日吉神社(勝央町)

2020-9-10hiyoshi22.jpg

社説 旧郷社 日吉神社
 本社創立の年代は不詳、社伝並びに古老の口碑によれば天平9年11月、従五位下美作守阿部帯磨より受継ぎをなせる、美作守大伴兄磨が、近江國阪本鎮座の日吉神社より天平10年4月、分霊を奉祀し、翌11年3月7日、御遷座勅許を得て荒田七反歩を寄せ、植月郷総鎮守となしたりとも、或は、内田菅磨、が近江國日吉神社を、旧社地植月中河内山王谷に奉祀し、永正9年、宮山城主植月彦次郎この地に遷し奉ると云う。
平成6年3月本殿・幣殿・拝殿共に著しく老朽せしを、平成の御大典記念として改築なせるものなり
祭神 大山咋命・大巳貴命・豊受大神・味須岐高彦根命・少彦名命・猿田彦命
境内社 稲荷神社・厳島神社(文:現地案内板より)(2020年9月10日撮影)

2020-9-10hiyoshi3.jpg2020-9-10hiyoshi2.jpg

弁財天由緒
弁財天は、七福神の中の唯一の女神として知られていることが、もっとも多いにちがいありませんが、人々に弁舌の才を与え福智を授け延寿と財宝をもたらし、天災地異を除く仏神として信仰を集めているこの神のご神威を知る人は少ないのではないでしょうか。
 本来佛教の守護神で弁財天が神社に祀られるようになったのは、日本古来の穀物の神である、宇賀神との融合によるものです。
此度道路拡幅に伴なう弁財天の遷座と老朽化した社殿の改築、及び鎮座地の整備を日吉神社氏子の協賛会により完成したものである。
御祭神 弁財天 宇賀神
平成17年6月吉日 日吉神社々務所(文:現地案内板より)

2020-9-10hiyoshi23.jpg2020-9-10hiyoshi27.jpg

案内板                     鳥居

2020-9-10hiyoshi26.jpg2020-9-10hiyoshi25.jpg

手水舎                     鳥居

2020-9-10hiyoshi20.jpg2020-9-10hiyoshi19.jpg

拝殿

2020-9-10hiyoshi7.jpg2020-9-10hiyoshi9.jpg

本殿

2020-9-10hiyoshi12.jpg2020-9-10hiyoshi11.jpg

本殿側面                    本殿裏

2020-9-10hiyoshi4.jpg2020-9-10hiyoshi5.jpg

狛犬

2020-9-10hiyoshi10.jpg2020-9-10hiyoshi13.jpg2020-9-10hiyoshi14.jpg

日吉忠霊社           伊勢神社            天満神社            

2020-9-10hiyoshi18.jpg2020-9-10hiyoshi17.jpg2020-9-10hiyoshi16.jpg

稲荷神社

2020-9-10hiyoshi21.jpg2020-9-10hiyoshi24.jpg

社務所


日吉神社  旧名 日吉山王宮 植月北宮代

 祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと) 境内神社としては杉神社(杉森大明神、大己貴命、植月中東池ノ上より)、中ノ神社(大明神、大己貴命、植月東宮ノ谷より)、宝神社(宝大寺、少彦名命、植月東奥常より)、椿森大明神(猿田彦命、植月北山ヶ端→椿森より)、豊受神社(王子権現宮、高値神社、植月北高値スクモ山より)、伊勢宮社(天照皇大神、植月東神五郎)が明治41年に遷座合祀されている。(現在は神五郎に祀られている)
 沿革:創建は天平10年(738)大友兄麿が美作守として赴任の際、近江国坂本の日吉山王宮(祭神、大山咋命)の分霊を植月中河内後山に奉納したと伝えられる。一説には白鳳14年内田菅麿の創建とも伝う。宝治2年(1248)植月郷、広野郷の地頭職植月公興は、植月中に小山城を築き、当社を守護神としている。永生9年(1512)小山城主植月彦五郎は当社を現在地(旧名流田北ノ山)に遷座した。
『植月村誌』によると「昔本社ハ仏式の祭祀ヲナシ、本村観音寺ノ掌宰二属シ神体モ木像ナリキ、今尚仁王門ノ遺跡ナドアリ」と記され、また大祭日には杉、中、宝大、椿森、堀池八幡(植月東)、平八幡(平)、御所野(奈義町上町川)および当社の八神社より、神輿を本神社神事場に繰り出していた。
貞享2年(1685)大喧嘩があり、以来神輿を廃止し、笠鉾による御旅所行事に変える。また年はじめには「七社巡り」と称し前記七神社を迎拝する行事もあった。なお現在、祭日には子供神輿、獅子神楽も行われている。宮奉納相撲は別項にした。八台の神輿を埋めた神輿塚もある。(文:『勝央町誌』より)