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取材記事内を検索ワード「茶」で検索した結果,252件の記事が見つかりました。

中須賀の石燈籠三基は常夜燈

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 久米町を走る出雲街道の東の端は、大字宮尾、字中須賀で、ここに三基の石燈籠がある。昭和44年、此の三基を一括にして久米町指定として保護されている。此の中須賀の地は、宮尾・領家・久米川南・中北下と西に続く穀倉築をひかえ、高瀬舟の舟着き場として、明治になっても茶屋があり、飲食店もあって、にぎわったところである。石燈籠は三基とも常夜燈で、昭和10年代まで中須賀の人は順番で此の石燈籠に点燈してきたもので、道しるべとは多少意味がちがうにしても、吉井川を登り降りする高瀬舟の目じるしとなっただろうことはまちがいあるまい。

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芭蕉塚と黒田畝中(宮部下)

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 大字宮部下に芭蕉塚が現存する、ここには二つの句碑があって、その一基には松尾芭蕉の句が刻んであり、他の一基には芭蕉の句碑を建てた人と推定される黒田畝中の辞世の句と思われる句が刻まれていて、土地の人は此の二つ並んだ句碑を総称して「芭蕉塚」と称して今日に及んでいる。
此の二つの句碑には建立の年月日も刻んでなければ句碑を建てた人の名前もなく、おまけによきほどにの句の作者も無く、句だけが刻まれているのである。このことについて塩尼青茄氏はその著『岡山の芭蕉句碑』の中で次の様にのべられている。
 (芭蕉の)あまり有名でもない句を、それも作者の名も出さず、もちろん建立者の名も建立年月日も刻まずに建てた心を私は尊く思う。畝中は茶堂の新築に際して芭蕉句碑をそれも句だけ刻んで建てることによって浮世の見聞から離れて立つ自分をかえり見たかったのではなかろうか。それにしてもこうした建立者の名を刻まない芭蕉句碑を見るとき私は調査の困難さに困却するものの半面また昔の俳人たちの姿勢に思いをいたさずにはおられない。現代俳人の句碑のむなしさは、常に見聞がうすぎたなく漂うところにあるような気がする。畝中の辞世句碑も、これまた作者の名前も刻んでない。

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物見に伝わる千利休の伝説

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利休屋敷
  上加茂村物見のツエガ谷に在り廣さ260坪、口碑に傳ふ千利休此の地に生れ茶道に長ず。天正9年10月羽柴秀吉因州征伐の時中國より美作に入り高山城を攻め物見を越えて因幡に向ふ。利休この時出でて、供奉せしものなりと。里人古來利休の遺風を慕ひ正月元朝挽茶を用うるを例とす。又利休の異名を物草太郎と曰ひしは物見の一字を冒せしものとなりと。屋敷の一隅に利休の末裔八兵衛の墓あり、墓側に周圍二丈に餘る槻の巨樹あり。明和4年八兵衛が天満神社に記念奉納のため栽植せしものにして八兵衛槻と曰へり。樹は大正2年神社合祀の際伐採せり。(文『苫田郡誌』より抜粋)


千八兵衛の墓
 上加茂村大字物見に在り、自然石にして高さ三尺輻一尺餘刻して圓壽奉冷信士と有り。口碑に傅ふ八兵衛は千利休の末裔にして安永7年5月25日此の地に歿せしものなりと。
(文『苫田郡誌』より抜粋)

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戸川乃宿(戸川町)

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 7月に入り例年になく梅雨明けがまだの津山市ですが、津山市戸川町に「蛇美館」があったころから気になっていた素泊まりミニホテルの戸川乃宿に伺ってきました。
 津山市は400年前から栄えてきた由緒ある城下町です。戦災を受けることがなかった津山市には今でも江戸時代から受け継がれたお屋敷等、多くの文化遺産が残されています。そんな風情ある街並みの中心部にある戸川町に、昭和47年から平成30年までジャズ喫茶として多くのファンに愛された「蛇美館」に併設されていた小さなビジネスホテル「蛇の目」を改装、令和2年4月に「戸川乃宿」としてオープンされました。(2020年7月18日撮影)

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2020年美作の丘のアジサイの花(高野本郷)

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 2020年6月18日の津山地方は雨が降っていて、少し肌寒く感じました。
長年私たちを楽しませてくださった美作の丘ですが、残念なことに2020年7月31日をもって閉店されるそうです。大きな風車がシンボルの丘の上、可愛いうさぎさんやニワトリさん、いろいろな遊具で遊べた遊園地。思い出すと長い間家族でお世話になりました。本当にありがとうございました。

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芦田さん宅のバラの花です。

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 可愛い薔薇の花が咲いていると友人から電話をいただいたので、早速お邪魔してきました。
ピンクの可愛いお花や一重の美しいバラの花をはじめ、色とりどりのバラの花が咲いていました。
お友達から頂いたものや、挿し木で育てられた約40種類のバラの花が、お庭で所狭しと咲いていました。特に紫色のバラの花がお好きだそうです。また、テラスでお茶しているとバラの花が香ってきて、ずっとここにいたいくらい素敵でしたよ。(※一般の方には解放されておられません。)(2020年5月13日・5月25日撮影)

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みなさん、お元気ですか?

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 2020年5月22日にイナママと久しぶりにお会いしてきました。
お元気で何より。「こんなに長いことお休みしたのは初めての出来事で前代未聞じゃわ。家の中で断捨離したり、仕事したり元気にしとったよ!もうすぐ6月になったらお店も開けるけんな。」とのことでした。また、母の日には全国から沢山のお花が届いたそうです。「みなさん。ありがとうございました。」

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地蔵堂(鏡野)

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 枡形城の繁栄した年代に創始されたと言われ、以来400年以上踊り続けられている盆踊りがあり、毎年7月23日が祭日である。『天正年間(1573~1592)に枡形城が築かれたときに新町が作られて、戦国時代の生々しい戦いと混乱の世相に仏の慈悲を念じ、この地に地蔵堂が建設された』と伝承されている。
 棟札によると、
  宝暦4年(1754)5月改築  天明5年(1785)改築
 明和2年(1764)円通寺住職「龍盁」の名をもって燈明料として、白米6斗5升が寄進されている。

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美作の大庄屋巡り「島田家」(院庄)

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 島田家 島田太郎兵衛 西々条郡院庄村 森藩
大庄屋まで
 島田氏は、鎌倉幕府の役人としてこの地へ移り、代々太郎兵衛を名乗ったといわれる。美作一国の領主となった森忠政は構城の築城にあたり島田家に居住し、忠政の子忠広は島田家で生まれている。
 島田家は元禄10年(1697)まで4代大庄屋を勤めたが、5代目は幼少であったため、後見役を勤めていた江川四郎左衛門が森藩改易後、大庄屋に任命された。
大庄屋として
 慶安元年(1648)布原台地の開発に関わった。

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碗の中の小宇宙 秘めたる器『曜変天目』

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  2020年01月11日(土)~ 2020年01月26日(日)、 ポートアート&デザイン津山にて「碗の中の小宇宙 秘めたる器『曜変天目』」が開催され大勢の方が訪れていました。
 この作品展は、日本に3点しか存在しない国宝「曜変天目茶碗(ようへんてんもくちゃわん)」をひたすら追及する陶芸家の鈴木禎三さん(津山市在住)の作品展です。
「器として何か超越している〈もの〉を内包している国宝『曜変天目』におもいをいたすと、人が生み出す〈もの〉には〈いにしえ〉の人なら感じることができるであろう〈心〉〈自然〉がただただそこにはあると思う。まだまだ力不足な自身の『曜変』の天目ではあるが国宝『曜変天目』と少しでもなにか通ずる所を感じてもらえたらと切に思う。鈴木禎三」


鈴木禎三さんのプロフィール
 1974年大阪府堺市生まれ、1994年岡山県備前陶芸センター卒業、1997年青年海外協力隊としてフィリピンに派遣(~2000年)、2002年岡山県津山市に作陶の拠点を築き天目の研究を始める、2014年初個展、2015年JICAシニアボランティアとしてベトナムで陶芸指導。

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