「夢二郷土美術館 夢二生家記念館・少年山荘」訪問
2023年6月28日、雨の中でしたがどうしても伺いたいと思っていた、岡山県瀬戸内市邑久町にある岡山が誇る画家であり詩人でもある竹久夢二の生誕の地「夢二生家記念館」と「少年山荘」に行ってきました。その様子を載せてみたいと思います。(夢二郷土美術館HP)
竹久夢二生家の建物と土塀
「築250年以上と推定される夢二生家の建物は、母屋、蔵、納屋(なや)で構成されています。酒の取次ぎ販売と農業を営んでいた家で、芸事が好きだった父の招きで旅芸人が泊まっていくこともあり、当時としては広めの造りと言えるでしょう。今では珍しくなった茅葺屋根(かやぶきやね)は、江戸時代まで農家を中心に見られました。また、今も残る土塀は、明治時代には農村地域の家に多くはなかったことから、夢二が比較的豊かな家で育ったことをものがたっています。夢二は画家となった後も理想の土塀を探し求めて描くなど作品のモチーフになっています。」(文:夢二生家案内板より引用)
夢二生家の建物と土塀
土間(夢二や美術館について) 竹久夢二≪童子≫(大正初期)
土間から見上げる天井
広間 『草画』(大正3年復刻本)
見取り図 広間(映像上映)
広間左奥は奥のお座敷(ことばの部屋)
郷土玩具 夢二の妹、姉、祖母
お座敷(夢二のこどもの時代の部屋)
夢二が「竹久松香」と姉の名前を書いた窓枠の拡大
ミュージアムカフェ&ショップ「椿茶房」(もとは納屋)
夢二郷土美術館「少年山荘」
「竹久夢二は、漂泊の誌画人ともいわれ転々と居を移していましたが、関東大震災後の大正13(1924)年、当時の東京附下松沢村松原(現世田谷区松原)に自ら設計したアトリエ付住宅を建て「少年山荘」またの名を「山帰来荘」と名付けて、晩年このアトリエで制作に励みました。
「少年山荘」は、昭和9(1934)年9月、夢二が亡くなった後、荒廃し取り壊されていましたが、次男不二彦氏らの考証、記憶をたどって生誕95年にあたる昭和54(1979)年に復元したのがこの建物です。
「少年山荘」の名は、「山静かにして太古に似たり、日の長きこと少年の如し」という中国宋の詩人唐庚(とうこう)の「醉眠」の詩からとって夢二が名付けたもので、少年の日の如く長い一日をこのアトリエで暮らしたいという願望から名付けられたものと言われています。
また、「山帰来」というのは、この附近の山野に自生している植物ですが、最愛の人彦乃を「山」と呼んでいたことから亡き人の再び帰ってくることを希って名付けたとも思われます。
夢二生誕95年を記念して夢二の作品の一つともいうべき「少年山荘」をここに復元しました。(公財)両備文化振興財団 夢二郷土美術館)」(文:現地案内板より引用)
竹久夢二と食堂
とてもレトロなお部屋です。
モダンな色合いと見たことのない床の間
デジタルアーカイブ、関連書籍など
体験コーナー
二階展示室
夢二郷土美術館〝お庭番頭〟「黑の助」 夢二のねこと黑の助(竹久夢二×水戸岡鋭治)
企画展のチラシ
(夢二郷土美術館許可済み)