷川を堀に見立て、西は現JR伯備線で限られたほぼ三角形の地形で、その面積は約34,000㎡。旧制高梁中学校(現在の県立高梁高校)は、その跡地に建てられており、石垣は御根小屋の原型を今に伝えている。
 創建年代は不明であるが、天正3年(1575)の兵乱で焼失した記録があることから、その歴史は、戦国時代まで遡ることができる。現在の姿は、江戸時代初期に代官の小堀遠州が再建をはかり、天和3年(1683)当時の藩主水谷勝宗により完成された。
 幕末の資料では、登城には惣門を経て御殿坂を登り、中門を通って御殿に至る。中門の北側に作事処(現テニスコート)がある。高梁川で運ばれた米などは川端町で陸揚げされ、御蔵坂を通って米蔵に、武具は一段高い石垣上にある武具蔵(現運動場)に保管されていたことかが記載されている。
 備中松山城御根小屋跡は、平成3年4月に岡山県の史跡に指定された。

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2021 大隅神社へ初詣

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 大隅神社は、奈良時代の和銅年間(707~715年)以前の創建と伝えられている古社です。拝殿は昭和に建て替えられたそうです。神輿は、1842年に造られたもので、津山市の重要有形民俗文化財となっています。また、神門は津山城内にあったものを移築したもので格式があります。
 まだまだ先の見通せない時勢なのですが、新型コロナウイルスの収束や家族の健康などを祈りました。

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