懐かしの駅前「津山まつり」(1961年頃)
写真:未舗装ながら国道53号線斜線道路が出来上がり現在の原型が出来つつあります。
秋祭り踊り「本町連」と思います。 時期:昭和36年(1961)
2022年1月に私たちが見ている津山駅周辺が61年前にタイムスリップ。モイーズ、吉野館など61年前の写真を通して、「今は無いけれど、確かこんなお店あったよな!」なんて思い出すというのは結構楽しいものです。河部克己さん所蔵の写真集からシリーズ化してみます。(明宝会館)(津山駅舎)
写真:未舗装ながら国道53号線斜線道路が出来上がり現在の原型が出来つつあります。
秋祭り踊り「本町連」と思います。 時期:昭和36年(1961)
2022年1月に私たちが見ている津山駅周辺が61年前にタイムスリップ。モイーズ、吉野館など61年前の写真を通して、「今は無いけれど、確かこんなお店あったよな!」なんて思い出すというのは結構楽しいものです。河部克己さん所蔵の写真集からシリーズ化してみます。(明宝会館)(津山駅舎)
上記写真は永礼孝二 雪景(海)(制作年不詳)
津山郷土博物館3階(展示室の一部)で、永礼孝二・日下賢二の木版画展(2022年1月15日(土)~2022年2月13日(日)まで)が開催されています。
永礼孝二さんの作品がとても好きな私は早速ワクワクしながら訪ねてみました。そんなに多くの作品展示数ではありませんが、拝見すると、心穏やかな気持ちになれる期待通りの作品ばかりでした。多くの方に是非本物を見ていただきたいと思います。
当山は室町時代、山久世地内にある北谷寺屋敷に建立されました。その後、門所切尾峠手前に移築され、椿山一乗寺と号しておりました。天文23年(1554)に同寺を廃して慈雲山密乗寺と改名し、現在の地に移築されました。
ご本尊は、聖観世音で御徳は産授乳子育ての観音様として、近郷近在より参拝者が多数ありました。本堂の周りには、奉納されています手作りの乳房が多数吊るされていましたが、昭和27年本堂一部改修の折、いくつか浄焼されました。
至孝滝にある奥の院横には、不動明王が祀られており、毎年春にはお祭りがあり、多数の参拝者があります。参道には、四季により山つつじやシャクナゲ、秋は紅葉など色とりどりに包まれて、自然豊かな一帯です。(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年12月4日撮影)
由緒
当社は「延喜式」神名帳、備前国赤坂郡6座の内の1社である。備前国総社神名帳128社の中で正2位と記されている。古くは書紀一書に「其の蛇を断ちし剣をば、なづけて蛇之麁と日ふ。此は今石上に在す。」また一書に「素盞嗚尊、乃ち天蝿断の剣を以て、其の大蛇を斬りたまふ。」と記している。
「吉備温故秘録」で大沢惟貞は記紀、旧事記、神社啓蒙天孫本記、古語拾遺等から「曰く、この数書以て考ふるに、上古素盞嗚尊、大蛇を断の剣は当社に在る事明らかなり、その後、崇神天皇の御宇大和国山辺郡に移し奉るとあれども、当社を廃されしと見えず。(以下略)」
寛文9年備前藩主池田綱政が山頂磐座に在った小祠を造営復興し、延宝2年「社記1巻、社領20石」を廃藩まで奉納した。他に「備前一宮」として、今日「一宮巡拝」等で参拝者が増えつつある。
山頂の社殿は明治43年火災に遭い現在地に移す。
昭和20年「県社の資格有り」と認められた。
現在拝殿は平成5年改築。(文:岡山県神社庁HPより)(2022年1月4日参拝)
毎年恒例の白加美神社の初詣です。今年も元旦にお参りに行くと氏子の皆さんが来られていました。1時を過ぎていたので、少し遅めの初詣でしたが、お世話役の若者がぜんざいを勧めてくださったので戴いてきました。ほどよく甘くて美味しかったです。良い年になりますように。
高野神社本殿(県指定) 津山市二宮にある高野神社は、美作国二宮として広く知られています。
2022年1月1日の津山市二宮にある高野神社の初詣の様子です。新年になるとすぐに町内の方々が初詣にやって来られます。
髙野神社は約1500年の歴史をもつ美作三大社の一社で夜泣きの神様をお祀りする全国でも珍しい神社です。その本殿は、入母屋造・妻入を特徴とする中山造と呼ばれる様式の大型本殿で、寛文3年(1663)、森藩2代藩主長継が再建したものす。古来より霊験あらたかな神社として信仰を集め、商業・病気平癒・安産・開運の神として全国に崇敬者がいます。
2021年12月31日(金) 〜 2022年1月1日(土) 11:30~00:30大隅神社境内(鳥居~神門~本殿)の参道に牛乳パック灯籠が並び光の道が作られました。
昨年10月のつやま町燈路で大隅神社の参道に牛乳パック灯籠を並べましたが、12月31日大晦日の夜にも大隅神社の境内に牛乳パック灯籠を並べて光の道を作る催しを行うことになり企画されたものです。来年こそは明るい年となりますよう祈念して行います。上之町六丁目青壮年会、城東まちづくり協議会イベント事業部担当
2022年の初詣に徳守神社に参拝してきました。
今年の初詣は雪が舞ってとても寒い日となりましたが、令和4年(2022)になるとすぐに参拝者が列をなして静かに順番を待っていました。また、境内には多くの方が来られていてとても賑やかでした。今年こそ、コロナ騒動も収束して色んなイベントが盛り上がってほしいです。
はじめに
出雲街道とは、播磨の国、姫路に端を発し、出雲の国、松江に至る約215Kmの古道を言う。また、一説によれば松江の先、出雲大社とも言われている。
大和朝廷が、武力で全国を平定としたのに対し、出雲は神話に登場するが如く、平和裡に国譲りが行われ、朝廷より優遇され、鉄の産出も始まり、街道は繁栄してきました。
街道は人、物、文化を運ぶ役目を果たし、その重要性は五街道(東海・中仙・甲州・日光・奥洲)に匹敵し、同等の街道として発展してきました。
その後の街道は時代と共に、道筋は変遷、消失を繰り返していますが、現存している道で2コース有る場合は、合理性が高いか、最も古い道を採用しています。
今回の「つながる出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会は、特別企画 第4弾として、万能乢より江見までを、「勝間田宿の会」を主催者にして、「土居宿を後世にのこす会」と「勝山宿の会」とで共催して開催いたします。また、万能乢コースと別に、古代より開けた「杉坂峠コース」がありますが、このコースは又の機会に譲り、参勤交代が始まった江戸中期(慶長9年頃)より、土居宿が設置され「万能乢コース」が開発されたので、今回は同コースを歩きます。(文:特別企画(第4弾)出雲街道(Ⅱ)を歩こう会 主催:出雲街道 勝間田宿の会、共催:土居宿を後世にのこす会・勝山宿の会案内より)
瑠璃山 勝功徳院 蓮花寺(れんげじ)
天平10年(738)に開山されるも、度重なる兵火による消失、その後再建を繰り返し今日に至ります。延宝2年(1674)、今より少し上の御堂ヶ岡より現在地に移し、安政3年(1856)石垣等境内が完成しました。
「御堂ヶ岡より四方を眺めて山形あたかも八葉の蓮花に彷彿たりの故に寺号とす。本尊薬師如来の霊験効しきにより、瑠璃光如来の義を執りて山号となす」といわれています。
昭和62年、現在の本堂、庫裏を建立しました。平成3年梵鐘を新鋳し、併せて石段の改修、四国八十八ヶ所霊場の整備を行いました。
この石段は山門までの33段、さらに本堂3段、鎮守堂6段を参拝することによって、男女の厄除けを祈願する階段となっています。昭和9年大師入定1100年御遠忌を記念して、蓮花寺の裏山一帯に寺や集落を取り囲むように四国八十八ヶ所霊場を勧請し、遍路道が開創されました。その後、耕作放棄地の増加に伴って遍路道の荒廃が進み、参拝が困難となったため、寺の東方市道沿いに集祀して巡拝の便を図ることにしました。
本堂の裏山を利用した、江戸前期の技法による枯山水の庭園があります。枯れ滝の滝口には仏教的思想が取り入れられた三尊石があり、その中心は不動石となっています。また泉水には長寿、吉祥を表す生き物とされている鶴、亀が石組によって表現されています。(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年9月19日撮影)