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取材記事内を検索ワード「森家」で検索した結果,134件の記事が見つかりました。

小須賀稲荷神社(材木町)

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 材木町は津山城築城の折、材木置き場になったことに由来する。
森家の重臣森采女の別邸が置かれたが、松平藩に代わり重臣の小須賀氏の別邸となった。一説にこの屋敷の屋敷神が小須賀稲荷神社として伝わり、現在は材木町と伏見町の町内神になったと伝えられている。武士が屋敷神として稲荷の洞を設けるようになったのは、江戸中期、足軽の子から、幕府の老中まで出世した田沼意次(おきつぐ)が、稲荷を厚く信仰していた為という説がある。
所在:津山市材木町 祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと) 創建:慶長年間(1596~1615) 以降
祭礼:秋祭10/末~11/初
(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)

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御先神社(田町)

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城下町津山に残る多くの小社の中で、風格ある社建築を持つこの御先明神も古い歴史を持っている。
森家の家臣吉田作左衛門が、二宮高野神社境内にある御先神社を寛永年間にこの地に勧請した。
吉田邸は刃傷沙汰の伝承のある侍屋敷。その話に絡んで稲荷神の「うかのみたま」のお使いである狐を屋敷神として杷ったもの。現在の社は明治時代の建造である。
所在:津山市田町 祭神:お稲荷様=倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 創建:寛永年閣(1624~1643) 以降
祭礼:夏祭7/28 秋祭10/28 初午祭2/28(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)

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津山・城西まるごと博物館フェア2016

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2016年10月2日(日)、津山市城西地域で「津山・城西まるごと博物館フェア2016」が開催されました。 この催しは、津山市の「城西地区の出雲街道沿線(西今町~宮脇町)を博物館」に見立て、地域の皆さんが手作りで開催するイベントで午前10時~午後3時まで行われました。当日は、アート&クラフト展、オープニングパレード、バルーンアート、城西こどもガイド、ミルクホール、まるごと合唱団、吹奏楽の演奏、城西お宝さがし、人力車、作州絣の実演と体験、キッズフリマ、屋台村など盛りだくさんの内容でした。

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本光禅寺の銀モクセイ

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 本光寺の銀モクセイ 市指定天然記念物
 中山神社の西南約1㎞の小さな谷間に黄檗宗瑠璃山本光寺がある。緩やかに伸びる参道を歩いて左右の放生池の間を過ぎて山門に向かう。山門をくぐり境内に入ると通路の直ぐ両側に、空を覆うようなモクセイの巨樹が立つ。両方の株の間隔は7mで、それぞれ高さ0.9mの方形の盛り土の上に立つ。ともに根元から多数の枝を林立させて、枝張りは四方へ5~6mも伸びている。
 両樹の寸法は、右株が根元周囲約4.2m、樹高約15mで、左株が根元周囲約3.4m、樹高約13mである。いずれも樹齢は300年を越えると推定されている。
 (2016年8月15日撮影)

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阿波の高福寺のアジサイ

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2016年7月2日の阿波の高福寺です。津山市内より少し離れた所というより奥に阿波の高福寺があります。ここは気温も市内より少し低く、アジサイもすこし遅めに咲き出します。この日はあいにくの梅雨空ですっきりとしていない空でしたが、緑一色の中にアジサイの花が映えていました。(2009年の取材)(2015年のアジサイ)

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美作国万灯会ー333年ぶりに甦るー 翔鶴・悠久・宴・深山

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「美作国万灯会(みまさかのくにまんとうえ)ー333年ぶりに甦るー 翔鶴・悠久・宴・深山 監修 山形楽」が、2016年7月2日(土)午後6時~9時(※雨天順延)が臨済宗妙心寺派 東海山本源寺に於いて執り行われました。
 「万灯会」とは、夕方から夜にかけて、数多くの灯明をともして、仏様や御先祖様を祀り、御供養する仏教法要の一つです。今からおよそ1270年前の奈良時代744年(天平16年)に、東大寺の前身の金鐘寺(こんしゅじ)というお寺で、万灯を灯したのが、日本に於ける万灯会の始まりとされています。
  津山に於いては、本源寺が森忠政公によって現在の場所に建立された年の慶長12(1607)年、5月3日に忠政公の奥方、お岩の方が亡くなり、本源寺にお祀りされました。
その年のお岩の方の初盆、旧暦の7月14日・15日に、桶屋町・吹屋町から本源寺のお岩の方の墓所まで、万灯が灯されました。そしてその翌年には、吉井川の川向うから墓所まで、津山の町中に灯明が灯されました。現代のように電気のない時代ですから、さぞ美しかった事と思います。

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浅野家と義士の寺 台雲山 花岳寺(かがくじ)

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花岳寺(かがくじ)は、兵庫県赤穂市加里屋にある曹洞宗の寺院で、歴代赤穂藩主の菩提寺。山号は台雲山(たいうんざん)。
播磨国赤穂藩・浅野家、永井家、森家歴代藩主の菩提寺であり、また、大石良雄の祖先が眠る大石家墓所、義士墓所がある。浅野家、赤穂義士に関する宝物を展示する宝物館、義士木像堂には、大石家代々の持仏・千手観音を祀り、四十七士の木像を安置する。
江戸時代初期の正保2年(1645年)、常陸国笠間藩より転封となった浅野長直公が浅野家菩提寺として創建した。元禄14年(1701年)、浅野長矩公による江戸城松之廊下での吉良義央に対する刃傷事件が起こり、浅野家は改易となった。翌、元禄15年(1702年)赤穂義士による吉良邸討ち入りが起きた。(赤穂事件)その後、赤穂藩には永井家が入り、宝永3年(1706年)には森家が赤穂藩主となり、花岳寺を菩提寺と定めた。赤穂義士37回忌にあたる元文4年(1739年)には境内に有志により義士墓が建立された。ここには遺髪が納められているとされる。また、宝暦2年(1752年)は赤穂義士50回忌にあたり、大石主税と幼な友達であった龍野の藩儒藤江熊陽(ふじえゆうよう)の撰による碑文が刻まれた忠義塚が建立された。明治維新後、赤穂城が解体され塩屋惣門が花岳寺の山門として移築されたとされる。現在山門は、赤穂市文化財に指定されている。(2016年5月5日撮影)

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衆楽園の花たち

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衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。
2016年5月30日の衆楽園の様子を見て来ました。園内にはサツキの花やスイレンの花が綺麗に咲いていました。また、この頃は園内が緑に覆われてとても綺麗です。(前回の取材)(「曲水の宴」とロバートキャンベルさん)

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忠臣蔵四十七義士・茅野和助常成について

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自眼流居合の使い手にして歌人
茅野和助常成
志深浅働次47士中43番目
・町医者に扮して、吉良邸付近を探索。
・赤穂浅野家に四年間仕えただけにもかかわらず、討入りに加わった。
・槍は浅野家屈指の使い手で、自眼流居合を得意とした。
・歌道で秀で、秀峰と号した。
生年・生国 寛文7年(1667)・美作国
役   職 横目
行   年 37歳(元禄16年2月4日、切腹)
祖父・父ともに津山森家に仕えていた。常成は最初から義盟に加わり、吉良邸探索に力を尽くした。泉岳寺修業僧白明の依頼により和歌一首、俳句一句を書いた。

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忠臣蔵四十七義士・神崎与五郎則安について

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脱藩藩士を厳しく批判した「赤城盟伝」を著した赤穂藩随一の酒豪
神崎与五郎則休(1666~1703)
志深浅働次47士中37番目
・酒好きで、ついたあだ名が「燗酒よかろう」(講談)
・短歌を詠み、俳句を作り、江農舎竹平と号す。
・「赤城盟伝」を前原伊助と共に記した。
・吉良邸近くに、前原と共に米屋を開き、探索にあたる。
生年・生国 寛文6年(1666)・美作国
役   職 徒目付、郡目付
行   年 38歳(元禄16年2月4日、切腹)
もと津山森家の家来だった。文武両道に秀でていただけでなく、俳句が得意でいくつか残されている。扇子や小物を売り歩いて吉良邸を探索した。前原宗房とともに「赤城盟伝」を著した。

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