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衆楽園で満開の桜と春の調べ、そして夢灯り庭園

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 2022年3月28日に衆楽園で行われた恒例の「桜の花と春の調べ」を聞きに伺いました。さくら満開の中、琴の調べが庭園内に流れて優雅なひと時を過ごしてきました。
 国の名勝に指定されている衆楽園では、しだれ桜をはじめ、咲く時期が違う数種類のさくらの木が植えられていて丁度満開になっています。
 また、今年初めての企画「つやま夢灯り庭園」主催:つやま夢灯り実行委員会(会長 金田長一郎)が、4月10日まで行われています。庭園の各所に「夢」をテーマに創作した光のアートを点在させ、近世池泉回遊式庭園の水面を幻想的に演出とのこと。とても素敵だったので出来るなら継続してほしいと願いますが、スタッフの皆様のご苦労を考えると無理も言えない。

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いけばな池坊津山支部花展「春のいろどり」

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 いけばな池坊津山支部花展「春のいろどり」が、2022年3月5日(土)・6日(日)の2日間、アルネ津山4階の津山市地域交流センターで開催されました。
 会場内では、色とりどりのお花が活けられていて、来場者の皆さんを和ませていました。
コロナ禍の中で出かける機会も少なくなってしまった花好きに、一足早いお花見でした。やっぱりお花はいいなぁ~、お花に出会って心の中がぱっと明るくなった気がしました。(2022年3月5日撮影)

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つやま夢灯り庭園

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 2022年2月25日行って参りました。只今、国の名勝に指定されている「衆楽園」で、夜のアートイベント「つやま夢灯り庭園」が行われています。庭園の各所に「夢」をテーマに創作した光のアートが近世池泉回式庭園の水面を彩りとても幻想的で美しく感動しました。このイベントは、観光シーズンに向け地域の活性化につなげようと(主催:つやま夢灯り実行委員・共催:津山青年会議所)企画されたもので昨年5月に行われる予定が、新型コロナ感染拡大の為延期になり、追加費用を津山市民の有志がクラウドファンディングで実現させたものです。

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衆楽園の池底樋改修工事に伴う発掘調査

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 2021年11月9日、紅葉を見ようと衆楽園を訪ねてみたら、丁度池の水を排水するための底樋の改修工事とそれに伴う発掘調査が始まるとのことで、数回にわたって作業を拝見してきました。
 庭園が作られた当時のものが何か出てくるのかと興味もあってのことです。

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石上布都魂神社(イソノカミフツミタマジンジャ)

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由緒
 当社は「延喜式」神名帳、備前国赤坂郡6座の内の1社である。備前国総社神名帳128社の中で正2位と記されている。古くは書紀一書に「其の蛇を断ちし剣をば、なづけて蛇之麁と日ふ。此は今石上に在す。」また一書に「素盞嗚尊、乃ち天蝿断の剣を以て、其の大蛇を斬りたまふ。」と記している。
 「吉備温故秘録」で大沢惟貞は記紀、旧事記、神社啓蒙天孫本記、古語拾遺等から「曰く、この数書以て考ふるに、上古素盞嗚尊、大蛇を断の剣は当社に在る事明らかなり、その後、崇神天皇の御宇大和国山辺郡に移し奉るとあれども、当社を廃されしと見えず。(以下略)」
 寛文9年備前藩主池田綱政が山頂磐座に在った小祠を造営復興し、延宝2年「社記1巻、社領20石」を廃藩まで奉納した。他に「備前一宮」として、今日「一宮巡拝」等で参拝者が増えつつある。
 山頂の社殿は明治43年火災に遭い現在地に移す。
 昭和20年「県社の資格有り」と認められた。
 現在拝殿は平成5年改築。(文:岡山県神社庁HPより)(2022年1月4日参拝)

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つながる「出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会 万能乢コース(1)

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 はじめに
 出雲街道とは、播磨の国、姫路に端を発し、出雲の国、松江に至る約215Kmの古道を言う。また、一説によれば松江の先、出雲大社とも言われている。
 大和朝廷が、武力で全国を平定としたのに対し、出雲は神話に登場するが如く、平和裡に国譲りが行われ、朝廷より優遇され、鉄の産出も始まり、街道は繁栄してきました。
 街道は人、物、文化を運ぶ役目を果たし、その重要性は五街道(東海・中仙・甲州・日光・奥洲)に匹敵し、同等の街道として発展してきました。
 その後の街道は時代と共に、道筋は変遷、消失を繰り返していますが、現存している道で2コース有る場合は、合理性が高いか、最も古い道を採用しています。
 今回の「つながる出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会は、特別企画 第4弾として、万能乢より江見までを、「勝間田宿の会」を主催者にして、「土居宿を後世にのこす会」と「勝山宿の会」とで共催して開催いたします。また、万能乢コースと別に、古代より開けた「杉坂峠コース」がありますが、このコースは又の機会に譲り、参勤交代が始まった江戸中期(慶長9年頃)より、土居宿が設置され「万能乢コース」が開発されたので、今回は同コースを歩きます。(文:特別企画(第4弾)出雲街道(Ⅱ)を歩こう会 主催:出雲街道 勝間田宿の会、共催:土居宿を後世にのこす会・勝山宿の会案内より)

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出雲街道を歩こう会「江見~ノースヴィレッジ」【2】

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2021年10月24日(日)特別企画第3弾 つながる「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会「ふるさと再発見 美作国歴史遺産の古道」(区間 美作市・江見~勝央町・ノースヴィレッジ9.3Km)【2】

郷土記念物 笠懸の森
 元弘2年(1332)後醍醐天皇が隠岐に流される途中お休みになられ、武士の笠懸の技をご覧になった故事から名づけられたこの森は、現在では11本の木々に覆われ荒神様を祀る鎮守の森となっています。中には、天保年間の荒神さまの石灯籠や文久年間の墓、また、その他現在に至る記念碑など様々な石造物が笠懸の森の中に混在し、現在でも信仰の対象として祀られています。
 また、樹齢300年のムクノキの巨木をはじめ、エノキの巨樹が繁茂しており歴史の古さを物語っています。(文:現地看板より)

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永慶山 寶持院 光明寺(美作市)

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永慶山 寶持院 光明寺
 当山は、天平15年(743)に行基菩薩によって、当時の勝北郡矢田邑高岸(現在の美作市矢田)に開創されました。承元2年(1208)に、現在の美作市和田(当時の勝南郡和田村)に移転しました。
 矢田高岸の寺跡には、池や井戸などがあり、今でも当時の面影を残しています。
 当時の山号は、随喜山と称していましたが、後に永慶山と改称しました。
 熱心な檀信徒の厚い信仰と菩提心により、平成13年の本堂に引き続き、23年の庫裡と、次々に伽藍が整備されました。近隣に類をみない荘厳・雄大な建築です。境内には樹齢250余年の山茶花(白色)の古木があり、裏庭には樹齢30~40年の藪椿(樹高5~6m)が約200本あり、満開時は見事です。
(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年9月19日撮影)

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第33回しんわ美術展 2021

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 只今、第33回しんわ美術展(主催:津山しんわ文化財団)が、2021年10月29日~11月7日まで津山市立文化展示ホールで開催されています。会場内では日本画、洋画、版画などの秀作が展示されていて多の方が熱心に作品をご覧になっていました。どの作品も目を見張る作品で一見の価値あり。

【講評】
 日本画52点、洋画206点、版画9点の応募総数267点から150点の入選としました。岡山県内の応募者は113人、県外からの応募数がそれを上まわり154人となりました。
 昨年は、コロナ禍で中止を余儀なくされ、今年になっても第5波の影響により応募数が減少してしまいましたが、それでも数多くの出品があり、そして、さまざまな表現に富んだ質の高い作品ばかりで、さすがに全国公募のコンクールとして広く定着していると実感しました。
 描かれている題材は多岐にわたり、技術的にもしっかりした作品が多いと思いました。具象的傾向の作品が多かったのですが、細密描写、大胆な色彩、筆使い、重い印象、軽やかな印象、だまし絵のような構成と多彩な表現で溢れていました。また抽象作品にも素晴らしい作品がみられました。
 長年にわたり、岡山県北の地から、このコンクールを通じて文化発信を続けてこられた貴重な存在としての「津山しんわ文化財団」に敬意を表するとともに、今後も文化振興の一役を担われることを期待しております。(文:審査員:池田良則、審査員:西田眞人)

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梅雲院殿(長継側室於つま)・守光院殿(長継乳母)の墓

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2021年3月津山市東一宮にある瑠璃山本光寺に伺いました。
 本光寺は二代藩主長継公が延宝元年(1673)修造し瑠璃山本光寺と改めて和尚を以って開山したお寺である。長継公は津山藩で最も長く藩を統治した人物で、森家の盛衰を見届けた唯一の人物でもある。その長継公には多くの側室がいたが、その内の2人の側室の墓がある。そのひとつが梅雲院殿(於つま)さんである。裏庭の右手を少し上がると立派なお墓が二つ並んで立っています。梅雲院殿のお墓は向かって左側です。右側は、守光院殿(長継乳母)の墓です。
 また、梅雲院殿のお墓は、長継公の母堂菩提寺である小田中の法源山宗永寺にもあり、二人の子どもと共に立っている。同じ津山市に2つのお墓を持った梅雲院殿(於つま)はどんな方だったのでしょうか?

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