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取材記事内を検索ワード「はな」で検索した結果,458件の記事が見つかりました。

満奇洞(まきどう)

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 涼を求めて友と何十年ぶりかで新見市豊永赤馬にある満奇洞(まきどう)へ行ってきました。津山市から自家用車で凡そ1時間程で行ける所です。
ここは、1929(昭和4)年に歌人与謝野鉄幹・晶子夫婦が「奇に満ちた洞」と詠んだことから、満奇洞(まきどう)と呼ばれるようになったそうです。また、県の天然記念物に指定されている全長約450mの鍾乳洞です。
 入るとすぐメガネが真っ白になるくらいの半端ない涼しさの洞内は、カラフルなLEDでライトアップがされています。奥に進むにつれて、天井が低い所があったり、高い所があったりと変化が楽しめる洞窟です。また、洞内にある「恋人の泉」は『恋人の聖地』に選定されています。(2024年7月8日撮影)

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造山古墳(つくりやまこふん)

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 日本遺産「桃太郎伝説」の生まれたまち、おかやま ~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~
造山古墳:古墳時代中期(5世紀前半頃)に築造された全長約350mの前方後円墳です。現在全国4位の規模で、築造当時は国内最大でした。自由に立ち入ることができ、墳丘(ふんきゅう)を歩いて見学できる古墳としては国内最大です。
 周囲には、家来などを埋葬したといわれる倍塚(ばいづか)が6基もあり、その一つである千足古墳(せんぞくこふん)では、熊本県から運ばれた石材が使われ、直弧文(ちょっこもん)と呼ばれる直線と曲線を組み合わせた文様を刻んだ石も発見されています。
 この地に大きな勢力を持つ有力者がいたことで、対立する大和朝廷が派遣した吉備津彦命(きびつひこのみこと)が、鬼神(きしん)(温羅とも呼ばれる)を退治する伝説が生まれたと考えられています。(文:現地案内板より転載)(2024年7月3日撮影)

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御代官 池田仙九郎・重田又兵衛様塚

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 幕府の出先である代官が苛歛誅求(かれんちゅうきゅう)を行なったり、凶作や飢饉に際して救助の手段をとらなかったりの場合が多くあった為か、代官とは冷酷無比と印象づけられている。しかし多くの役人の中には温情をもって政治にあたった者もまた多く、前に述べた早川八郎左衛門のように名代官と慕われているものもある。
 町内にも滝本及び宮内に代官塚が建てられている。文化12年に之を建てたと記されて、寛政末から文化の初めに勝北の地を支配していた代官を祀ったもので、善政を布いた代官の頌徳碑(しょうとくひ)と伝えられている。
 碑面に 御代官 池田仙九郎 重田又兵衛様塚と刻まれている。建碑の経緯はさだかでないが、役人と百姓の温かいつながりが感ぜられる。(文:『奈義町史』)(2024-年6月14日撮影)

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名代官 早川八郎左衛門正紀(久世)

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早川代官の経歴と施政の大要
 代官のうちで早川八郎左衛門正紀(まさとし)は名代官と仰がれ、久世ではいくたの遺徳をしのぶ物語が伝えられている。
 早川が久世を支配したのは天明10年(1787)6月から享和元年(1802)10月関東地廻代官に転ずるまでの14か年であった。この在任年数は数多い代官のなかでも群を抜く、すなわち他の代官では初代窪島の9年、平岡・武島の7年、藤本の5年が長い方で、16名のうち半数は1~2年で交代している。早川に対する管下百姓たちの敬仰の念は、もとより早川の他と異なる施策に対するものであるが、その施策の実現は1~2年の在任では不可能で、この長期在任を基盤にはじめて可能であったということができる。
 しかし、長期在任必ずしも名大官としての施策を生むとは限らない。代官にその人を得ること、教養と経験に富む代官にしてはじめて可能であることはいうまでもない。早川はその点でも秀れた代官であった。

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2024 橋本家のバラの花

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 今年も2024年5月15日・24日に橋本家の見事なバラを拝見しに伺いました。
 橋本さん宅のお庭は、同じ敷地内にある橋本さんと娘さん一家でお世話なさっておられます。どちらの家もバラの花がお好きだそうで、バラや様々な花々で毎年見事な花が咲き乱れるお庭として皆さんに解放されていましたが、残念なことに今年でオープンガーデンは終わりとのことでした。

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芦田さん宅のバラの花 2024

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 2024年5月17日の芦田さん宅の庭のバラです。
良い天気で昨日の強い風が嘘のような良い天気になりました。「庭のバラがいい感じになって来たのよ!」と連絡を頂き、志戸部の少し小高いお家に行ってきました。芦田さん宅の庭の東側と南側にあるスペースに所狭しとバラの花が植えられています。毎年愛情を込めてお世話されたバラの花達が迎えてくれました。バルコニーでそよ風に吹かれながらお茶するのが至福の時です。

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グリーンヒルズ津山のバラ 2024

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 2024年5月15日のグリンヒルズで咲くバラの花
津山市街地北部の丘陵地にあるグリーンヒルズは、緑あふれる公園で、大勢の人がジョギングや散歩をされている人気スポットです。その一角に今満開の赤白ピンクの可愛いバラの花が植えられています。種類は多くはありませんが、青空にスックと誇らしげにたっています。散歩しながら花々を見ているとリフレッシュできます。

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2024 阿波の花桃が咲くころ

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 2024年4月19日の青空の下、心地よい風もある中を阿波までドライブがてら、毎年楽しみにしている阿波の花桃を見に行ってきました。阿波の花桃の木は満開で綺麗に咲いていました。濃いピンク、薄いピンク、白、白と赤の混じった色とりどりの花びらが実に愛らしく、また、赤や黄色のチューリップ、シャクナゲの花、オキナグサ、さくら、ユキヤナギなどが、浅黄色の芽吹いた木々の葉っぱと相まって美しい光景でした。
 翌日には加茂マラソンがあるので、阿波への道筋には全国のみなさんをお迎えする案内ののぼりが、春風にはためいていました。

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安来市加納美術館(島根県安来市)

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 2023年10月13日津山市文化協会会員ミューズの会の有志で安来市加納美術館に行ってきました。
時折小雨が降る中、また山奥ではありましたが立派な美術館で、一同大変感激致しました。改めて美術と平和について教えて頂き、いままで知らなかったという事がなんだか恥ずかしい気持ちと、知って得した気持ちと入り混じりながら帰ってきました。


安来市加納美術館について(島根県安来市広瀬町布部345-27)
 当館は、恒久平和を願い続けた画家加納莞蕾(かんらい)(1904~1977年)の思想や行動を伝えたいと願って、莞蕾の長男加納溥基(ひろき)が私費を投じて建設し、その後安来市に寄贈されて安来市加納美術館となりました。
 若い頃、岡田三郎助に学んだ莞蕾は、主に独立美術展で作品を発表しました。戦後はフィリピンの刑務所に収容されていた日本人戦犯の釈放に尽力し、さらに「世界児童憲章」の制定を訴え続けました。
 当館は莞蕾の絵画や書および平和運動の資料を収蔵しています。また、加納溥基が蒐集した古備前や備前焼の名品、茶の湯の名椀、小野竹喬、池田遙邨の日本画および安来ゆかりの作家の作品を所蔵しています。
 そして、加納莞蕾の平和への思いを美術館の基本理念とし、地域文化の発展を願って様々な企画展を開催しています。(全文:安来市加納美術館展示案内より転載)(撮影:2023年10月13日・2024年2月26日)

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2024年4月10日の津山城(鶴山公園)のさくら

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 2024年4月10日の津山城(鶴山公園)のさくらの花です。花びらの真ん中が赤く色づいています。
 久しぶりの青空に誘われて今年最後の津山城(鶴山公園)のさくらの花を見に行ってきました。
さくらの花は既に散りゆく状態でしたが、枝にはまだまだ残っていて綺麗でした。また、種類の違うさくらの花がこれから咲こうとしていました。帰ってから、さくらの花の部位の名称を検索していたら、なんと、さくらの花の終わりがけの写真集の多いことにびっくりしました。

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