取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「城西」で検索した結果,108件の記事が見つかりました。

神田 神田稲荷様(小田中)

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 神田稲荷様は通称中道と呼ばれる道路沿いに位置し、その昔はことあるごとに神田町内の人々が食事を持ち寄り懇談の場所としていました。近年は旧暦の10月の亥の日に亥の子祭りと称して、子どもたちが集まり丸い石に数本の綱をつけて提灯を灯して、各家庭を廻って亥の子歌を歌い、子どもたちが綱で縛った石で庭を打って穴を空けます。そのときに歌う歌詞は「亥の子 亥の子 亥のこの晩に祝わん者は 鬼生め蛇生め 角生えた子生め」で廻った各家庭からお布施を貰うと「この家 繁盛せえ 繁盛せえ」と歌って亥の子石を均し廻しをして次の家に向かいます。

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徳守神社 摂社「住吉神社社殿」

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徳守神社 摂社「住吉神社社殿」〔平成17年津山市文化財に指定〕
 社伝によれば、慶長九年、森長継公が津山城下の総鎮守として建立した徳守神社の元本殿とされています。その根拠として、この社殿の建築構造から建立年代を推定すると17世紀初期まで遡ることが出来ます。
 現在同じ建築様式で現存している建物としては、八出天満宮本殿「寛永十四年(1637)」千代稲荷神社本殿「天和三年(1683)」〔いずれも津山市指定文化財〕があるが、これらと比較しても数十年は先行した建物と推定されています。

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徳守神社 神徳の碑

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徳守神社 神徳の碑 (2015年5月2日取材)
徳守神社境内の北やや西よりに、末社の大国主神社がありますがその東隣りに円筒型の石碑がたてられています。この石碑に「県社徳守神社御神徳碑」と刻まれています。これは明治19年のこと、境内に土砂を入れてローラーでかためる作業が行われていましたが、当時の小田中村新田(今の小田中神田)の立石良次郎という人が、ローラー作業をしながら陰陽二柱神社の前に差し掛かった頃、誤って転倒しローラーの下敷きになりました。骨が砕け命を失うかと思われましたが、不思議なことに、身体が土中に埋もれ、かすり傷1つ負わなかったそうです。人々は皆、神様のご加護と感動し、このローラーの石を他に使うことを止め、徳守の大神様の神徳を称える碑として建てられたということです。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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神田 道祖神(同祖神) (小田中)

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 蓋がされ道路として使用されている神田川と嵯峨水路の合流地点付近に有る西条柿の木の根本に包まれて僅かばかりが見えていたのですが、現在は新しく全体が見えるようになっています。昔から通称賽の神様と呼ばれ地元神田に入ってくる災難や疫病を払う儀式の場所として、お正月のとんど焼きや盆の仏送りの場所としても使用されていました。また同じ場所に一ノ宮方面への道順を示す道標も埋まっています。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)(2015年5月9日取材)

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新屋敷 ベンチュリー(量水器)室

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新屋敷 ベンチュリー(量水器)室
新屋敷から安岡町へ(旧道)出る短いトンネルの入口の手前北側に周囲を囲った小さな建物がある。水道の施設であることは、聞いているが...。浄水場の井汲場長にお聞きした。
昭和9年第1配水池から市内への流水量を知るためのベンチュリー(量水器)が設置された。現在は電磁流量計となったのでベンチュリーは使用していないとのこと。でも姿形は当時のままで、流量計室として、今でも使用されている。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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神田 旧徳守神社跡地と徳守塚

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神田 旧徳守神社跡地と徳守塚 (2015年5月2日取材)
その昔、徳守と言う名前の徳の高い人が、旧小田中村で行き倒れとなり、近隣の小原家の先祖が手厚く看病したが、看病の甲斐無く亡くなってしまった。そこで小原家が徳守塚として祠を作り埋葬したとされています。その場所のほど近く現在は宮脇町にある徳守神社が祭られました。この場所は現在の神田公会堂東側の竹藪の中で、森忠政が津山の総鎮守として現在の位置に移るまで祭られました。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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新屋敷 薮の鼻のお大師様(小田中)

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新屋敷 薮の鼻のお大師様
 新屋敷あたりは昔竹薮が多く、その鼻先(前)薮の鼻となったようだ。その薮の鼻にあるお大師堂は寺町の愛染寺の奥の院であり、1605年金剛寺(岡山市)より畠山快雲が美作の地に来て薮の鼻に庵を建てた。その後に快雲により愛染寺が建立された。又、大師堂境内入ってすぐ右側には上浜恵海尼についての碑がある。現在のお大師堂は3回目の建て替えで新しい。毎月20日に愛染寺の住職、信徒による法会が行われる以前はお遍路さんがよく参ってこられていた。現在でも参ってこられますとのこと。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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神田 神田荒神様

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神田 神田荒神様 (2015年5月2日取材)
神田荒神様の場所は、神田公会堂屋敷内の西にある。
7月12日夏祭り、10月12日秋祭り、毎年老人会主催で徳守神社の神官をお招き、祭礼を行っている。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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権ノ庄のお大師様(小田中神田)

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 道祖神の場所から西へ40メートル程進んだところに権ノ庄のお大師様があります。建立された年度は不明ですが、元々紫竹川の氾濫の多い場所を鎮める目的で、紫竹川から少し小高い部分に建てられたいたことが、付近の地名に安岡屋敷そうき畑の地名が残る事から分かります。現在は老朽化の為に平成16年12月に町内会と個人寄付により建て替え落慶法要を済ませました。その後、年二回の老人会の行事として長雲寺の住職の導師作法により法要を営んでおります。(文:つやま城西まるごとまち自慢より抜粋) 2015年4月8日取材

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第3回 城西じば子の文化祭

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 2015年2月22日(午前9時30分~午後3時まで)に作州民芸館にてじば子の文化祭がありました。この日はあいにくの雨模様になりましたが、民芸館に入りきれないほどの人であふれていましたよ~。この日のイベントは餅つき、紙芝居から盛りだくさんの室内体験がありました。また、だがしコーナーもあり、テラ(この日だけ使えるお金)をゲットするため各コーナーに参加していました。豚汁・ぜんざい・きなこ餅・あげ芋・テラ洋食などがあり、みんなおなか一杯でした。

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