明徳山 上野寺(鏡野町)

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 当山は、天平年中に行基菩薩が一刀三礼により、本尊を勧請し、一宇を創建したと伝わります。
平安朝の一條天皇の時代に、陰陽博士清明・道満の二人が日本興地図を納めるために、数日当山にとどまり、石函を作り地図を納めたといわれ、石を切り出した場所にお寺が建立され、上野山明徳寺と号しました。
 戦国乱世の天正九年(1581)、毛利軍の西屋城攻略の戦火に巻き込まれ、堂宇全て灰燼と化しますが、慶長年間、釈龍圓上人により中興再建され、この時に寺号と山号を入れ替え、明徳山上野寺と改称されました。
 寛政年中の『寺院本末帳』には「西々條郡函村妙徳山世尊院上野寺」との記述も見え、時代の変遷を経て、現在の地に法灯を伝えております。(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)(写真:2019年9月15日)

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参道

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境内                      大師像

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山門

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本堂 本尊:不空羂索観世音菩薩

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天然記念物「高野槙」
 紀伊山地が自生地と知られる高野槙の大木が境内にあり、推定樹齢が750年以上です。言い伝えでは、この霊木の中に白蛇が住むとされ、ご神体の「竜王権現」が本堂に祀られています。

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菩薩様                     ぼけ封じ観音

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境内                     

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境内