2015年, 摩尼山 高福寺のアジサイの花(阿波)
摩尼山高福寺は、京都市花園の妙心寺を本山とし、大日如来を本尊とする臨済宗寺院です。
初代津山城主忠政が、美作18万6500石の領主として、慶長八年(1603)に入封し、慶長九年(1604)に、津山神戸にあった安国寺を津山小田中の地に移して、名称を本源寺に改め、天倫玄節大禅師を開山として森家の菩提寺と定めた。
摩尼山高福寺は、京都市花園の妙心寺を本山とし、大日如来を本尊とする臨済宗寺院です。
初代津山城主忠政が、美作18万6500石の領主として、慶長八年(1603)に入封し、慶長九年(1604)に、津山神戸にあった安国寺を津山小田中の地に移して、名称を本源寺に改め、天倫玄節大禅師を開山として森家の菩提寺と定めた。
菩提寺略縁起 2014年11月20日
当山は、お念仏「南無阿弥陀仏」の元祖で、浄土宗を開宗されました「圓光大師法然上人」が、初めて仏教を学ばれた聖域にして、浄土宗史蹟であります。
その草創は、持統天皇(41代)朱鳥6年(692)役の小角神変大菩薩が名木の神山(那岐山)に霊地を求め、この地に修験道場を開き、後に天平年中、聖武 天皇(45代)の勅願によって行基菩薩が自ら十一面観音像を刻んで中堂に安置し、「元明天皇(43代)の菩提寺」として再興開基し、七堂伽藍三十六僧坊を 建てめぐらし、四宗兼学の学問道場として各地から学僧が蝟集し、その興隆数百年に及んだ。l(前回の取材の様子)
長継山千年寺は、長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した寺です。 今は、桜の木が大きく育って、とても綺麗に整備されています。(2014年4月6日)
現存するものは境内地と風致林、それから長継公五輪墓(津山市の文化財)を中心に石柵、石窓和尚・関森和尚の碑、仏殿(本堂)・寿光堂の礎石、中の段は鐘楼、井戸、禁葷酒の石柱、山門の礎石、刹竿の双柱の1本、三 箇所の石段、千年寺への道しるべ石柱2本、下に井戸1箇所と南側の山即ち玉几岡に生き仏(開山鐡堂和尚)の墓があります。
(庫裡を取壊した後、大東亜戦中に疎開して来ておられ、昭和50年千年寺徒弟となった梅本南山翁が昭和61年まで居住)※前回の取材に詳しく載っております。
2014年1月5日、初詣に菩提寺に参りたい友人と一緒に行ってきました。奈義手前の入口は通行禁止になっているので、鳥取方面から上りました。途中雪で思わず引き返そうと思いましたが何とか到着。お参り後、ふと見るとロウバイの蕾が目に入り撮影。その後は雪で登っていません。もう少し解けたら行って見ます。
浄土宗の開祖、法然上人が学問成就を祈願してさした杖が芽吹いたといわれる。この天を覆う銀杏の巨樹は、国定公園那岐山の古刹、菩提寺の境内で歴 史の重みをかさねながら静かに息をひそめつつ立っている。目通り周囲約12メートル、高さ約45メートル、樹齢推定900年といわれ県下一の巨木である。 昭和3年、国の天然記念物に指定され、また全国名木百選にも選ばれている。町では、イチョウを町木に指定し、その保護に力を注いでおり、町民一人ひとりの 心の中に大銀杏が息づいている。(奈義町教育委員会案内板より)2013年11月28日取材 (2012年11月にも詳しく取材しております。)
本源寺 中門 国指定重要文化財 (2013年6月17日、7月3日取材)
中門は江戸時代初期の建築とみられ、間口4.0m、切妻造、桟瓦葺の薬医門(やくいもん)である。本源寺は、慶長期にさかのぼる方丈型の本堂を中心として、庫裏、中門や、森家代々当主を祀る霊屋など、桃山時代から江戸時代前期までに整備された建造物が一体で残されており、地方における大名家菩提寺として建てられた臨済宗寺院建築の初期の遺構として価値が高い。
本源寺 庫裏 国指定重要文化財 (2013年6月17日、7月3日取材)
庫裏は延宝(1673年~1680年)ごろの建築とみられ、桁行20.0m、梁間12.0m、一部二階、屋根は切妻造、桟瓦葺で、南面妻入とし、出入口に庇を付す。南面を除く三面に居室、便所及び浴室など居住のための改変が加えられているが、柱や梁組などの主要構造や平面の構成は、建築当初の状態よく残す。
▲本源寺の総門 (2013年6月17日、7月3日取材)
江戸時代前期までに建てられた津山藩森家菩提寺の東海山 本源寺の総門は、津山城の門だったとの言い伝えがありますが、文献は残っていないそうです。
江戸幕府が開かれたとはいえ大阪の陣の前でもあり、戦国の熱さめやらぬこの時期、より戦を念頭に置いた城造りと城下町造りが始まる。津山城は五層の天守を始め、77を数える櫓、40近い城門など百数十の建築物がひしめく壮麗な城で、12年かけて完成した。
城下の町造りも城下防衛上の理由から、寺院を城の東西に集中させ寺町を形成した。18世紀初頭には、城の西に24ヶ寺、東に10ヶ寺と圧倒的に西に寺院が多い。また、津山城の五層の天守も西を見渡せるように建っており、城下防衛は西側に重点が置かれていた。
本源寺 御霊屋(おたまや) 国指定重要文化財 (2013年6月17日、7月3日取材)
御霊屋は寛永16年(1639年)の建築で、桁行3間(8.2m)、梁間3間(8.2m)、屋根は宝形造、銅板葺である。正面に唐破風屋根の向拝を付け、柱頭部に金襴巻状の地紋彫、頭貫に亀甲模様の地紋彫を施し、破風や垂木は精緻な彫刻で飾る。
☆本堂西の御霊屋(おたまや)は、忠政公逝去の5年後の寛永16年(1639)に、二代長継公の建立。忠政公をはじめ二代長継、三代長武、四代長成、父可成、兄長可、乱丸、坊丸、力丸、忠政公奥方、子息、息女など、森家と関家と松平家、全28基の御霊碑を安置しています。(本源寺は津山城の真西にあります。)
津山市小田中にある東海山 本源寺の
本堂、庫裏、御霊屋、霊屋表門、中門が国指定重要文化財
江戸時代 前期までに建てられた津山藩森家菩提寺の東海山 本源寺が新たに国の重要文化財に指定されることになり、2013年7月1日(月)~7日(日) 午前10時~午後5時まで国指定重要文化財記念として一般公開されました。また、7月7日(日)は森 忠政公380年忌法要が行われました。(2013年7月3日・7日取材)