河原儀山 眞光寺(福田下村)

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河原儀山 眞光寺 大字福田下村
 作陽誌と宝暦5年の由緒書上帳によると承和元(834)年3月15日弘法大師の関闢で、旦那は左衛門殿大江行経である。大師の御弟子 南池院僧都源仁法印が担当しての草創であり、当然真言宗の寺院であった。其の98年程後、承平2(932)年、比叡山の民部大僧正が流しものになったか、それとも自分から身をかくす必要があっのか当国に下着した。そして福田下村の地で霊異を感じ、加賀国の白山権現を勧請して天台宗の寺院として念仏思念三昧に入ること百日、たちまち9万8千の軍神が机の4面に現れた。ということで、最初の98年程の間、真言宗であったものが承平2(932)年以降天台宗に変ったものである。

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 天台宗寺院の鎮守は山王権現(日吉神社)が普通であるけれども、眞光寺の鎮守は白山権現で、しかも真言宗から天台宗に変った際に白山権現が勧請されていることは異例なことである。また、元禄12年、為貞太夫により神紙官への書き上げによれば、白山神社は倭文神社の末社で、祭神は伊弉冊尊で本社倭文神社と同時御鎮座でのある。祭礼は本社の祭礼に加わり毎年9月13日傘鉾でお旅所の弊山へ同道して神幸する様なあり来りおると書き上げられている。
 白山神社は眞光寺の鎮守であると共に倭文神社の末社として、倭文5社に準ずる神社としての待遇を受けていたのであって、倭文庄内にある寺院の鎮守とは之亦異例のことである。
 天正10年3月、本堂其の他悉く破壊されたので、天正14(1586)年江原兵庫助により建立された本堂は享保17(1732)年5月再建立されて今日に到っているものである。
 本尊は薬師如来の立像で、右に日光菩薩、左に月光菩薩を伴う薬師三尊になっており、この薬師三尊を譲るかの如く、その周囲を十二神将が取り巻いている。

(文:『久米町史』より抜粋)(2014年9月18日取材)

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                       末社神

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境内

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境内

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境内

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境内

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境内に咲く花が綺麗です。