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取材記事内を検索ワード「寺」で検索した結果,897件の記事が見つかりました。

方谷庵(新見市)

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岡山県指定史跡 方谷庵(阿哲郡大佐町小南 金剛寺境内 指定 昭和40年2月24日)
 この庵は幕末の政治家、学者、教育者で備中聖人と呼ばれた山田方谷(1805~1877)が明治5年(1872)に外祖父母の霊を弔うため、母の生家西谷家の菩提寺である金剛寺境内に建立したものです。外祖父母の位牌を祀る仏間(三畳)と炉のある床の間(三畳)を中心とした平屋建、切妻造、棧瓦葺(もと柿葺)の簡素な茶室風の建物で正しくは継志祠堂と呼ばれています。
 山田方谷は、文化2年(1805)に阿賀軍西方村(現高梁市)に生まれ新見の儒者丸川松隠に学んだのち、備中松山藩に召出され、藩校有終館の会頭・学頭として子弟の教育に当たりました。
 嘉永2年(1849)藩主板倉勝静の信任を得て藩政改革を進め藩財政の立直しに貢献し、また勝静が幕府老中首座のときそれを援けて活躍しました。
 明治維新後は当小阪部に隠棲し、小阪部塾を開いて子弟の教育に当たるとともに、しばしば当庵を訪れ、祖先の霊を弔って晩年を過ごしました。 新見市教育委員会 岡山県教育委員会(文:現地案内板より)

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イタリアの風 武藤順九の宇宙

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 武藤順九氏は1973年からイタリアにアトリエを構え、国内外で彫刻、絵画を発表してきました。彫刻作品はバチカンや仏教の聖地インドブッダガヤ、ネイティブアメリカンの聖地でアメリカ合衆国最初のナショナル・モニュメント、ワイオミング州デビルズタワーなどに永久設置され、これら一連の人類の聖地への設置は世界芸術史上、初めての偉業といわれています。
また、絵画作品もパリのユネスコ本部にコレクションされる等、世界的アーティストとして知られています。かつて松島瑞厳寺での特別展の折、故平野宗浄御老師が東洋のミケランジェロと絶賛されました。2019年には東京都昭島市に『昭島・昭和の森 武藤順九彫刻園』が開園となり、国内外から注目を集めています。
 この度、日本における制作の場として、津山にアトリエを構えられることになり、PORT ART&DESIGN TSUYAMAにおいて特別企画展を開催していただける運びとなりました。是非、この機会に多くの方々に御覧頂けますことを願っています。
PORT ART&DESIGN TSUYAMA 館長 飯塚 洋平

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日吉神社(勝央町)

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社説 旧郷社 日吉神社
 本社創立の年代は不詳、社伝並びに古老の口碑によれば天平9年11月、従五位下美作守阿部帯磨より受継ぎをなせる、美作守大伴兄磨が、近江國阪本鎮座の日吉神社より天平10年4月、分霊を奉祀し、翌11年3月7日、御遷座勅許を得て荒田七反歩を寄せ、植月郷総鎮守となしたりとも、或は、内田菅磨、が近江國日吉神社を、旧社地植月中河内山王谷に奉祀し、永正9年、宮山城主植月彦次郎この地に遷し奉ると云う。
平成6年3月本殿・幣殿・拝殿共に著しく老朽せしを、平成の御大典記念として改築なせるものなり
祭神 大山咋命・大巳貴命・豊受大神・味須岐高彦根命・少彦名命・猿田彦命
境内社 稲荷神社・厳島神社(文:現地案内板より)(2020年9月10日撮影)

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宮川河川敷のさくら並木が満開です。

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 2021年3月31日ですでに満開のさくら並木です。
今年はコロナ禍で自粛生活が長引いているので春のさくらの花の下でお花見を楽しみにしてきた人も多いと思います。でも今週末までどうにかもってほしいと願っていたら、天気予報が無常にも雨を知らせている。

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2021千光寺のしだれ桜

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 2021年3月23日、千光寺のしだれ桜を見に行ってきました。今年は桜の枝が台風の為か少し寂しくなっていましたが、それでも見事な花を咲かしていました。境内に垂れ下がる桜の枝の真下に行き、見上げると空から降って来た桜に包まれるような感覚になります.

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春色のイナバ化粧品店内です。

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 2021年3月21日、津山地方は午後から土砂降りの雨になりました。そんな中、久しぶりにイナバ化粧品店に伺ってきました。店内では飾られた商品棚のオレンジ色が春らしくとても素敵でした。ママはいつもと変わらぬ笑顔でファンの皆様をお出迎えしておられました。今日で新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言解除になるのですが、引き続きコロナ対策を忘れず行きましょうとアルコールスプレーを見せてくれたママでした。でも、何処にもいかずにいたので、少しお外に出てみたいそうです。

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山田方谷家塾 牛麓舎跡(高梁市)

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 牛麓舎は、山田方谷が有終館の学頭(校長)として藩から与えられた邸宅で天保9(1838)年に開いた家塾です。
 この地が、臥牛山(がぎゅうざん)の南山麓にあったので牛麓舎と名づけられました。方谷の学風を慕って入門するものが常に数十人あり、進鴻渓、大石隼雄、三島中洲、寺島義一など、のちに藩政に活躍した人材を輩出しました。

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臥牛亭(がぎゅうてい)高梁市指定重要文化財

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 桁行2間、梁間1間半の切妻造、桟瓦葺の平屋です。一方の妻側に半間の庇(ひさし)を設けて戸口とし、他の三方は窓を大きくとって明り障子を立てまわす開放的なつくりとなっています。
 臥牛亭は、江戸幕府14代将軍徳川家茂(いえもち)・15代将軍慶喜(よしのぶ)の2代の将軍に信頼され、2度にわたって老中を勤めた、藩主板倉勝静(かつきよ)が農民の苦労をしのぶため、御根小屋(藩庁)の一郭に農園を設け、明農圃と名付け自ら農耕をしたと言われています。さらにその一隅に小亭(12.4㎡)を建て、農耕の神々を祀り五穀の豊穣を祈りました。
 明治6年(1873)に御根小屋の全建物と共に撤去されましたが、山田方谷はこれを惜しみ、対岸の蓮華寺境内へ、その後八重籬(やえがき)神社に移築され、臥牛亭あるいは明農亭として現在に至っています。平成22年に保存修理を実施しました。
昭和33年2月24日指定 高梁市教育委員会(文:現地案内板より)

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千光寺の梅の花やさんしゅうの花が満開!

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 今年も千光寺の梅の花や三州の花が満開の季節になりました。
 2021年3月10日暖かな春の日に誘われて、城東地区にある千光寺に伺ってきました。山門で見かけたピンク色の可愛い梅の花です。青空に映えて可愛く咲いています。黄色い木はさんしゅうの木です。宮崎県の民謡「稗つき節」に「庭のさんしゅうの木 鳴る鈴かけて 鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれよ〜」と歌われています。歌詞のなかの「さんしゅうの木」が山茱萸ではないかと言われています。(一方には山椒と言う説があります。)

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財政破綻した備中松山藩を立て直した「山田方谷」と「津山」

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 津山城の新しいシンボルとして親しまれている備中櫓にゆかりがあり、鳥取城主であった池田備中守長幸は、元和3年(1617)に備中松山城に移り6万5千石を領地としました。
 また、これ以前の慶長年間には、小堀家が備中松山の領主として入っており、二代目小堀遠州は備中松山城の修理や城下町の建設を行いました。津山市の衆楽園が作庭されたとされる時期は遠州没後なのですが、一説には、衆楽園は遠州流の庭園であるとされています。
 このように、なにかと津山とゆかりのある備中松山藩ですが、その備中松山藩の儒学者として、あるいは藩政改革の指導者として著名な山田方谷も、津山とゆかりのある人物でした。その一つに西洋流砲術の修行があります。山田方谷の年譜から見てみましょう。
 方谷は儒学者でしたが、幕末の混乱した情勢の中で軍制改革と西洋式砲術の必要性を早くから感じていました。ところが現実には諸藩の軍制は古式なものばかりでした。

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