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取材記事内をタグ「あじさい」で検索した結果,49件の記事が見つかりました。

青々とした尾所のさくら

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2016年7月18日の尾所(おそ)のさくらです。(2013年4月の満開の様子
西暦1450年 年号宝徳2年の頃、山伏が倉見越えの途中ここで休み、持っていた杖を残したまま出立ちした その杖が根づいて今の桜の木になったものと伝えられているこの桜の木は、当村大田進氏より阿波村へ寄贈されたものだそうです。

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阿波の高福寺のアジサイ

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2016年7月2日の阿波の高福寺です。津山市内より少し離れた所というより奥に阿波の高福寺があります。ここは気温も市内より少し低く、アジサイもすこし遅めに咲き出します。この日はあいにくの梅雨空ですっきりとしていない空でしたが、緑一色の中にアジサイの花が映えていました。(2009年の取材)(2015年のアジサイ)

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梅の里公園近くのアジサイの花(神代)

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神代(こおじろう)の梅の里公園すぐ近くに植えてあるアジサイの花が可愛い!
梅の里公園を旭町の方へ向かって行くとすぐに道端の両脇に可愛ピンク色の紫陽花が咲いております。毎年、アジサイの花が咲くころにはこの道を思わず通ってしまいます。丹精込められた色とりどりの紫陽花(アジサイ)の花が通られる人を癒してくれます。(取材2015年6月28日)

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2015年 津山百景 善應寺の紫陽花(あじさい)

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津山百景 善應寺の紫陽花の花はそんなに多くはないのですがとても綺麗ですよ。

このお寺は傘もみじで有名ですが、なんと「岸田吟香私塾の跡」だそうです。立札には、弘化4年~嘉永5年(1847~1852年)と書いてあります。また、育英小学校・高等高田小学校の跡地でもあるようですね。(2015年6月29日取材)

昨年の様子です。

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津山城(鶴山公園)の紫陽花

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2015年6月26日の津山城(鶴山公園)の紫陽花(あじさい)の様子です。この日はどしゃ降りの雨が降っていましたが、、それでもアジサイにとっては嬉しい雨。アジサイの生き生きした姿を撮ろうと行って来ましたが、なんと、そこには海外勤務の一家が来られていて「子どもの夏休みなので来てみたが、石垣と備中櫓が良かった。10歳の子どもでも、いま政治に関しての勉強していて日本の子どもとは政治に対する姿勢がずいぶん違う。」と話して下さいました。

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2015年, 摩尼山 高福寺のアジサイの花(阿波)

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摩尼山高福寺は、京都市花園の妙心寺を本山とし、大日如来を本尊とする臨済宗寺院です。
  初代津山城主忠政が、美作18万6500石の領主として、慶長八年(1603)に入封し、慶長九年(1604)に、津山神戸にあった安国寺を津山小田中の地に移して、名称を本源寺に改め、天倫玄節大禅師を開山として森家の菩提寺と定めた。

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2015年, ウッドパーク声が乢のあじさい(市場)

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2015年6月21日のウッドパーク声が乢のあじさいの様子です。
2009年・2014年、道路沿いに咲くアジサイの花は下記でご覧ください。
2014/07/のレポート   2009/06/pのレポート

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2015年, 長法寺のアジサイ(井口)

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神南備山のふもとにあり、明治6年津山城が取壊しになった時、城からアジサイの絵を描いた腰高障子を贈られたのを記念して境内に植え、現在は30種、約3000株が群生し、初夏の風情を求めて訪れる人の目を楽しませています。また、明治の詩人薄田泣菫がその名著「二十五弦」に出した長詩の一節のモデルといわれているイチョウがある。(2015年6月20日取材)

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久米南町上神目の花菖蒲園

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2015年6月14日(日)、久米南町上神目の国道53号沿いの花しょうぶ園で恒例の「花菖蒲園まつり」があり行って来ました。ここは誕生寺川の支流・末常川砂防ダム下流にあり、地元の方が13㌃に60種、2000株を栽培しているとか。この日は大勢の人が訪れ、盛んに撮影されていました。紫・白・ピンク・黄といった淡い色とりどりの菖蒲が咲いていました。また、湿田の中にはオタマジャクシがいっぱいいて、子どもたちが盛んにおたまじゃくしの写真を撮っていて微笑ましかったです。もうすぐ紫陽花が綺麗に咲き誇るでしょうね。

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別格本山 大聖寺(あじさい寺)(美作市大聖寺)

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〔大聖寺の概略〕 山号を恵龍山と称し、今をさかのぼる1260余年前、天平10年(738年)、聖武天皇の勅命を受けた行基菩薩により開山、爾来、山岳仏教の聖地として五院(不動院、中院、奥の院など)十八坊舎(松の坊、池の坊、上の坊、地蔵坊など)の塔堂伽藍(とうどうがらん)を誇り真言密教(宗祖、空海)の根本道場として信仰をあつめ西の高野山と称されました。

 しかし天正年間(1578年頃)の戦火で塔堂を消失、現在の本堂不動院、本坊客殿などは、津山城主、森忠政公(森蘭丸の弟)により慶長9年(1604年)に城主祈願所として再建されました。

 また、当山は、歴代貫主(住職)が、京都蓮浄院(京都御室御所、塔中寺院)院主職をつとめ御所直轄寺院として高禄受祚の寺格を有しました。(文:別格本山 大聖寺案内より)(2014年6月24日取材)

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