倭文(しとり)神社(油木北)旧久米町
倭文(しとり)神社 大字油木北字宮山
古来倭文郷の地主神として祀られた神様で、倭文(しとり)神社と唱えたが、中世志津(しず)大明神又は、七津(しづ)大明神と唱えられ、明治6年油木神社と改称され、更に明治10年に旧称の倭文(しとり)神社に復して今日に及んでいる。
作陽誌には、七津明神とするのは倭文の?(太く荒い糸で織った絹織物)の名の「倭文」は志登利、あるいは志都利と讀むべきものを「都」は「ツ」とも読むので倭文をシズと読んで「七津」の文字を宛てたものだが之は誤りであるとするのである。