取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「古墳」で検索した結果,77件の記事が見つかりました。

美和山古墳群現地見学・説明会

2024-12-21miwayamakofun8.jpg

 2024年12月21日(土)13:30~、ボランティアガイド歴史セミナー「美和山古墳群現地見学・説明会」がありました。講師は、郷土史家の橋本惣司さんです。
 卑弥呼邪馬台国(弥生時代末期)から、古墳時代に入って生まれたヤマト王権初期のころに築かれたと言われる美和山古墳群の現地見学・説明会。古墳の時代背景と立地、古墳の構造、葺石・ハニワの話、埋葬施設と埋葬者、副葬品、王位継承の儀式など、又、謎の4世紀と言われる古墳時代前期の興味ある話を聞くことができました。また、このセミナーは、二宮地区のボランティアガイドを養成するためのものだそうです。

美和山古墳群現地見学・説明会の続きを読む

最後の勝間田焼窯だし見学&展示即売会

2024-11-17katsumadayaki7.jpg

今回で最後となる勝間田焼の窯出しです。(過去の勝間田焼きの窯だしの様子
 勝間田焼きは、勝間田焼き復活会の皆さんがノースビレッジ北約200mの所の窯で仲間と共に勝間田焼きを続けておられましたが、メンバーの高齢化が進み、やむなく今年の窯焚きが最後になったそうです。この日は少し肌寒い天気でしたが、ユニークな来年の干支や、様々な陶芸が所狭しと並べられ、皆さん惜しむかのように談話されていました。(2024年11月17日撮影)


 勝間田焼は、古墳時代に朝鮮半島から伝わった須恵器の技術を受け継いで作られたもので、青灰色で非常に硬質な焼き物です。発掘された大甕に格子紋があるのが、特徴となっています。
現在窯跡として勝田郡勝央町内に十数か所が確認されています。当時は美作地域から山陰まで広域に流通していましたが、鎌倉時代に生産の終焉を迎えることになりました。(文:ギャラリーふぅさん)

最後の勝間田焼窯だし見学&展示即売会の続きを読む

美作最大級の横穴式石室-井上火の釜古墳-(鏡野)

2024-7hinokamakofun5.jpg

 広域農道を西に走り、真加部付近で右手に見える仙形山(せんぎょうせん)斜面を臨むと、大きな石で組まれた石室が開口しているのが見えます。これは「井上火の釜」(町指定文化財)という古墳の横穴式石室です。
 井上火の釜は、井上大塚古墳・まかべ13号墳ともよばれています。横穴式石室というのは、古墳の側面に入口が設けられた石室で、何度でも追葬が可能な仕組みになっており、古墳時代後期の六世紀に多く築造された古墳の埋葬施設です。
 井上火の釜の石室は、現存長11.02m、棺を納めた部屋(玄室)の規模は、長さ6.36m、最大幅2.11m、高さ1.75m、入口から玄室までの通路(羨道)(せんどう)は、長さ4.66m、最大幅1.68m、高さ1.3mを測ります。玄室は、奥壁から見て右側が広くなっている右片袖式(みぎかたそでしき)とよばれる横穴石室で、本来は石室に盛り土が覆っていたはずですが、耕作土として持ち去られたり、長い年月の間に風雨に流されたりして、石室の天井石も露呈し、外形は大きく損なわれています。しかし本来は円墳であったと推定されており、町内で最大規模の横穴式石室をもつ古墳です。この石室の規模は、美作最大級の横穴式石室をもつ川戸二号墳(美作市・石室全長12.35m)、万燈山古墳(津山市・同12.1m)、穴塚古墳(真庭市・同12m)に並ぶ規模になります。

美作最大級の横穴式石室-井上火の釜古墳-(鏡野)の続きを読む

造山古墳(つくりやまこふん)

2024-7-3tsukuriyama34.jpg

 日本遺産「桃太郎伝説」の生まれたまち、おかやま ~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~
造山古墳:古墳時代中期(5世紀前半頃)に築造された全長約350mの前方後円墳です。現在全国4位の規模で、築造当時は国内最大でした。自由に立ち入ることができ、墳丘(ふんきゅう)を歩いて見学できる古墳としては国内最大です。
 周囲には、家来などを埋葬したといわれる倍塚(ばいづか)が6基もあり、その一つである千足古墳(せんぞくこふん)では、熊本県から運ばれた石材が使われ、直弧文(ちょっこもん)と呼ばれる直線と曲線を組み合わせた文様を刻んだ石も発見されています。
 この地に大きな勢力を持つ有力者がいたことで、対立する大和朝廷が派遣した吉備津彦命(きびつひこのみこと)が、鬼神(きしん)(温羅とも呼ばれる)を退治する伝説が生まれたと考えられています。(文:現地案内板より転載)(2024年7月3日撮影)

造山古墳(つくりやまこふん)の続きを読む

史跡 大谷・定古墳群(真庭市)

2021-5-12otanikofun14.jpg

 2021年5月12日「第1回さららバス研修 古道をたずねる」北房方面~多和山峠~の研修に参加してきました。大谷1号墳遺物見学の様子を記しておきたいと思い組んでみました。


 真庭市上中津井の地では7世紀に入ってから、定東塚・定西塚・定北・大谷1号・定5号・定4号という6基の横穴式石室の方墳が次々と築かれました。これらを総称して大谷(おおや)・定(さだ)古墳群といいます。
 6基の各古墳はいずれも、石垣状の列石を有する段構造の方墳であることを大きな共通点としており、技術的に一連の系譜上にあることを示しています。
 出土遺物をみても、大谷1号墳の環頭大刀や定東塚古墳の全製品に代表される豪奢な副葬品などから、大谷・定古墳群の被葬者がこの地域を治めていただけの首長にとどまらない、かなり広域に影響を持つ特殊な立場の人物であったことが十分に考えられます。
 7世紀代という、この時期の古墳が特定の地域に集中し、連綿と築かれるというありかたは西日本でも大変珍しく、そのことから大谷・定古墳群は国の史跡に指定された。真庭市教育委員会(文:現地案内板より)

史跡 大谷・定古墳群(真庭市)の続きを読む

天台宗 弘誓山 観音寺(勝央町)

32.jpg

 比叡山延暦寺を本山とする当寺は、千百余年の歴史をもち、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)の御作、聖観世音菩薩を御本尊として安置していますところから、弘誓山 観音寺といいます。
《寺暦》
 平安時代の天安年間(857~859)、比叡山第三祖慈覚大師(じかくだいし)によって、間山に(高福寺の一院としての説がある)創建された。その後(年代不詳、間山では火災説がある)、田井観音免(地名)に移転したが、天文十三年(1544)大洪水に遭い、御本尊以外の宝物・古文書等を流失し、建物は廃頽した。このため草創以来七百有余年の盛衰については詳らかではないが、田園化した田井寺跡は現在「観音面」の地名で残っている。(文:天台宗 弘誓山 観音寺の案内から抜粋)(2023年11月29日撮影)

天台宗 弘誓山 観音寺(勝央町)の続きを読む

出雲大社と古代出雲歴史博物館を訪ねる

2024-1-3izumo32.jpg

 新年早々に能登地震に羽田空港の事故など悲しい事件が立て続けにあり、重苦しいお正月になりました。被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
 2024年1月3日、友に誘われて出雲大社に参拝、そして古代出雲歴史博物館を訪ねてきました。
お昼前に津山を出発、大山に着くころから雨が降り出し、出雲大社に着いた時にはどしゃ降りでしたが、本殿にお参りするころは小雨になり、滞りなく参拝を終えました。
 その後、島根県立古代出雲博物館を訪ねてきました。お正月三が日は無料!全館撮影OK!、しかも国宝の本物が見えるとのことでラッキーでした。島根は何度も訪ねたお隣の県ですが、まだまだ知っているようで知らないことがいっぱいです。今度は古代出雲歴史博物館をゆっくりと拝見したいと思える素敵な場所でした。

出雲大社と古代出雲歴史博物館を訪ねるの続きを読む

小中原観音堂(加茂郷88ヶ所霊場第87番札所)

kamo_kannon1.jpg

 2022年9月15日小中原観音堂(加茂郷88ヶ所霊場第87番札所)を地元にお住いの木元林造さんに案内して頂きました。この観音堂は、曹洞宗 成興寺の境内にあり、旧道沿いにあります。すぐ近くには、大庄屋の中西邸跡や、万燈山古墳文殊堂(加茂郷88ヶ所霊場第1番札所)があります。
また、三角屋根の百々温泉 めぐみ荘があり、おススメです。

小中原観音堂(加茂郷88ヶ所霊場第87番札所)の続きを読む

国内最大級「皮袋形瓶(かわぶくろがたへい)」

fukuro.jpg

皮袋形瓶
 今回は市内高尾の「桑山南4号墳」から出土した珍しい須恵器を紹介します。
 今からおよそ1600年前の古墳時代、朝鮮半島から須恵器と呼ばれる焼き物が伝わりました。この焼き物は、集落跡だけではなく、墓からも出てきます。
 墓には、亡くなった人のため、特殊な形の須恵器を納めることがありました。桑山南4号墳では、坏(つき)(飲食物を盛る器)や壺など一般的な須恵器のほか、「皮袋形瓶」と呼ばれる須恵器が出土しました。革をとじ合わせて作られた袋をまねたのではないかと考えられているため、このような名前が付いています。
 把手(とって)など一部が欠けているものの、ほぼ完全な形です。高さ33センチ、幅25.5センチと非常に大きく、全体に模様が施されていて大変華やかな印象を受けます。
 実は、桑山南4号墳から出土したものは、皮袋形瓶の中でも全国的に珍しい形をしています。
11月30日(金)まで、津山市弥生の里文化センター(沼)で展示しているので、「どこが珍しいの?」「ほかにはどんな皮袋形瓶があるの?」など、疑問に感じた人は、ぜひお越しください。

国内最大級「皮袋形瓶(かわぶくろがたへい)」の続きを読む

釈迦免池(奈義)から見た那岐連邦の雪景色

ike.jpg

2月26日釈迦免池(しゃかめんいけ)は、勝田郡奈義町柿にある海抜251mの溜池です。
釈迦免池改築竣工 記念碑に
「釈迦免池は寛永12年構築され、その後数次に亘り、増改築が行はれ祖田を養いたるも老朽甚だしきため県営日本原演習場障害防止対策事業として全面改築工事が竣工しここに待望の溜池となれり
昭和56年5月建之」とある。(2020年1月15日・2022年2月9日・2月25日・2月26日撮影)

実兼古墳群(さねかねこふんぐん)は久常の釈迦免池の西側の丘陵から柿の八幡神社にかけて点在している16基の古墳群の総称で、ほとんどが円墳です。
久常分の古墳には美作菅家の祖「菅原知頼」とその子孫の墓との言い伝えがあります。
釈迦免池脇に立看板あり、徒歩で3分ほど

釈迦免池(奈義)から見た那岐連邦の雪景色の続きを読む