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播州平福神吉氏本陣別邸跡庭園「現 遠入邸」

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播州平福神吉氏本陣別邸跡庭園 「現,遠入邸」
 池泉観賞池の現存する「播州平福神吉氏本陣別邸跡庭園」は兵庫県佐用町平福・岡山県美作市大原古町・鳥取県智頭町の三県を通る「因幡街道」に面した三つの宿場の一つ、平福宿の中程に「門長屋」を持ち、本邸は大庄屋・代官を務めた田住氏の下で台頭した神吉氏の下屋敷で「平福本陣別邸庭園」とし機能していたと考えられています。
 当別邸書院は棟札(むねふだ)に「正徳二年建立(1712)」と記されていることから、建立から約300有余年になります。書院に付随する庭園も、同時期の江戸時代初期に作庭されたと思われます。庭園は利神山山頂の利神山城を背景にした『池泉観賞式庭園』です。
 瓢箪形の池泉には枯滝を配し、中央出島を蓬莱山(ほうらいさん)としています。池泉に石橋を二基、木橋を一基架け、邸内を巡ることも出来る庭園様式です。地割(ちわり)(平面構成)や護岸石組の配石がよく、庭園内の何処からでも優れた景観が鑑賞できる様に配慮された庭園構成と言えます。また、要所に立石を用いた石組や力強い枯滝石組など江戸時代初期の特徴をよく備えており、この時代この地域を代表する庭園と評価されています。
兵庫県庭園史家 西 桂

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旧三日月藩校広業館

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由来記
 当記念館は旧三日月藩校広業館の建物の一宇を移して、改築したものである。
 広業館は寛政7年(1795)五代目藩主森快温公の命により乃井野に建てられ初代の館長は深澤若山(薫)であった。盛時には生徒数文学部武芸部合わせて580名に達し多くの人材を輩出したが明治初年廃藩置県により広業館は日此に移転し名を改めて広業尋常高等小学校となり、更に近時町村合併により、三日月小学校と改名し三方里山の中腹に移転新築して今日に至った。
 今般各方面の熱意により旧広業館の建物の一部を当地列祖神社の境内に移し永くその史蹟と伝統を保存することとなった。
 この記念館の建設により、三日月町の文化の興隆と体育の進行に大いに貢献することを祈念して止まない。 以上 昭和55年4月 竹田直撰(文:現地案内板より)(2023年5月18日撮影)

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「国指定史跡」利神城跡(りかんじょうあと)(因幡街道宿場町平福)

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 利神城跡は、ここ佐用町平福にある中世から江戸初期にかけての城跡で、現在見られるような石垣造りの姿になったのは、慶長5(1600)年のころになります。
 播磨52万石を領し、姫路城主となった池田輝政は、領内に六つの支城を築いたとされ、その一つが利神城であり、城主となった輝政の甥、由之が山頂の城と麓の館を大改修したと伝えられています。
 城は周囲に総延長700m近くの石垣を巡らし、山頂に天守を築きあげた姿は「雲突城」とも呼ばれています。
 元和元(1615)年には池田輝政の六男、輝興が作用郡2万5千石を領して入城。このころ城下町の整備も進み、のちの"宿場町平福"の繁栄をもととなったといわれています。
 しかし寛永8(1631)年、輝興が赤穂へ移り、領地が山崎藩(宍粟市)に組み込まれると城主不在として廃城になったと伝えられます。(文:現地案内板より転載)

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牧野博士のふるさと土佐を訪ねて

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 2023年5月27日「第40回 津山洋学資料館友の会研修バス旅行 牧野博士のふるさと土佐を訪ねて」の研修旅行に参加してまいりました。朝ドラ『らんまん』で毎日拝見していますが、牧野博士の愛した植物や実像に触れてみたいと参加したのですが、バスの中で津山洋学資料館児島館長の予習があり、牧野博士と津山の宇田川家、箕作家とのつながりや、なんと博士には13人(6人早世)の子どもがいた等が知れたり、大変興味深いお話でした。また、牧野博士は94歳と長寿だったのですが、すき焼き、トマト、コーヒー(珈琲)がお好きだったらしい。


☆牧野富太郎が逝去した翌年の昭和33年(1958)に開園、平成11年(1999)に園地を拡張、記念館を新設しリニューアル。彼を育んだ高知県の植物を中心に、ゆかりの植物など3,000種が四季を彩り、年間を通じて多彩なイベントを開催しています。
☆彼が収集した蔵書や植物画、遺品などは、没後に牧野家から譲られ、牧野文庫として記念館の展示のみならず植物學の調査研究に活用されています、中には、宇田川榕菴「植学啓原」を16歳の時に自ら写したものもあり、注目すべき資料です。(文:津山洋学資料館友の会研修バス旅行案内より)
 

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森家ゆかりの乃井野陣屋藩主庭園と列租神社

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 列租(れっそ)神社の左奥に見える立石群は庭園跡で、乃井野陣屋のもとと考えられ、江戸時代の絵図に、この場所が「ツキ山(築山)」と記されているのが庭園に相当するようです。
 庭園の中心には、高さ3mと1.3mの立石(守護石)を据え、枯滝に見立て、周りに築山と配石を据える「築山式枯山水庭園」で、武家好みの庭園と言えます。その様式から作庭年代は森家が陣屋を構えて間もない18世紀前期と考えられます。
 もとは書院に面する庭園であったと思われ、歴代藩主や賓客が眺めたことでしょう。
 列租(れっそ)神社は森家の租、美濃国金山城主森可成(よしなり)、津山藩租森忠政(ただまさ)、三日月藩租森長俊(ながとし)の三霊を祀る神社で、江戸時代は武蔵国目黒行人坂(現・東京都目黒区)にあった三日月藩邸に祀られていました。明治維新後、明治3年に当地に社殿創立、明治14年には拝殿、幣殿などの建物が建設されました。
 地元ではこの社を列租さんと呼び、旧藩士で結成された祖霊社保存会では4月9日を祭日として祭られています。(分:現地案内板より転載)(2023年5月18日・20日)

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宮本武蔵初決闘の地と金倉の六地蔵

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 武蔵は天正12年(1584)、父・平田無仁斎(むにさい)、母・於政(おまさ)の間に生まれたが、間もなく生母と死別、無仁斎は利神(りかん)城主・別所林治(しげはる)の娘、率子(よしこ)を後妻に迎える。この義母に育てられた武蔵は、7才の時父と死別、母率子は平福に帰り田住政久(たずみまさひさ)の後妻となる。幼少の武蔵は、母恋しさのあまり、しばしば義母の居る平福を訪ねる。9才のころ正蓮庵(しょうれんあん)の僧・道林坊(どうりんぼう)にあずけられ、その訓育を受ける。道林坊の弟・長九郎(ちょうくろう)により剣を習うや、その力は著しく伸長する。武蔵13才の時、運命的な初決闘が、ここ平福の町外れ金倉橋(かなくらばし)のたもとで行われる。新当流(しんとうりゅう)の達人、有馬喜兵衛(ありまきへい)なる兵法者の、決闘を誘う挑発的な高札(こうさつ)に応じ、木刀で対峙(たいじ)するや、一刀のもとに喜兵衛を打ち倒し、いずこともなく旅立っていくこととなる。出奔(しゅっぽん)の一説には、佐用群一の古社、佐用都比賣(さよつひめ)神社に参籠、武運を祈願の後、諸国修行に旅立ったとされる。爾来(じらい)、生涯60数回に及ぶ決闘に、不敗の剣豪として名を成していくことになる。

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杉坂峠関所跡(佐用町)

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佐用町指定文化財 杉坂峠関所跡、種別:史跡、指定年月日:昭和58年5月20日、所有者:佐用町
 大宝令によって整備された美作道は、山陽道の太市から美作国府に向かって西北に伸び、杉坂峠を越えて美作に入った。
 播備作の広大な地域を制した赤松一統の中で、赤松則村が元弘3年(1333)に関を設けたところである。
 慶長年間に万能峠が開通したので、杉坂峠の通行人は少なくなったが、判明している郡内唯一の関所跡である。(文:現地看板より)(2022年1月12日撮影)
(つながる「出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会 万能乢コース)

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佐用町 南光ひまわり祭り

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 2019年7月13日~28日から始まる南光ひまわり祭りより一足先に、佐用町にある南光ひまわり祭り会場まで行って参りました。とても勢いの良いひまわりでした。
 ひまわり祭り会場の南光スポーツ公園「和歌あゆランド」周辺のひまわりは約36万本植えてあるそうです。みんな太陽にむけて一斉に可愛い顔を見せてくれました。また、期間中はいろいろなイベントが催される様です。会場も1~5地区あって見ごたえあります。但し、入園料(200円)と駐車料(500円)が各地区ごとに必要となります。(撮影:2019年7月7日)

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四国八十八ケ所霊場巡拝<第74番~第68番>

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 2019年3月30日・31日 今回は第61番 香園寺~第79番 天皇寺までの19ヶ寺を(一泊二日)で巡ってきました。清龍寺6:00出発して四国八十八ケ所霊場巡拝。
順路は、第64番 前神寺 ⇒ 第63番 吉祥寺 ⇒ 第62番宝寿寺 ⇒ 第61番 香園寺 ⇒ 小松(昼) ⇒ 第65番 三角寺 ⇒ 第66番 雲辺寺 ⇒ 第67番 大興寺 ⇒ 第70番 本山寺 ⇒ 第75番 善通寺(泊)宿坊 ⇒ 第74番 甲山寺 ⇒ 第73番 出釈迦寺 ⇒ 第72番 曼陀羅寺 ⇒ 第71番 弥谷寺 ⇒ 観音寺(昼) ⇒ 第68番 神恵院 ⇒ 第69番 観音寺 ⇒ 第76番 金倉寺 ⇒ 第77番 道隆寺 ⇒ 第78番 郷照寺 ⇒ 第79番 天皇寺 坂出北IC ⇒児島IC ⇒ 高梁SA ⇒ 津山でした。

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四国八十八ケ所霊場巡拝<第69番~第79番>

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 2019年3月30日・31日 今回は第61番 香園寺~第79番 天皇寺までの19ヶ寺を(一泊二日)で巡ってきました。清龍寺6:00出発して四国八十八ケ所霊場巡拝。
順路は、第64番 前神寺 ⇒ 第63番 吉祥寺 ⇒ 第62番宝寿寺 ⇒ 第61番 香園寺 ⇒ 小松(昼) ⇒ 第65番 三角寺 ⇒ 第66番 雲辺寺 ⇒ 第67番 大興寺 ⇒ 第70番 本山寺 ⇒ 第75番 善通寺(泊)宿坊 ⇒ 第74番 甲山寺 ⇒ 第73番 出釈迦寺 ⇒ 第72番 曼陀羅寺 ⇒ 第71番 弥谷寺 ⇒ 観音寺(昼) ⇒ 第68番 神恵院 ⇒ 第69番 観音寺 ⇒ 第76番 金倉寺 ⇒ 第77番 道隆寺 ⇒ 第78番 郷照寺 ⇒ 第79番 天皇寺 坂出北IC ⇒児島IC ⇒ 高梁SA ⇒ 津山でした。

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