青木山 常念院 極楽寺(鏡野町)

7-6gokurakuji5.jpg

鏡野八景 極楽寺とその周辺 
 青木山極楽寺の開基は、奈良朝の高僧、越智神融禅師と伝えられ、和銅年間に、この地に千手観音の像を安置して「極楽寺」と名づけられた。今から千二百年前の昔である。
 往時は、雌雄巌の下から五百七十坊の寺が甍をならべ、多くの僧侶が勧勤読経して繁栄を誇ったと伝えられているが、現在はその面影を偲ぶことができない。
 足利氏の末期、毛利の軍勢が入国するにあたり、寺は兵火にかかって焼失したという。
 慶長年中、本尊鎮守等が修理され、再建された常念院が現在の極楽寺となっている。

7-6gokurakuji10.jpg7-6gokurakuji11.jpg7-6gokurakuji21.jpg

 寺域は幽境の名をさながらに、巨樹、古木に囲まれ、寺前には静かに水を湛える極楽寺池があり、悠久の悲しみを伝えている。
 また、寺の付近、別所川の東西には、山本、新坊、下坊、岡坊、南坊などの地名が残り昔の十二坊の所在を物語っており、また、地獄、極楽、犬丸、猿頭など興味ある地名や学頭、惣内、惣別当などの名もあって往時の盛況を偲ぶことができるのである。(文:案内板より)(2019年7月6日撮影)(高野山真言宗 美作八十八ヶ所霊場 第64番)

7-6gokurakuji3.jpg7-6gokurakuji17.jpg

境内にはアジサイの花が沢山咲いていました。

7-6gokurakuji27.jpg7-6gokurakuji14.jpg

本堂です。

7-6gokurakuji25.jpg7-6gokurakuji18.jpg

境内の様子です。

7-6gokurakuji19.jpg7-6gokurakuji20.jpg7-6gokurakuji23.jpg

なでぼとけ                           白山神社

7-6gokurakuji16.jpg7-6gokurakuji28.jpg

境内に咲くアジサイの花です。

7-6gokurakuji31.jpg7-6gokurakuji6.jpg

銘木百選 極楽寺のありし日のモミの木の切り株の実物大写真です。

7-6gokurakuji12.jpg7-6gokurakuji13.jpg

慰霊塔です。

7-6gokurakuji1.jpg7-6gokurakuji2.jpg

極楽寺入口付近にいらっしゃいます。

7-6gokurakuji7.jpg7-6gokurakuji9.jpg

池のほとりにある極楽コミュニティハウス     極楽寺池

7-6gokurakuji8.jpg7-6gokurakuji33.jpg

極楽寺池


青木山 常念院 極楽寺
 和銅七年(七一四)、元明天皇の時代・越智神融禅師(泰澄)が諸国遊化の時、高山幽谷の地青木山のふもとに千手観音を安置し、極楽寺と名付けられました。
 その後天平二十一年(七四九)に、一千畝の寺領が寄進され、天長年中、弘法大師がこの寺に遊化し、自ら愛染明王の尊像を刻んで安置されました。歴代皇室の尊信を受け、伽藍を建立以後五百七十坊の寺がいらかを並べ、その盛大を競っていたといわれています。
 天正十二年(一五八四)毛利輝之の軍が岩屋城を攻めさせた時に、青木山に火を放ったために、悉く炎上しました。
 その後十二坊(惣持院・寂静院・常念院・上之坊・岡之坊・常楽坊・東之坊・西之坊・南之坊・北之坊・中之坊・山本坊)の坊舎が建立され、その中の大坊といわれる常念院が現在の極楽寺であります。
(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)