田外醤油本店≪ヒサゴ醤油について≫
≪ヒサゴ醤油について≫
田外醤油本店の商標はヒサゴ(瓢箪)で、濃口(特選、金印、赤印)、淡口、さしみの5種類を製造していた。中でも、天然醸造された〝ヒサゴ特選しょうゆ〟は1年以上もかけてじっくり熟成させた天然諸味を使用し、自然なもの、純粋なものを目指して味わい一筋に磨き上げた逸品として人気を博した。
≪醤油の種類≫・濃口(特選、金印、赤印)、淡口、さしみの5種類 ・中でも、特選が一番人気であった。
(2017年3月19日取材)
≪ヒサゴ醤油について≫
田外醤油本店の商標はヒサゴ(瓢箪)で、濃口(特選、金印、赤印)、淡口、さしみの5種類を製造していた。中でも、天然醸造された〝ヒサゴ特選しょうゆ〟は1年以上もかけてじっくり熟成させた天然諸味を使用し、自然なもの、純粋なものを目指して味わい一筋に磨き上げた逸品として人気を博した。
≪醤油の種類≫・濃口(特選、金印、赤印)、淡口、さしみの5種類 ・中でも、特選が一番人気であった。
(2017年3月19日取材)
昨年11月に火災があった「津山観光センター」が2017年3月13日より土産物販売店や事務所など一部復旧工事を終えて営業を再開しました。復旧オープン式では市観光協会の竹内佑宜会長が「いろいろとご迷惑をおかけしましたが、4月に向けて心もリフレッシュして皆様をお迎えしたい。」と挨拶されました。再開された売店は以前より商品の配置を低くし、発光ダイオード照明などで明るい店内になっていました。1階 食堂、2階 会議室については、6月から補修に着手する予定だそうです。売店は午前9時~午後5時(4~9月は同6時)。年末年始を除き無休。(取材:2017年3月13日)
「第16回昔なつかしひなまつり」が真暁会館(灘屋旅館向い)であり行って来ましたよ~。江戸後期から現代に至るまでの沢山のお雛様や泥天神がずらりと並んでお出迎えしてくれました。一番古いものでは嘉永2年のものもあり全国から集めたといわれるだけあって珍しい人形やお雛様に感激しました。期間中はいつでもオープンだそうです。 4月1日(土)・2日(日)には記念イベント(お茶席・たい焼き・わた菓子・ポン菓子など)もあるそうです。また、取材させていただいた日にはあたたかい飲み物と茶菓子を頂きました。主催は本田義昭・勝田観光協会・真加部老人クラブ「真和会」です。(取材:2017年3月18日)
昔、中山神社の「流鏑馬」の神事が行われた時、この橋から一に矢を放っていたと伝えられる。(難波酒造前の橋)。なお、後に人の往来が多くなり、この儀式は一宮構えの西側通路にて行われるようになった。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年2月19日撮影)
2016年3月22日、インターンシップで鏡野から津山市内の高校へ通っている高校生をお引き受けして城東地区を巡ってきました。感想に「普段はなかなか歩く機会のない城下町でしたが、ひとつひとつ丁寧に見たり、いろいろな方と話をしたりしながら歩くと、いつもは何気なく車から見ていた景色とは別の視点で見学することができました。また、何も知らずに歩くより、各地の説明を聞きながらめぐる城下町はひと味違う雰囲気でした。」と嬉しいレポートを残してくれました。
※平成25年8月7日、文部科学大臣から重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
耳地蔵 津山市東一宮141-2
大庄屋の中島孫左衛門は、朝鮮出陣中討ち取った敵兵の耳たぶを斬り戦功の証としたが、軍命によるとはいえまことに哀れなことなので帰国後ここに塚をつくり『耳地蔵』としてその霊を弔った。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年2月19日撮影)
2017年2月19日のグリーンヒルズの散歩の様子です。この木は斜めに立っています。いろんな人がこのイスに座りながらお弁当を広げたり、犬の散歩の途中に座っていたり、この木はそんな人々を眺めているんだろうなと思いながらグリーンヒルズをぐるりと回ってみました。また、近くには「津山市立みどりの丘保育所」もオープン、近くに植えてある桜の木々も大きくなると周辺も様変わりするのかなと思いました。清々しくも、まだまだ風は寒い日でした。
自由民権と産業振興で活躍した立石岐 ~作州発展につくした時代の先覚者~
幕末から明治時代のはじめにかけては、開国の影響と新政府による近代化への改革で、世の中が大きく変わりつつありました。そのころ作州(美作地域)で、近代産業を発展させようと立ち上がったのは、豪農といわれる人たちでした。明治11年(1878)、立石岐、中島衛、内田饒穂、安黒基たちが、養蚕・製糸業をすすめようと「共之社」を結成しました。さらに彼らは、岡山県議会議員となり、自由民権運動を積極的にすすめました。
彼らの運動は「豪農民権」といわれていますが、その中心となって活躍したのは、立石岐でした。岐は、国会が開設されると、最初の議員となりました。その後も、中国鉄道の建設や学校教育の推進、キリスト教の伝導などで活躍し、作州の産業・文化の発展に大きな業績を残しました。
明治33(1900)年から昭和37(1962)年津山市南新座に生まれる。
本名は齋藤敬直(さいとうけいちょく)。33歳の時、歯科医だった三鬼は患者達のすすめで俳句を始める。この時から使用したペンネームが「三鬼」で「サンキュー」をもじったものといわれている。
35歳で代表作の「水枕ガバリと寒い海がある」を発表し新興俳句の有力な作家として認められたが、戦争一色となる社会情勢の中で、新興俳句は内容が革新的であることにより弾圧をうける。
終戦後、俳句を再開した三鬼は、近代文学としての俳句の可能性を求め、俳句の復活を志した山口誓子とともに昭和23(1948年)「天狼」を創刊するなど俳句の復興に尽力。また、敗戦直後の混乱した時代に俳人が俳句で生計を立てていけるようにと現代俳句協会を創立。句集として「旗」、「空港」、「夜の桃」、「今日」、「変身」がある。
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津山文化センター(2017年2月4日撮影)
「日本におけるモダン・ムーブメントの建築115選」に津山文化センターが選ばれる。
「モダン・ムーブメント」は「18、19世紀に端を発する合理主義的・社会改革的な思想や技術改革をベースに、線や面の構成による美学に基づいて、40年代から世界中で作られはじめた建築」を意味し、日本でもその影響を受けたデザインが試みられています。
2006年8月に津山文化センターが115選に選ばれる。
選ばれた基準は
1.装飾を用いるのではなく、線や面の構成による美学が適用されている。
2.技術の成果がデザインに反映されている。
3.社会改革的思想が見られる。
4.環境形成(広場や建築群の構成)という観点でデザインされている。ということだそうです。
115選の中には大原美術館分館、出雲大社庁の舎、神戸ポートタワーなどが選ばれている。