もみじが美しい大雄寺です。
百丈山 大雄寺は慶長の末(西暦1610年代前半)に、森家の重臣 原家の親族である伝室玄悦和尚が開山となり創建されたお寺です。四季を通してとても綺麗な参道があり、城西地区のちょっとしたスポットです。(2015年12月7日撮影)前回の取材はこちらから←
百丈山 大雄寺は慶長の末(西暦1610年代前半)に、森家の重臣 原家の親族である伝室玄悦和尚が開山となり創建されたお寺です。四季を通してとても綺麗な参道があり、城西地区のちょっとしたスポットです。(2015年12月7日撮影)前回の取材はこちらから←
2014年11月9日(日)、雨の降る中を大勢の方がお出でになっていました。
各地区の公民館では色々なサークルがあって、楽しそうですね。ここ城西公民館でも第8回目の城西公民館文化祭のようで、沢山のサークルが発表されていましたよ~。しかも目をみはる作品が多くて楽しませていただきました。
もうすぐ待ちに待った津山まつりですね!
そんな、ソワソワした気分をもっと盛り上げてくれる催し「徳守祭 だんじり 衣装展」が津山市田町の城西浪漫館で10月23日(水)まで開催中です。津山総鎮守 徳守神社の氏子町内のご協力により、各町内からお借りした大切な半纏や着流しが展示されています。
こんなにたくさんの半纏をじっくりと近くでみることがなかったので、半纏や帯のデザイン、生地などそれぞれの町内で全く違い個性豊かなことに初めて気付かされました。
本源寺 中門 国指定重要文化財 (2013年6月17日、7月3日取材)
中門は江戸時代初期の建築とみられ、間口4.0m、切妻造、桟瓦葺の薬医門(やくいもん)である。本源寺は、慶長期にさかのぼる方丈型の本堂を中心として、庫裏、中門や、森家代々当主を祀る霊屋など、桃山時代から江戸時代前期までに整備された建造物が一体で残されており、地方における大名家菩提寺として建てられた臨済宗寺院建築の初期の遺構として価値が高い。
本源寺 庫裏 国指定重要文化財 (2013年6月17日、7月3日取材)
庫裏は延宝(1673年~1680年)ごろの建築とみられ、桁行20.0m、梁間12.0m、一部二階、屋根は切妻造、桟瓦葺で、南面妻入とし、出入口に庇を付す。南面を除く三面に居室、便所及び浴室など居住のための改変が加えられているが、柱や梁組などの主要構造や平面の構成は、建築当初の状態よく残す。
本源寺 御霊屋表門 国指定重要文化財 (2013年6月17日、7月3日取材)
御霊屋表門は、御霊屋と同じ時期の建築とみられ、間口2.7mの四脚平唐門で、屋根は銅板葺とする。御霊屋同様に頭貫の地紋彫、蟇股彫刻や冠木先の八双形彫刻など精緻な細工を施す。
▲本源寺の総門 (2013年6月17日、7月3日取材)
江戸時代前期までに建てられた津山藩森家菩提寺の東海山 本源寺の総門は、津山城の門だったとの言い伝えがありますが、文献は残っていないそうです。
江戸幕府が開かれたとはいえ大阪の陣の前でもあり、戦国の熱さめやらぬこの時期、より戦を念頭に置いた城造りと城下町造りが始まる。津山城は五層の天守を始め、77を数える櫓、40近い城門など百数十の建築物がひしめく壮麗な城で、12年かけて完成した。
城下の町造りも城下防衛上の理由から、寺院を城の東西に集中させ寺町を形成した。18世紀初頭には、城の西に24ヶ寺、東に10ヶ寺と圧倒的に西に寺院が多い。また、津山城の五層の天守も西を見渡せるように建っており、城下防衛は西側に重点が置かれていた。
本源寺 御霊屋(おたまや) 国指定重要文化財 (2013年6月17日、7月3日取材)
御霊屋は寛永16年(1639年)の建築で、桁行3間(8.2m)、梁間3間(8.2m)、屋根は宝形造、銅板葺である。正面に唐破風屋根の向拝を付け、柱頭部に金襴巻状の地紋彫、頭貫に亀甲模様の地紋彫を施し、破風や垂木は精緻な彫刻で飾る。
☆本堂西の御霊屋(おたまや)は、忠政公逝去の5年後の寛永16年(1639)に、二代長継公の建立。忠政公をはじめ二代長継、三代長武、四代長成、父可成、兄長可、乱丸、坊丸、力丸、忠政公奥方、子息、息女など、森家と関家と松平家、全28基の御霊碑を安置しています。(本源寺は津山城の真西にあります。)
津山市小田中にある東海山 本源寺の
本堂、庫裏、御霊屋、霊屋表門、中門が国指定重要文化財
江戸時代 前期までに建てられた津山藩森家菩提寺の東海山 本源寺が新たに国の重要文化財に指定されることになり、2013年7月1日(月)~7日(日) 午前10時~午後5時まで国指定重要文化財記念として一般公開されました。また、7月7日(日)は森 忠政公380年忌法要が行われました。(2013年7月3日・7日取材)