久米の市民プールレインボー
2016年8月11日の祭日の暑い日に、津山市久米総合運動文化運動公園内にある市民プールレインボーへ行って来ました。
ここは、運動公園の中にある市営プールで、夏季限定の室外プールと年中利用できる室内温水プールがあります。流れの速い夏季限定の流水プール、スピード感いっぱいのウォータースライダーでは子ども達の歓声があがっていました。真夏の暑い日でしたが、比較的すいていましたよ。
2016年8月11日の祭日の暑い日に、津山市久米総合運動文化運動公園内にある市民プールレインボーへ行って来ました。
ここは、運動公園の中にある市営プールで、夏季限定の室外プールと年中利用できる室内温水プールがあります。流れの速い夏季限定の流水プール、スピード感いっぱいのウォータースライダーでは子ども達の歓声があがっていました。真夏の暑い日でしたが、比較的すいていましたよ。
久米町南方中の国道181号線の南側に長谷の集落があり、そのほぼ中心に岸上集落の鎮守の森があり、その神木である。
ムクノキは山地に生える落葉高木で巨木になる。本樹は、根元近くから双幹に裂け、両幹とも空洞化していたが現在は一幹は腐れ、一幹となっている。荒神様の祠がある。
(文:平成5年 津山地方振興局発行 津山の名木百選より抜粋)(2016年8月7日撮影)
2016年6月11日(土)18時から(小雨決行)宮部上「トンボの里」公園にて~ホタルのすむ豊かな自然を守ろう~をサブタイトルにして第19回宮部上ホタルまつりが執り行われました。当日は小雨がパラパラしていましたが、開催時刻になると雨も止んで涼しくなり、皆さん和気あいあいと飲んだり食べたりして楽しそうでした。家族連れに、若者や子どもが多く集まっていていいなぁ~と。実行委員会は(宮部上町内会、語ろう会、愛夢愛妻の会、老人会)だそうです。
久米町史によれば観世音菩薩とあり、中の地蔵には、神實山 願主 信州竹馬群今井村・・・と彫ってあります。この霊場は、慈恩寺の案内石柱があるとおり、慈恩寺へ行く途中の急なカーブの所に立っている中部 第四十四番霊場です。「昔は20人~30人の方がお参りに来られて賑やかでしたが、今では少なくなって10人程の方がお見えです。」と慈恩寺さんから教えていただきました。(2014年9月18日取材)
2016年5月17日に津山市領家にある甲本通晴さん宅のバラ園をお尋ねしてきました。ここのバラは約300種あるそうで、とても大輪で見ごたえのあるバラばかりです。また、ここのバラは四季咲きで、10月頃まで楽しめるとのことです。
お天気に恵まれた4月の清々しい朝、思い立って田邊城へ登ってみました。相変わらずの急こう配ですが、何度かお訪ねするうちにスムースに登れるようになりました。田邊城は岩屋城の属城としての役割を果たして来たお城です。詳しくは2010年の取材記事をご覧ください。前回は、2010年4月29日、2015年5月5日にお邪魔しております。(2016年4月16日撮影)
藤和田神社(領家)
祭神は、伊弉諾命・菅原神・天穂日命である。
此の社は正暦4(993)年8月、近江國犬上郡多賀村に鎮座の多賀神社の 分霊を勧請したものであるので祭神は多賀神社と同一の神であるはずであって「かれ、其の伊邪那岐大神は、淡海の多賀になもまします。」(古事記上巻)と あって多賀神社の祭神は伊邪那岐大神であるので、藤和田神社の祭神は当然伊邪那岐命であることは申すまでもないことである。
荒神様は同族神として祭られている場合が多く、その祭りは霜月(十一月)が多く、十一月も二十八日が多い。ご神体は石が最も多く、幣・木像が之についでいる。像容は多くは忿怒形の男神様で三面六臂(さんめんろっぴ)であるが、まれに女神像もある。(文:久米町史下巻より)(2014年3月29日取材)
2016年3月21日(月) 8:30 〜 16:00.津山市、鏡野町、勝央町、奈義町、美咲町でつくる津山圏域資源循環施設組合(管理者・宮地昭範津山市長)の総合ごみ処理施設「津山圏域クリーンセンター」(岡山県津山市領家1446番)の竣工式が行われました。この日は途中からあいにくの雨模様になりましたが、1市4町の首長や地元住民ら多数の方が式典に参加しておられました。
津山圏域クリーンセンターは、焼却灰のセメント原料化、及び焼却熱を利用した発電など、資源の有効活用により、循環型社会の一端を担うとともに、ごみの減量化、及び、リサイクルの推進に関する普及啓発並びに環境学習を推進する拠点施設として運営されます。
荒神様
笠森神社の西南の山の中腹に石垣で一段と積み上げ、その上立派な祠と共に祀られている。百姓の神、牛馬の神、また子供の神様として宮参りに子供と共に参る。折掛樽も供える。元気に育ってほしいと願い又部落の守護神でもあり、年の暮れから新年にかけて多くの人が今日も参っている。牛を買ったり、かえた時も、仔牛が生れた時も「牛の仔祝い」といって荒神様に酒を供えていた。(文:北恵兆さん)