千代稲荷神社と赤い太鼓橋
2020年2月21日の千代稲荷と宮川にかかる赤い太鼓橋(2009年の取材記事)
大きな赤いちょうちんが目印の千代稲荷神社(せんだいいなりじんじゃ)の本殿は津山市指定重要文化財(建造物平成15年2月17日)です。前回の取材時よりは参道の赤い太鼓橋の色が薄くなったと感じました。また、背後の樹木はすっきりして石垣がよく見えだしましたね。(嘗ては稲荷山地区に、佐平焼の登窯が五室ありました。)
2020年2月21日の千代稲荷と宮川にかかる赤い太鼓橋(2009年の取材記事)
大きな赤いちょうちんが目印の千代稲荷神社(せんだいいなりじんじゃ)の本殿は津山市指定重要文化財(建造物平成15年2月17日)です。前回の取材時よりは参道の赤い太鼓橋の色が薄くなったと感じました。また、背後の樹木はすっきりして石垣がよく見えだしましたね。(嘗ては稲荷山地区に、佐平焼の登窯が五室ありました。)
福本善兵衛 久米北条郡坪井下村 森藩~幕府領 挙母藩(ころもはん)
大庄屋まで
家伝によれば、福本家の先祖は原田氏である。原田行佐の二男政次が坪井村の笠森神社近くに移住した。政次は、亀山城落城のとき戦死した叔父の福本藤兵衛の跡を継ぐため福本に姓を変えたという。政次の孫小左衛門は、村内の比津免(ひずめ)に移住し、後に森藩の大庄屋に任命された。小左衛門の孫文左衛門が、内藤藩の大庄屋に任命され、代々勤めた。
大庄屋として
森忠政が、初めて領国を巡回した時小左衛門と父助右衛門が召されて、岩屋城攻めの話をしたという『大庄屋由緒調』。文化10年(1813)12月2日伊能忠敬の測量隊が止宿した。
2020年2月22日の午前中は生憎の雨模様となりましたが、午後からは雨も止んで甲賀、伊賀、近江、美濃等の国から友軍の参加を得て「作州忍者鶴山隊結成一周年記念事業」が執り行われました。午前の部には、あべ俊子衆議院議員がくノ一忍者姿で現れるサプライズもあり一段と盛り上がりました。
「津山城に忍者、・・・・・・・と思いし行動開始したのが平成最後の年、31年2月22日(ニン・ニンじゃ)津山城にて5名の有志によりスタートし、忍者は " 学び " から原点に おくにじまん研究会長 藤木靖史さんによる津山城の魅力発見学習をはじめ、6月15日郷土史家 山田美那子先生の学習会を皮切りに元郷博物館館長 尾島治さま講師による学習会を毎月行って来ました。また、令和2年1月25日には忍者研究の一人者 三重大学の山田雄司教授の来津して頂き懇親、 激励等頂学習を重ねてまいりました。これからも活動を続け全国に鶴山隊や津山の魅力を発信したい。」と河部隊長です。
2020年1月26日(土)天気は曇りでしたが、冬とは思えないほど暖かい日となり、 久しぶりに神南備山展望台迄行ってみることにしました。この神南備山展望台からは、津山まなびの鉄道館(扇形機関車庫)や、津山城(鶴山公園)など津山盆地を一望できる場所で見ごたえがあります。(2012年5月6日神南備山展望台の様子です。)
津山城に忍者、・・・・・・・と思いし行動開始したのが平成最後の年、31年2月22日(ニン・ニンじゃ) 津山城にて5名の有志によりスタートし、隊員同士の活動も徐々に組織的行動に移ることが出来、昨年4月8日津山城本丸にて忍者迷路中心に姫路、徳島、香川拠点に活動する忍者会の協力もえて公開演技、エフエム津山での生放送などの他県南テレビ局の取材なども頂き、広く作州忍者鶴山隊を紹介の機会も効して津山城観光の一助となったことに自信を頂きました。
又、忍者は「学び」から原点に おくにじまん研究会長 藤木靖史さんによる津山城の魅力発見学習をはじめ、6月15日郷土史家 山田美那子先生の学習会を皮切りに元郷博物館館長 尾島 治さま講師による学習会を毎月行ってきました。
基本は森家に繋がりのある点では、津山城内、衆楽園、本源寺、徳守神社等の現地学習はじめ西、東公民館を使用しての学習会、そして外部活動としてはお隣の「勝央金時まつり」等地域活動の一環として紹介、展示ブースを設けるとともに手裏剣体験コーナーを設けるとともに「くノ一」による「チャンバラごっこ」は子供たちに隊人気でとても好評でした。
作州忍者の広報活動としての一環として「ダンスチームベリーズ」オリジナル忍者ダンスも鶴山での初ステージに始まり勝北ふるさとまつり先般のB1グルメ明石大会等に出演し作州忍者鶴山隊の盛り上げに努めて頂いています。
今後は、令和2年2月22日作州忍者 鶴山隊創設一周年事業に向けて具体的な行動計画を皆様とご一緒に立てながら広く市民にも親しまれる作州忍者鶴山隊としての活動に皆様と共に邁進させて頂きたいと思いますので各皆様方の一層のご尽力賜れますようお願い致します。
令和2年1月吉日 作州忍者鶴山隊隊長 克丸
碁石 美作国府跡(津山市総社)
平安時代の後半(12世紀)に使われていた碁石です。白色または透明の碁石と黒色の碁石の2種類が出土しています。
碁石は、現在のように真ん丸なものは少なく、ほとんどが楕円形や少しいびつな円形です。石の厚さも薄いものから分厚いものまで様々で、自然石をあまり加工せずに碁石として使用していたようです。よく使われていたのか、石の表面はつるつるしています。
碁石は国府の建物があったと推定されている場所の近くで多く出土しているため、平安時代の役人たちの間では、休憩時間に囲碁をすることが流行っていたのかもしれません。
2020年1月13日(月・祝)10:00~16:00 於 津山総合体育館
津山商工会議所青年部主催のつやま綱引き大会は、平成29年度から始まり、本年度で第3回目の開催となるそうです。
地域間交流の活性化と、新たなる家庭間の繋がりを増やせる催し物として企画。市内在住の小学3年生~6年生を対象に始まったこの大会ですが、前回大会から新たに「大人の部」をもうけ年々参加者も増えて、本年度は出場チーム数「小学生の部10チーム」「大人の部16チーム」となりました。小学生は8人で、大人は5人で1チームを組みます。予選リーグは1本勝負、決勝は3本で対決しました。
小学生の部:福岡道場(2連覇)、 大人の部 :まっつんチーム(初出場初優勝)。
2020年1月元旦の津山城(鶴山公園)から拝む初日の出です。今日は外気温もマイナス1度の寒い朝となりましたが、その分空気が透き通っているようでした。
「津山瓦版」をご覧下さった皆様、昨年は色々とお世話になりました。本年も沢山の方々に津山圏域の幅広い情報を掲載していこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
2019年11月30日の黒沢山萬福寺から望む津山市内です。
子どもの生まれて初めての厄除け『十三参り』は、虚空蔵菩薩さまに智・力・福を授かる加持として今に伝えられている。境内には、開山より約100年の後、弘法大師様、来山の折、錫を持って加持の為の秘水(阿伽の水)を湧かされたと伝えられる霊泉『明星水』がある。秋から冬にかけて朝に見る事ができる雲海、津山市を一望する夜景、太陽の動き・季節とともに移り変わる山の色、さまざまな景色が望める展望所が心を癒してくれる。
わが津山盆地は、はるかゆう久の昔し地質年代層を示す自然の博物館です。津山城址か、神南備山から、この盆地とそれをめぐる山々を望見すれば、日本列島の生い立ちの一大パノラマを思い浮かべることができましょう。古生代の終わりころには激しい地変があって津山市内から西方に亘っての基盤である結晶片岩類ができました。結晶片岩の山は山形仙、烏が仙、黒沢山のようにけわしい貎をしています。
変成しなかった古生層は津山から東や南方の基盤をつくりますが岩石が柔らかいので、南海台のようなゆるい山地をつくります。中生代の三畳紀にはこの一帯は海になりました。城山、観測所あたりや河面の近くで魚の介が見出されます。
ジュラ紀では地区地だったので地層はありませんが、白亜紀の後半は激しい火山活動がありました。那岐山系や佐良山から高比野山にかけた一帯にはその頃の熔岩や火山の噴出物が非常に厚く堆積しています。大きくみて2回に亘りましたが、後かのもののみでも厚さが1,000mを下りません。激しい振動を伴って沢山の火口から猛烈な噴火があって巨大な岩石が飛びかよい、多くの降灰によって天日は暗かったことでしょう。そして火山が衰えた白亜紀の末から新生代の第三紀のはじめにかけては、次第に地下に陥没して了いました。その時に深いところで花崗岩類が侵入しました。天狗寺山や錦織などの深成岩がこれです。