
倭文(しとり)神社(油木北)旧久米町

皆戦場〔合戦場〕(草加部)

津山の今昔を辿ってみました。(1)

鏡野八景 極楽寺とその周辺
青木山極楽寺の開基は、奈良朝の高僧、越智神融禅師と伝えられ、和銅年間に、この地に千手観音の像を安置して「極楽寺」と名づけられた。今から千二百年前の昔である。
往時は、雌雄巌の下から五百七十坊の寺が甍をならべ、多くの僧侶が勧勤読経して繁栄を誇ったと伝えられているが、現在はその面影を偲ぶことができない。
足利氏の末期、毛利の軍勢が入国するにあたり、寺は兵火にかかって焼失したという。
慶長年中、本尊鎮守等が修理され、再建された常念院が現在の極楽寺となっている。
寺域は幽境の名をさながらに、巨樹、古木に囲まれ、寺前には静かに水を湛える極楽寺池があり、悠久の悲しみを伝えている。
また、寺の付近、別所川の東西には、山本、新坊、下坊、岡坊、南坊などの地名が残り昔の十二坊の所在を物語っており、また、地獄、極楽、犬丸、猿頭など興味ある地名や学頭、惣内、惣別当などの名もあって往時の盛況を偲ぶことができるのである。(文:案内板より)(2019年7月6日撮影)(高野山真言宗 美作八十八ヶ所霊場 第64番)
境内にはアジサイの花が沢山咲いていました。
本堂です。
境内の様子です。
なでぼとけ 白山神社
境内に咲くアジサイの花です。
銘木百選 極楽寺のありし日のモミの木の切り株の実物大写真です。
慰霊塔です。
極楽寺入口付近にいらっしゃいます。
池のほとりにある極楽コミュニティハウス 極楽寺池
極楽寺池