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取材記事内を検索ワード「茶」で検索した結果,249件の記事が見つかりました。

戸川乃宿(戸川町)

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 7月に入り例年になく梅雨明けがまだの津山市ですが、津山市戸川町に「蛇美館」があったころから気になっていた素泊まりミニホテルの戸川乃宿に伺ってきました。
 津山市は400年前から栄えてきた由緒ある城下町です。戦災を受けることがなかった津山市には今でも江戸時代から受け継がれたお屋敷等、多くの文化遺産が残されています。そんな風情ある街並みの中心部にある戸川町に、昭和47年から平成30年までジャズ喫茶として多くのファンに愛された「蛇美館」に併設されていた小さなビジネスホテル「蛇の目」を改装、令和2年4月に「戸川乃宿」としてオープンされました。(2020年7月18日撮影)

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2020年美作の丘のアジサイの花(高野本郷)

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 2020年6月18日の津山地方は雨が降っていて、少し肌寒く感じました。
長年私たちを楽しませてくださった美作の丘ですが、残念なことに2020年7月31日をもって閉店されるそうです。大きな風車がシンボルの丘の上、可愛いうさぎさんやニワトリさん、いろいろな遊具で遊べた遊園地。思い出すと長い間家族でお世話になりました。本当にありがとうございました。

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芦田さん宅のバラの花です。

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 可愛い薔薇の花が咲いていると友人から電話をいただいたので、早速お邪魔してきました。
ピンクの可愛いお花や一重の美しいバラの花をはじめ、色とりどりのバラの花が咲いていました。
お友達から頂いたものや、挿し木で育てられた約40種類のバラの花が、お庭で所狭しと咲いていました。特に紫色のバラの花がお好きだそうです。また、テラスでお茶しているとバラの花が香ってきて、ずっとここにいたいくらい素敵でしたよ。(※一般の方には解放されておられません。)(2020年5月13日・5月25日撮影)

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みなさん、お元気ですか?

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 2020年5月22日にイナママと久しぶりにお会いしてきました。
お元気で何より。「こんなに長いことお休みしたのは初めての出来事で前代未聞じゃわ。家の中で断捨離したり、仕事したり元気にしとったよ!もうすぐ6月になったらお店も開けるけんな。」とのことでした。また、母の日には全国から沢山のお花が届いたそうです。「みなさん。ありがとうございました。」

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地蔵堂(鏡野)

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 枡形城の繁栄した年代に創始されたと言われ、以来400年以上踊り続けられている盆踊りがあり、毎年7月23日が祭日である。『天正年間(1573~1592)に枡形城が築かれたときに新町が作られて、戦国時代の生々しい戦いと混乱の世相に仏の慈悲を念じ、この地に地蔵堂が建設された』と伝承されている。
 棟札によると、
  宝暦4年(1754)5月改築  天明5年(1785)改築
 明和2年(1764)円通寺住職「龍盁」の名をもって燈明料として、白米6斗5升が寄進されている。

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美作の大庄屋巡り「島田家」(院庄)

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 島田家 島田太郎兵衛 西々条郡院庄村 森藩
大庄屋まで
 島田氏は、鎌倉幕府の役人としてこの地へ移り、代々太郎兵衛を名乗ったといわれる。美作一国の領主となった森忠政は構城の築城にあたり島田家に居住し、忠政の子忠広は島田家で生まれている。
 島田家は元禄10年(1697)まで4代大庄屋を勤めたが、5代目は幼少であったため、後見役を勤めていた江川四郎左衛門が森藩改易後、大庄屋に任命された。
大庄屋として
 慶安元年(1648)布原台地の開発に関わった。

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碗の中の小宇宙 秘めたる器『曜変天目』

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  2020年01月11日(土)~ 2020年01月26日(日)、 ポートアート&デザイン津山にて「碗の中の小宇宙 秘めたる器『曜変天目』」が開催され大勢の方が訪れていました。
 この作品展は、日本に3点しか存在しない国宝「曜変天目茶碗(ようへんてんもくちゃわん)」をひたすら追及する陶芸家の鈴木禎三さん(津山市在住)の作品展です。
「器として何か超越している〈もの〉を内包している国宝『曜変天目』におもいをいたすと、人が生み出す〈もの〉には〈いにしえ〉の人なら感じることができるであろう〈心〉〈自然〉がただただそこにはあると思う。まだまだ力不足な自身の『曜変』の天目ではあるが国宝『曜変天目』と少しでもなにか通ずる所を感じてもらえたらと切に思う。鈴木禎三」


鈴木禎三さんのプロフィール
 1974年大阪府堺市生まれ、1994年岡山県備前陶芸センター卒業、1997年青年海外協力隊としてフィリピンに派遣(~2000年)、2002年岡山県津山市に作陶の拠点を築き天目の研究を始める、2014年初個展、2015年JICAシニアボランティアとしてベトナムで陶芸指導。

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童子切安綱写し刀お披露目セレモニー

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童子切安綱(国宝 太刀 伯耆安綱「名物 童子切安綱」東京国立博物館所蔵)
 平安時代に活躍した武将・源頼光が大江山の怪物・酒呑童子の首を切り落としたという伝承を持つ太刀です。作者の安綱は、平安時代に伯耆(現在の鳥取県西部)で活躍した刀工。伯耆は、備前(岡山県)や山城(京都府)のようなメジャーな刀剣産地ではありませんが、良質な鉄の産地であるため、名工・名刀が出ています。その安綱が手掛けた刀剣の最高傑作がこの太刀で、その造形の素晴らしさが、酒呑童子伝説と結び付いたものと考えられます。
 「天下五剣」の一つとして古くから名高く、足利将軍家から豊臣秀吉、徳川家康、そして秀忠へと天下人の手を経て、秀忠の娘・勝姫が松平忠直に輿入れする際に持参し、忠直から光長、宣富へと受け継がれ、津山藩主松平家で長く家宝として伝えられました。戦後、松平家の手を離れ、個人所有を経て、現在は東京国立博物館が所蔵しています。
(ただし、この伝来には異説もあり、小牧・長久手の戦いの後、結城秀康が秀吉の養子となる際に、父家康が餞別として贈ったものとも言われます。)
 この太刀は保存状態が非常に良く、茎の目針穴が一つしかありません。これは、作成当初の姿をほぼ留めているということであり、長く大切にされてきた証しでもあります。
 このように、安綱の最高傑作という美術工芸品としての優れた価値だけでなく、天下人の手を経て津山藩主松平家に伝わったという華麗な由緒来歴を持ち合わせていることから、国宝に指定されています。

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津山市文化協会 芸術文化祭「令和を生きる」

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 2020年2月1日・2日(10:00~17:00)津山市地域交流センター(アルネ・津山4階)にて、「津山市文化協会 芸術文化祭 令和を生きる ~人生と芸術大いに楽しむ~」というタイトルで津山市文化協会会員による芸術作品展・芸能発表会がにぎやかに執り行われました。
 体験教室では、お香の香り、手づくり匂い袋講座、子どもいけ花教室、からだ元気でこころ豊かにが行われ、イベントでは詩の朗読会、珈琲喫茶、ステージ発表がありました。
 また、ギャラリー展示(文芸・美術工芸)や華道展もあり、それぞれの団体のみなさんの力作が展示されていました。

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坪井本陣跡(今井醤油店)

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 作陽誌に「駅中(坪井宿)に太守茶屋あり」と記載されている。「太守」とは松江藩ではないかと思われる。
 新家家系図によると、新家源蔵のとき「雲州松江城主 松平出羽守より、坪井駅中(坪井宿)「脇本陣」を仰せ付けられ、兼ねて御用達御定宿を命じ、年給金百余両の金を給う。」とある。この時「菊屋」と称す。
 新家利右衛門の時「松平出羽守より改めて御本陣を仰せ付けられ苗字帯刀を給る。金子の外に千足を下し給う。」本陣を命じられたのは明和3年(1766)の頃と思われる。

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