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室尾毘沙門堂(加茂郷88ヶ所霊場第3番札所)

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 2022年11月4日、加茂町青柳室尾にある、加茂郷88ヶ所霊場第3番札所の室尾毘沙門堂にお参りしてきました。ここはグラウンドの北50mの山中の旧道の上で右側に石段があります。先達は木元林造さんと、山深いところなので小玉博司さんに助っ人をお願いしてくださいました。瓦葺の木造で造られたお堂でご本尊は毘沙門天です。

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日岡八幡神社(三日月)

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日岡八幡神社略記
 日岡八幡神社は平安時代後冷泉天皇の夭喜元年(1053年)山城国石清水八幡宮の別宮として祭られた。当時は末社も多く社人77人、神馬数十頭を抱える大社で宮の東に馬場もあり神殿四町八反を有し供物を栽培した。祭礼は毎年陰暦8月15日に挙行され数十人の神官が袖を連らね数十ヶ村の氏子が参集する中を神事祭礼が進められまた重陽角力があり盛大をきわめたといわれている。
 安土桃山時代豊臣秀吉荘園制度を廃し郷村制を布すや社田を召し上げ氏子も八ヶ村とすべてが縮小された。江戸時代寛永元年(1624年)開墾山焼きの火が延焼し本殿その他古文書にいたるまで全焼した。当時の神主船曳光高は乃井野大庄屋井上十郎兵衛とはかり村々の庄屋氏子とともに再建に努力し明暦2年(1656年)焼失御32年にして本殿を造築8月15日遷宮した。これが現在の神殿である。元禄10年(1697年)森対馬守長俊津山から乃井野に移封されるやわけても当社を信仰し拝殿、石の鳥居、神門、その他多くのものを寄進し修復にも力をそそいだ。明治7年(1874年)郷社となり昭和15年(1940年)県社にされたが終戦後は社格廃止となり現在に至る。

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衆楽園「竹あかり」

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 2023年7月29日(土) 〜 2023年7月30日(日) 津山市山北にある衆楽園(旧津山藩別邸庭園)で、竹が奏でるほのあかり「衆楽園 竹あかり」が(一社)津山青年会議所主催で執り行われました。
 「津山藩初代藩主・森忠政公の奥方・お岩の初盆に竹を使い万灯をともしたと言われ、それから 76 年間、庶民らの手によって万灯会は続けられてきたそうです。先人の想いを馳せると共に、衆楽園の魅力発信にもつなげられれば」との思いからだそうです。

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播州平福神吉氏本陣別邸跡庭園「現 遠入邸」

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播州平福神吉氏本陣別邸跡庭園 「現,遠入邸」
 池泉観賞池の現存する「播州平福神吉氏本陣別邸跡庭園」は兵庫県佐用町平福・岡山県美作市大原古町・鳥取県智頭町の三県を通る「因幡街道」に面した三つの宿場の一つ、平福宿の中程に「門長屋」を持ち、本邸は大庄屋・代官を務めた田住氏の下で台頭した神吉氏の下屋敷で「平福本陣別邸庭園」とし機能していたと考えられています。
 当別邸書院は棟札(むねふだ)に「正徳二年建立(1712)」と記されていることから、建立から約300有余年になります。書院に付随する庭園も、同時期の江戸時代初期に作庭されたと思われます。庭園は利神山山頂の利神山城を背景にした『池泉観賞式庭園』です。
 瓢箪形の池泉には枯滝を配し、中央出島を蓬莱山(ほうらいさん)としています。池泉に石橋を二基、木橋を一基架け、邸内を巡ることも出来る庭園様式です。地割(ちわり)(平面構成)や護岸石組の配石がよく、庭園内の何処からでも優れた景観が鑑賞できる様に配慮された庭園構成と言えます。また、要所に立石を用いた石組や力強い枯滝石組など江戸時代初期の特徴をよく備えており、この時代この地域を代表する庭園と評価されています。
兵庫県庭園史家 西 桂

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中山神社惣神殿最終見学会

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 2023年6月17日津山市一宮の中山神社境内にある、津山市指定重要文化財中山神社惣神殿の保存修理現場が一般公開されており参加して来ました。この日は雲一つない青空の良い天気に恵まれ、惣神殿の檜皮葺の屋根が黄金に輝いていました。社殿全体の姿と、ふだん見ることができない本殿内の様子も見学してきました。
修復前の2017年4月1日.6月14日撮影
『中山神社資料』によれば「美作の国中12郡の大小神社の神を祀る」とある、別の言い方では「山上山下120社」とも。寛保2年(1742年)の造営で、社殿は春日造りの一変形で唐破風がついている。屋根は桧皮葺、荘重華麗の趣に富む造りで、境内に占める位置から見ても全体の調和が良く整っている社である。
 18世紀の中頃の神社建築を伝える建造物として、平成20年(2008)10月30日津山指定重要文化財に指定された。大正3年に御手洗川の外から現在地に移転された。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より転載)

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西知和大師堂(加茂郷88カ所霊場11番札所)

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 西知和大師堂は、加茂町知和西知和にあり、内田さん宅の裏側の線路を渡った所にあります。ここは、内田さん宅の宅地内を通らせていただかなくてはならないので、木元さんがお手配くださいました。線路を渡らないといけない場所なので少し緊張しました。お祀りしてあるのは毘沙門天です。
 この日は、運よく内田さんが居られて案内していただき無事にお詣りすることが出来ました。(先達は木元林造さん)(2022年10月4日撮影)

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両山寺で咲くシャクナゲの花

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 2023年4月30日にドライブがてら美咲町にある両山寺へシャクナゲの花を見に伺ってきました。
この両山寺の境内には色とりどりに咲くシャクナゲの花で有名なお寺です。見ごろは少し過ぎていましたが、それでも境内で咲く綺麗な山藤、そしてシャクナゲの花と出会えました。
 二上山にある両山寺は、元明天皇の和銅七年(714)に開祖泰澄法師が観音の霊夢により造営した古い寺院です。また、両山寺の鎮守護法善神は、毎年8月14日祭式(県指定無形民俗文化財)を修め、天下泰平、万民快楽、五穀豊穣の祈念が行われています。

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2023 長法寺のアジサイの咲くころ

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 2023年6月13日紫陽花寺で有名な長法寺へ伺って来ました。
着くとすぐに境内からなにやら賑やかな声が聞こえてきました。声の主はおそらく近くにあるだろう保育園の園児の声でした。先生と盛んに記念写真を撮っている姿がとても可愛くほほえましい光景だったので、顔が解らないように撮らせていただきました。アジサイの花もこれからが本番でしょうが、初々しいアジサイを観るなら今です。

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「国指定史跡」利神城跡(りかんじょうあと)(因幡街道宿場町平福)

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 利神城跡は、ここ佐用町平福にある中世から江戸初期にかけての城跡で、現在見られるような石垣造りの姿になったのは、慶長5(1600)年のころになります。
 播磨52万石を領し、姫路城主となった池田輝政は、領内に六つの支城を築いたとされ、その一つが利神城であり、城主となった輝政の甥、由之が山頂の城と麓の館を大改修したと伝えられています。
 城は周囲に総延長700m近くの石垣を巡らし、山頂に天守を築きあげた姿は「雲突城」とも呼ばれています。
 元和元(1615)年には池田輝政の六男、輝興が作用郡2万5千石を領して入城。このころ城下町の整備も進み、のちの"宿場町平福"の繁栄をもととなったといわれています。
 しかし寛永8(1631)年、輝興が赤穂へ移り、領地が山崎藩(宍粟市)に組み込まれると城主不在として廃城になったと伝えられます。(文:現地案内板より転載)

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牧野博士のふるさと土佐を訪ねて

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 2023年5月27日「第40回 津山洋学資料館友の会研修バス旅行 牧野博士のふるさと土佐を訪ねて」の研修旅行に参加してまいりました。朝ドラ『らんまん』で毎日拝見していますが、牧野博士の愛した植物や実像に触れてみたいと参加したのですが、バスの中で津山洋学資料館児島館長の予習があり、牧野博士と津山の宇田川家、箕作家とのつながりや、なんと博士には13人(6人早世)の子どもがいた等が知れたり、大変興味深いお話でした。また、牧野博士は94歳と長寿だったのですが、すき焼き、トマト、コーヒー(珈琲)がお好きだったらしい。


☆牧野富太郎が逝去した翌年の昭和33年(1958)に開園、平成11年(1999)に園地を拡張、記念館を新設しリニューアル。彼を育んだ高知県の植物を中心に、ゆかりの植物など3,000種が四季を彩り、年間を通じて多彩なイベントを開催しています。
☆彼が収集した蔵書や植物画、遺品などは、没後に牧野家から譲られ、牧野文庫として記念館の展示のみならず植物學の調査研究に活用されています、中には、宇田川榕菴「植学啓原」を16歳の時に自ら写したものもあり、注目すべき資料です。(文:津山洋学資料館友の会研修バス旅行案内より)
 

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