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本山寺のシャクナゲの花(美咲町)

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 岡山県美咲町にある岩間山 本山寺の境内にはシャクナゲの花が沢山植えられています。毎年、訪れるのですが、今年は4月11日と少し早めに伺ってきました。2013年5月2日分と併せてご覧ください。
 本山寺は、江戸時代津山藩の祈願所として尊ばれていた寺院で法然上人ゆかりの地でもあります。現在の境内地は4200坪と広く、十余棟の堂塔伽藍は昔に変らぬ面影を伝えています。また、国指定文化財、本堂(1350)、三重塔(1652)、宝筐印塔(1335)があります。
(岩間山 本山寺 法然上人ゆかりの地、2012年11月12日取材)

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後醍醐天皇が渡った「姿見橋」

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 出雲街道は、徳川時代に参勤交代の諸大名が、華々しい大名行列の絵巻物を繰り広げた道筋であり、その昔は官道と呼ばれ、都から石見・出雲地方に文化を運んで作州を東西に貫いた重要路線であった。
また、この道筋は、元弘の乱(1331年)には、後醍醐天皇が北条高時のために至上の御身を、遠流の鳳輦に委ねられ、隠岐の狐島に遷幸の砌、史蹟をとどめられた哀史の道でもある。
 元弘の乱後(1332年)、後醍醐天皇は播州今宿より杉坂峠を越えて梶並川の東岸「火の神」の渡し場に着かれた。この渡し場から川を渡り、渡里・上相を経て、岡の高塚山南麓の丘上に、間山の高福寺の寺領であった草庵を仮の行在所と定められ、仮寝の夢を結ばれたということである。
 翌朝、天皇は行在所をご進発にあたり、その南にある池畔の野橋の上に、暫くご駐輦になり、幾度かの敗戦に、おやつれになった龍顔を、池水に写された。
 この古事を伝えて、後にこの橋を「姿見橋」と名付けたとされている。
 この橋は、昭和47年の構造改善事業のために取り壊されたが、後醍醐天皇をしのび、史蹟碑が建てられ現在に至る。(木村増夫著 『勝央今昔滝川のほとり』より)
平成9年4月 岡地区史蹟保存会

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流通第ニ公園(下田邑)

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 2020年3月20日よく利用する友人と津山産業流通センター内にある流通第ニ公園まで行ってきました。ここの公園にはゴリラさんとパンダさんがいます。あまり知られていない公園ですが、知る人ぞ知る公園だそうです。駐車場も広くて、おトイレも奇麗で車いす対応です。後日4月4日訪れた時には、園内の桜が満開を迎えていてとても奇麗でした。岡山県津山市下田邑2232

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美しい菜の花畑(旧勝北)

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 時折小雨の降る日、遠くから黄色の、菜の花畑が見えてきます。ここは、津山市原地区にある小高い丘の上にある菜の花畑です。畑仕事に来られていた方にお聞きしたら、この菜の花は菜種油用に植えていらっしゃるそうです。それにしても、那岐連邦を借景に美しく咲いた菜の花畑で、心がやすまりました。近くには以前取材させてもらった羽出池の地蔵菩薩などがあり、何度か訪れていましたが菜の花畑は初めてでした。(2020年3月29日撮影)

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2020年の衆楽園のしだれ桜です。

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2020年3月23日・25日の衆楽園のしだれ桜の様子です。衆楽園にはしだれ桜をはじめ、咲く時期が違う数種類のさくらの木が植えられているので、長い期間さくらの花が楽しめます。
 衆楽園は平成14年、国の名勝に指定されています。大名庭園としての国の指定は、岡山市の後楽園に次いで岡山県下で2例目です。何より無料が嬉しい大名庭園です。 今は一般開放(入園無料)され、四季折々の美しさを見せ、市民や観光客に親しまれています。

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満開の「菜の花畑」と「梅林」

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 2020年3月8日、空はやや曇り空の中でのお散歩です。コロナウィルスで全世界が震えているこの頃。学校は休校になるし、休日でもあまり人のい多いところへは出かけるのもはばかれる中、健康のためにも歩くことにしてお散歩をすることにしました。そこで、いつものコースとは違う場所に行ってみようと思い立ち、梅の花が奇麗だった綾部西の梅林を思い出し出かけてきました。白い可憐な満開の梅の花を眺めながら散歩を始めると、なんと満開の菜の花畑にも出会え感激でした。

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坪井本陣跡(今井醤油店)

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 作陽誌に「駅中(坪井宿)に太守茶屋あり」と記載されている。「太守」とは松江藩ではないかと思われる。
 新家家系図によると、新家源蔵のとき「雲州松江城主 松平出羽守より、坪井駅中(坪井宿)「脇本陣」を仰せ付けられ、兼ねて御用達御定宿を命じ、年給金百余両の金を給う。」とある。この時「菊屋」と称す。
 新家利右衛門の時「松平出羽守より改めて御本陣を仰せ付けられ苗字帯刀を給る。金子の外に千足を下し給う。」本陣を命じられたのは明和3年(1766)の頃と思われる。

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美作の大庄屋巡り「福島家 福島善兵衛」

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福島善兵衛 大庭郡目木村 森藩~松平藩
大庄屋まで
 福島氏は、もともとは鎌倉幕府のもとで、伊豆福島郷に居を構え北條高時(1303-1333)代に故えあって四国土州七條公に仕え、土州安芸郡、讃州三野郡託間塩生構城・豫洲国分寺金甲山居たと伝えられる。享徳3(1454)年長宗我部元影により落城となる。一族を連れて安芸を経由して、美作の国勝山高田城の三浦氏を頼り作州の地につき、三浦氏に仕えたことに始まる。・・・19代一信(伊織介)の時。
文亀年間(1501ー1503)高田城三浦貞連の元で、山名右近亮の守護する篠向城を陥落させ城代として入城した。以来、21代玄蕃允 一盛(-1526)、22代玄蕃允 満則(-1548)、23代玄蕃 盛親(一則)-1584)75年間 篠向城を守護した。(23代玄蕃一則を目木構の祖とする)
天正4年(1576年)毛利・宇喜多連合軍により勝山高田城主三浦が滅ぶ。福島・金田が守護していた篠向城も陥落し、城から逃れていたが、宇喜多の家臣・江原氏に仕えた。福島盛親(玄蕃一則)の子・七郎右衛門は秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)に従い帰国後高麗犬を米来神社に寄進した。城主江原は釜山で病没し、その後関ケ原の戦いで西軍が負け宇喜多は改易され、福島、金田も帰農した。
江戸時代に入り、森藩により、大庄屋となる。

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2019 黒沢山萬福寺の紅葉

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 2019年11月30日の黒沢山萬福寺から望む津山市内です。
子どもの生まれて初めての厄除け『十三参り』は、虚空蔵菩薩さまに智・力・福を授かる加持として今に伝えられている。境内には、開山より約100年の後、弘法大師様、来山の折、錫を持って加持の為の秘水(阿伽の水)を湧かされたと伝えられる霊泉『明星水』がある。秋から冬にかけて朝に見る事ができる雲海、津山市を一望する夜景、太陽の動き・季節とともに移り変わる山の色、さまざまな景色が望める展望所が心を癒してくれる。

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鈴峯山 蓮乗院 薬水寺(美作市)

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 当寺は天平年間、聖武天皇の時代に行基菩薩によって開山されました。寺号を浄瑠璃寺と称し、薬師如来をお祀りしました。
 その後、正元元年(1259)に最明寺の北条時頼入道が、全国行脚の途中に立ち寄られました。
 その時眼病を患っており、本堂におこもりになったところ、「鬼門の方、山上の小池の清水で眼を洗うべし」という夢を見、さっそく洗うと、眼病がたちまちに平癒しました。
 そこに弁財天を安置し、寺号も薬水寺と改めました。
 弁天池の改修、社を再建しながら現在に至ります。しかしながら、平成になって山上に林道が開通したりと環境の変化のため、現在は残念ながら弁天池の清水はわずかながらしか湧いておりません。

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