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取材記事内を検索ワード「城西」で検索した結果,125件の記事が見つかりました。

神田 道祖神(同祖神) (小田中)

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 蓋がされ道路として使用されている神田川と嵯峨水路の合流地点付近に有る西条柿の木の根本に包まれて僅かばかりが見えていたのですが、現在は新しく全体が見えるようになっています。昔から通称賽の神様と呼ばれ地元神田に入ってくる災難や疫病を払う儀式の場所として、お正月のとんど焼きや盆の仏送りの場所としても使用されていました。また同じ場所に一ノ宮方面への道順を示す道標も埋まっています。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)(2015年5月9日取材)

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新屋敷 ベンチュリー(量水器)室

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新屋敷 ベンチュリー(量水器)室
新屋敷から安岡町へ(旧道)出る短いトンネルの入口の手前北側に周囲を囲った小さな建物がある。水道の施設であることは、聞いているが...。浄水場の井汲場長にお聞きした。
昭和9年第1配水池から市内への流水量を知るためのベンチュリー(量水器)が設置された。現在は電磁流量計となったのでベンチュリーは使用していないとのこと。でも姿形は当時のままで、流量計室として、今でも使用されている。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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神田 旧徳守神社跡地と徳守塚

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神田 旧徳守神社跡地と徳守塚 (2015年5月2日取材)
その昔、徳守と言う名前の徳の高い人が、旧小田中村で行き倒れとなり、近隣の小原家の先祖が手厚く看病したが、看病の甲斐無く亡くなってしまった。そこで小原家が徳守塚として祠を作り埋葬したとされています。その場所のほど近く現在は宮脇町にある徳守神社が祭られました。この場所は現在の神田公会堂東側の竹藪の中で、森忠政が津山の総鎮守として現在の位置に移るまで祭られました。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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新屋敷 薮の鼻のお大師様(小田中)

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新屋敷 薮の鼻のお大師様
 新屋敷あたりは昔竹薮が多く、その鼻先(前)薮の鼻となったようだ。その薮の鼻にあるお大師堂は寺町の愛染寺の奥の院であり、1605年金剛寺(岡山市)より畠山快雲が美作の地に来て薮の鼻に庵を建てた。その後に快雲により愛染寺が建立された。又、大師堂境内入ってすぐ右側には上浜恵海尼についての碑がある。現在のお大師堂は3回目の建て替えで新しい。毎月20日に愛染寺の住職、信徒による法会が行われる以前はお遍路さんがよく参ってこられていた。現在でも参ってこられますとのこと。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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神田 神田荒神様

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神田 神田荒神様 (2015年5月2日取材)
神田荒神様の場所は、神田公会堂屋敷内の西にある。
7月12日夏祭り、10月12日秋祭り、毎年老人会主催で徳守神社の神官をお招き、祭礼を行っている。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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権ノ庄のお大師様(小田中神田)

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 道祖神の場所から西へ40メートル程進んだところに権ノ庄のお大師様があります。建立された年度は不明ですが、元々紫竹川の氾濫の多い場所を鎮める目的で、紫竹川から少し小高い部分に建てられたいたことが、付近の地名に安岡屋敷そうき畑の地名が残る事から分かります。現在は老朽化の為に平成16年12月に町内会と個人寄付により建て替え落慶法要を済ませました。その後、年二回の老人会の行事として長雲寺の住職の導師作法により法要を営んでおります。(文:つやま城西まるごとまち自慢より抜粋) 2015年4月8日取材

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第3回 城西じば子の文化祭

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 2015年2月22日(午前9時30分~午後3時まで)に作州民芸館にてじば子の文化祭がありました。この日はあいにくの雨模様になりましたが、民芸館に入りきれないほどの人であふれていましたよ~。この日のイベントは餅つき、紙芝居から盛りだくさんの室内体験がありました。また、だがしコーナーもあり、テラ(この日だけ使えるお金)をゲットするため各コーナーに参加していました。豚汁・ぜんざい・きなこ餅・あげ芋・テラ洋食などがあり、みんなおなか一杯でした。

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津山の今昔を辿ってみました。(1)

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前回の特集から、ちょっとたどってみました。(2011年9月8日~2015年1月20日最終)

実際に正確な位置なのか定かではございませんが、ここかな?と勝手に行ってまいりました。

昔の写真提供は塩山さんです。位置情報の提供をいただいた皆様ありがとうございました。

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城西公民館で第8回城西公民館文化祭がありました。

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2014年11月9日(日)、雨の降る中を大勢の方がお出でになっていました。

各地区の公民館では色々なサークルがあって、楽しそうですね。ここ城西公民館でも第8回目の城西公民館文化祭のようで、沢山のサークルが発表されていましたよ~。しかも目をみはる作品が多くて楽しませていただきました。

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森藩政下に移転 山上がりした真言宗の髙福寺

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林田 清應山髙福寺のたたずまい 津山市街東部 野介代の丘陵山麓に清應山髙福寺が所在している。
津山東部では数少ない真言宗の寺院であり、津山市林田667に位置し、町内会は林田山根分に所属している。寺を象徴する大屋根の庫裡、客殿、大師堂や安永年間建立の本堂を始め、鐘楼堂、薬師堂、境内墓地、さらには裏山に四国八十八箇所巡りのミニ霊場を設けるなど、真言宗の必要な設備を全て備えた寺院らしい境内である。

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