黒見山 寶聚院 観音寺(美作市)
美作市にある観音寺は、別名もみじ寺と呼ばれ親しまれているお寺です。11月上旬にはもみじ祭りが開催され、写真や俳句コンテストなどが賑やかに行われます。境内には色とりどりのモミジが絵にも言われぬくらい美しく思わず写真を撮りたくなります。
(作東町指定天然記念物 観音寺の森)
東作誌によるとこのあたりは江見の郷のうちで山家五か村を称して「山家の庄」といったという。その景観を今も残しているのがこの森だそうです。(2014年11月16日取材の時の様子)
美作市にある観音寺は、別名もみじ寺と呼ばれ親しまれているお寺です。11月上旬にはもみじ祭りが開催され、写真や俳句コンテストなどが賑やかに行われます。境内には色とりどりのモミジが絵にも言われぬくらい美しく思わず写真を撮りたくなります。
(作東町指定天然記念物 観音寺の森)
東作誌によるとこのあたりは江見の郷のうちで山家五か村を称して「山家の庄」といったという。その景観を今も残しているのがこの森だそうです。(2014年11月16日取材の時の様子)
2019年11月4日、暫くご無沙汰していたサムハラ神社奥宮へ参拝に行って参りました。駐車場に着くと沢山の車が駐車していて、やっと一台分が空いていたので駐車できました。ラッキー、これもサムハラ様のお蔭かもしれないと思いました。
何より、びっくりしたのは、蛭子 能収さんご夫妻がお参りに来られていました。何でも奥様が神社巡りをされているとかでご一緒に来られたようでした。岡山からタクシーで来られたそうで、明日は大阪のサムハラ様に参られるそうです。蛭子さんと握手をさせて頂きましたが、気さくに撮影に応じてくださったり本当にやさしくて温かい方でした。
当山は、天平年中に行基菩薩が一刀三礼により、本尊を勧請し、一宇を創建したと伝わります。
平安朝の一條天皇の時代に、陰陽博士清明・道満の二人が日本興地図を納めるために、数日当山にとどまり、石函を作り地図を納めたといわれ、石を切り出した場所にお寺が建立され、上野山明徳寺と号しました。
戦国乱世の天正九年(1581)、毛利軍の西屋城攻略の戦火に巻き込まれ、堂宇全て灰燼と化しますが、慶長年間、釈龍圓上人により中興再建され、この時に寺号と山号を入れ替え、明徳山上野寺と改称されました。
寛政年中の『寺院本末帳』には「西々條郡函村妙徳山世尊院上野寺」との記述も見え、時代の変遷を経て、現在の地に法灯を伝えております。(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)(写真:2019年9月15日)
江戸時代の記録によれば「神田植(かみたうえ)」とよばれており、毎年5月5日に布施神社の境内で行われる豊作を祈る祭りです。「荒起こし」「しろかき」「くわじろ」「田植え」の神事が繰り広げられ、最後に殿様と従者(福太郎)が登場して、おもしろいしぐさを演じます。殿様と福太郎のかけあいがくり広げられ、見物人は笑いに包まれます。しかし、殿様は決して笑いません。「殿様が笑うと、その年は不作になる」と言われているからです。(文:『守ろう地域の宝!民族芸能~美作編~』より)(2019年5月5日撮影)岡山県重要民俗文化財
2019年4月9日、一度ゆっくり加茂のさくらを撮りたいと思っていましたので、阿波にある尾所のさくらの開花状況を確認した後、加茂を回ってみました。前にも通ったはずの道でも季節が変わるとまた以前と違った新しい発見があるものだと感じました。穏やかで時間がゆっくりと流れる感じがするいい所ですね。
城東むかし町家(梶村家)は江戸時代苗字帯刀を許された津山藩の「札元」両替商といった豪商の家柄で、のち皇族の方もお泊りになった大変格式のある家です。蔵が2つあり、東蔵は大正時代・西蔵は昭和時代です。このように江戸・明治・大正・昭和の各時代の建物が一つの屋敷内にある変化に富んだ町家での雛様達です。是非、ご覧ください。
2019年2月10日(日) ・ 11日(月) 津山市田町の津山土岐家財団記念館にて、津山市制施行90周年記念事業「津山土岐家歴史資料展」がありました。津山土岐家から津山郷土博物館に寄贈した歴史遺産(津山松平藩士の甲冑、刀剣、書画など)数百点のうち、主な歴史資料十数点が公開されました。とても保存状態の良い品が目の前で拝見できました。
2019年2月5日のイナバ化粧品店さんです。
この日は抜けるような青い空でポカポカ暖かな日になったので、一ヶ月ぶりにイナバ化粧品店さんをお訪ねしてきました。全国から来られたファンの皆様や、他県の高校生が研修で訪れたついでにイナバ化粧品店に寄りたいとお出でになっていました。その後、サムハラ神社へ行く道中、受験の話から「うちの子は朝ラジオで英会話を聞いて勉強をしていたのよ。」と教えてくださいました。
美作の国一宮(津山市一宮)に、中山神社というお宮がある。今は、牛の神さまとしてうやまわれているが、むかし、この神社のご神体は、サルであったといわれている。
猿神社(さるじんじゃ)今昔物語二六巻にみえる「中山の猿」の霊を祀るとされ、現在、猿田彦神として祀られる。牛馬の安産守護の神として信仰を受け、今も尚、ぬいぐるみの小猿を奉納する風習が残る。
津山市下田邑の字平尾に三子山泉水寺という祈祷の寺がある。
往時、出雲の富田の城主尼子氏の祈願所であったという。(作陽誌より)
現在は、毎年大晦日に各地から修験道の行者が、泉水寺に集まり、四方に矢を放ち、大護摩を焚き、火渡りの行事を行って、世界平和・国家安寧、家福増長、厄難消除、健康増進を祈願している。
美作では数少ない修験道の伝統行事を厳修している寺院で知られている。