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瑠璃山地蔵院 等輪寺(真庭市)

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 当山は、古くは岡本山地蔵院と称して上市瀬字古寺にあり、その時代は明らかではありませんが、現在地に移転し、等輪寺と改称したと伝わっています。
 岡本山地蔵院には塔頭の名を遺す地名があり、また、字古寺には石地蔵を祀っていて、これを「古寺の石地蔵」といいます。
 天正年間の初期、宮山城の客将が備中より来て、地蔵院の後方の山上に陣を築きましたが、眼下に寺が在るのを見て忌み、弘治2年(1556)に寺を現在地に移転して建立したそうです。
 現在の本堂は、明治初年に檀信徒の力によって建立され、客殿・山門はその後に建立されたと伝えられています。現在は鐘楼堂はありませんが、昭和17年太平洋戦争中に、供出したという歴史があります。
 現在は、第34番木山寺が兼務をしており、問い合わせ・連絡などは木山寺にお願い致します。(文:『高野山真言宗 美作霊場巡り』より抜粋)(2021年6月19日撮影)

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高野山真言宗 別格本山感神院 木山寺(真庭市)

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 当山は高野山真言宗別格本山感神院木山寺と称し、往古は木山宮として尊信され、弘仁6年(815)弘法大師空海の開基と伝えられる。
 仁寿年間(9世紀中頃)文徳天皇の勅願寺となり、降って應永18年(1411)赤松義則が一山を寺領として寄進し、以来 毛利、宇喜多、小早川等戦国武将や、江戸時代は森、三浦の近隣大名の尊信を集めた。
 御本尊は薬師瑠璃光如来、十一面観音菩薩である 鎮守神には木山牛頭天皇と善覚稲荷大明神を祀る。木山牛頭天皇は薬師如来の化身で左手に羂索、右手に斧を持たれ、除災拓福の大願を成就される。
 善覚稲荷大明神は十一面観音の化身で左手に宝珠、右手に利剣を持たれ商売繁昌、五穀豊饒、開願成就、交通安全の願いを叶えられ、広く中国各地で崇敬帰依されている。(文:案内板より)(2021年6月15日撮影)

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普門寺(真庭市)

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 2021年6月15日に真庭市まで足を延ばし、アジサイで有名な普門寺へ参らせていただきました。
アジサイ約3,000株、約30種類。普門寺境内と、周辺一帯に植えられています。お寺の建物と、周辺の茅葺き屋根との景観が素晴らしいと好評です。
 今年は新型コロナウィルス感染拡大防止のため、《あじさい祭りは中止》になりましたが紫陽花の鑑賞やお寺の拝観、御朱印は可能とのことです。また、普門寺仁王門や、四季桜・紅葉とお花と自然がいっぱいのお寺で花の山寺とも言われています。

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明親館跡(真庭市指定文化財 史跡)

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明親館跡(真庭市指定文化財 史跡)昭和43年5月1日指定
 明治3年(1870)津山藩の目木触・河内触有志の発起により両触の郷学として、早川代官ゆかりの地に創設されました。
 備中聖人と称された山田方谷を顧問に、方谷の門人を講師に迎えました。明親館の名は、「智仁義徳武に親しむ」(親)ことによって「ひらけた国にする」(明)の意味で、方谷自ら命名しました。
明治6年(1873)に血税一揆の焼き討ちにあったことなどから、廃止されました。
平成14年3月1日 真庭市教育委員会(文:現地立て札より)

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真賀温泉(真庭市)

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 2021年2月28日に真賀温泉に何度か来ている友人に案内を頼んで出かけてきました。
旭川沿い国道313号から階段を少し上がった所にある風情のある木造共同浴場です。付近の温泉宿の湯元となっており、天然の岩風呂がある湯治場として古くから知られています。天然の岩風呂がある湯治場として古くから知られています
「この浴槽はとにかく狭く、日本一狭い混浴浴槽」と言われているそうです。
山田方谷などの偉人達も療養に訪れている。竹筒から新湯が湧き出て注がれています。38度のぬるすべの湯に浸かると、なかなか湯船から出ることができなくなります。岩盤に直接穴を空け、差し込んだ竹筒から流れ出る温泉は、風情満点です。療養温泉としても有名で全国療養温泉番付(昭和55年発行暁教育図書(株))では、西の前頭3枚目にランクされています。

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大津神社(真庭市)

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 由緒
 当社は正平4年11月8日に信州戸隠神社から御分霊を奉祀したと伝えられているが、氏神としての奉祀ではなく、何等かの信仰霊験によって勧請されたものであろう。古来から大津大明神と称し、開運、農業、商工業、諸芸能上達、結婚、病気、一家和合等諸方面に霊験あらたかであり、福運を授ける神として、全国に崇敬者をもっている。(文:岡山県神社庁HPより)(2020年8月9日撮影)

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日本一の石の鳥居と蒜山 郷原宿探訪(真庭市)

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郷原漆器のふるさと 郷原(ごうばら)宿(岡山県指定重要無形民俗文化財)
  郷原宿(真庭市蒜山西茅部)は、美作・伯耆両国を結び、大山参詣や牛馬市へ向かう人々が盛んに行き交った「大山みち」の宿場町で、戦前まで盛んに作られていた「郷原漆器」の産地集落として広く知られています。
 郷原漆器は主に栗の木を使い、輪切りにした生木をろくろで挽く独特な製法で椀や皿を作る実用的な製品です。その始まりは明徳4年(1393)など諸説がありますが、江戸時代には漆器の産地として広く知られ、地元勝山藩でも特産品として着目されています。
 技術改善や購買組合の設立で、大正時代末に生産量は最高に達しましたが、戦争による物資統制などで衰退、昭和20年(1945)の終戦ののち、まもなく伝統的な漆器生産は一度終焉を迎えました。
 そうしたなか、昭和時代末から始まった漆器復興の取り組みは、平成4年(1992)の「郷原漆器生産振興会」設立、岡山県からの郷土伝統的工芸品への指定、同8年の拠点施設「郷原漆器の館」(蒜山上福田)建設につながり、同18年には生産振興会の保持する製作技術が民俗技術として県下で初めて重要無形民俗文化財の指定を受けるなど高く評価され、蒜山地域に新たな活力を生み、さまざまな可能性の広がりを見せつつあります。
真庭市教育委員会 (文:現地看板より)(2020年8月22日撮影)(大山みちを歩こう会第6区

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蒜山ハーブガーデン ハービル(真庭市)

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 イナバ化粧品店さんで「蒜山にハーブガーデンがあるよ!」とお聞きしたので、早速行ってみることにしました。目的は蒜山大根と蒜山ハーブガーデンですが、インターを降りてすぐの「道の駅 風の家」で売られている大人気の蒜山大根は、残念ながら昼前にはすでに売り切れでした。
 道の駅 風の家から、ほどなく行くと蒜山ハーブガーデンに着きます。ここでは、涼しい風、雄大な蒜山の景色とハーブの香りに癒されました(2020年8月22日撮影)

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蒜山高原とアジサイの花 2020

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 2020年7月12日に曇りでやさしい風が吹いている蒜山にアジサイの花を観にやってきました。
蒜山高原センターから大きな観覧車が見えるジョイフルパークには大勢の家族連れの皆さんや若者が来られていました。また、道路沿いにはアジサイの花が見ごろを迎えていました。広々とした大自然の中で遊んだり、食べたり飲んだりワイワイ皆さん楽しそうでした。

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数珠回しなどの伝統行事を行う平安時代末期のお堂

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大御堂 -おみどうー
 大御堂が創建されたのは、寿永4年(1185)と伝わりますが、定かではありません。2018年度に実施した放射性炭素年代法による測定で、部材の一部は、12世紀末、平安時代後期に伐採されたものであることがわかりました。岡山県内最古の木材を使った建造物ということになります。
 当時、大御堂ほど大きいお堂を村だけで作ったとは考えにくく、京都の仁和寺の資本が入って建てられたものと思われます。また、大御堂は現在、「堂ノワキ」という場所に位置し、北側に「堂ノモト」という地名があることから、本来は現在地のやや北へ建てられていた可能性があります。
 建築された当初は、一辺が8間(約14.5m)あったものの、その後、江戸時代初期に3間に縮められたとも伝えられます。現在は吹き抜けですが、柱には、かつて板戸で仕切られていたことを示す跡が残されており、幾度かの再建・修復を繰り返しているものの、部材には室町時代以前に遡る古材も多く残されています。(文:真庭市観光協会HPより)(2019年10月9日撮影)

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