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取材記事内を検索ワード「伝説」で検索した結果,103件の記事が見つかりました。

長内のムクノ木(美作市)

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美作市指定重要文化財(天然記念物) 長内のムクノキ
 後醍醐天皇が隠岐へ流される際、ここで食事をされ、そのとき箸を立てられたものが、根を下し、生長したとの言い伝えがある。
後醍醐天皇一行の経路が南であったとする南路説の証拠の一つとなっている。
樹齢は約700年(推定)で、目通り7.3m、樹高は15m
指定年月日 平成17年3月31日 美作市教育委員会(文:現地案内パネルより)

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大宮神社(美咲町百々)

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由緒
 本神社の創建は第43代元明天皇の御宇(708)と伝えられている。和気郷の旧社で和名抄所載神社の一つで、古くは御本殿が3間4面あったと舊記に記されている。
 慶長年間に火災に遭い、その時に仮に建てた御本殿が現在まで残っていたが老朽化が進み、平成9年から3ヶ年かけて募財を募り改築した。
 明和4年5月但州出石城主仙石越前守の祈願所となり、銀20枚の寄進があった。元弘2年(1332)3月後醍醐天皇が隠岐に流され遷幸される時、当社の境内にあたかも爛漫と咲いた桜の花をご覧になって暫しの間休憩され旅の疲れを癒され、お喜びになったと伝えられている。その時の大木が安政5年の暴風で倒れ明治39年に屋舎を建てて「大御幸桜」として保存している。
 御祭神は猿田彦大神で天孫降臨にあたり四方八方に分岐する道を守り教える神である。現代では交通安全の神としてまた、人の運命を開く神、全ての事を良き方に導く「みちびきの神」として信仰を集めている。(文:岡山県神社庁HPより転載)(2025年7月26日撮影)

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神代の四季桜(真庭市)

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神代(こうじろう)の四季桜 (2025年11月15日撮影)
 後醍醐天皇の足跡の一つに、後醍醐天皇にまつわる伝説のある「神代の四季桜」があり訪ねてきました。ここは、四季桜と紅葉の名所として知られ、丁度見ごろを迎えていました。
 後醍醐天皇が隠岐に御遷幸のとき、この地でご休憩の折、馬丁の不注意で満開の桜を散らしたので
  春も咲け夏秋も咲け冬も咲け
   四季の桜と名を授けお・・
とお詠みになった。
それ以来、この桜は旧暦の四季に咲くと伝えられ、今はその何代目かの樹である。真庭市教育委員会

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出雲街道 鮒越の乢(真庭市)

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鮒越の乢(ふなこしのたわ)
由来:此の処鮒越乢は出雲街道として京に通ずる官道で重要な交通路として栄え、その昔、後鳥羽上皇、後醍醐天皇が隠岐へ配流の途時、此の地へ足を運ばれたと伝へ聞く。
 東より西へ、西より東へと大小の鮒が峠を越えるような形の畑があり、土地の人々は鮒畑鮒越乢とよび、鮒越の地名が今も残る。しかし時の流れと共に昭和五十六年道路改良工事の為、西側の鮒畑は姿を消し、平成十年より岡山県が進めて来た県北流通センター工事に伴い、東側の鮒畑も今では尾鰭をわずかに目にする事が出来るのみとなった。ここにその名残りを惜しみ後世にこの地名の由来を記し此れに残す。平成十戌寅年四月吉日建之(文:現地説明碑より)(2025年11月15日撮影)

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名勝 神代の鬼の穴・龍宮岩

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名勝 神代の鬼の穴・龍宮岩
 新庄川の清流に洗われた雪白の石灰岩が、長年の浸食により様々な奇岩を創り出し、その景観はあたかも龍宮を思わせるところから「龍宮岩」と呼ばれている。
 河中の岩には数多の小洞窟があり、流水は或いは激流となり吸い込まれ、或いは噴出して渦巻きを生じ、深い淵には紺碧の水を湛え龍宮の名に背かない。
 これより二百メートル下流、左岸に「鬼清水」がある。夏でも摂氏十二度の冷泉は作西の三清水の一つと云われ、出雲の国の松平不昧公が参勤交代のおり愛飲されたと伝えられる。
 国道側の石灰岩壁には「鬼の穴」があり、五十メートル程入ることができる。洞内には明治維新の際、山陰鎮撫総監の西園寺公望公が通過の折に書かれた壁書が刻まれており、また、イシノミの一種、トビムシの一種、ヤスデの一種、その他小動物の生息が確認さ れている。
 この一帯は真庭市指定名勝地となっている。真庭市(文:現地パネルより転載)(2025年7月9日撮影)

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史跡「後醍醐天皇の休石」(新見市)

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 2025年5月18日「出雲街道を歩こう会」に参加したついでに、鳥取と岡山の県境・明智峠を越えて新見市花見山にある史跡「後醍醐天皇の休石」に立ち寄りました。現地は、岡山より鳥取西部へと戻る途上、県境に近い新見市千屋の国道180号沿いに看板がみえます。
 伯耆に向かう途中の当地で大きな石を見つけ休まれ、遠くの明地峠(明智峠とも。岡山県新見市と鳥取県日野町の県境にある)を見られて「夜は明智 月は入野に 身は成地 いつも花見る 休石かな」と詠まれたという。


史蹟「休石(やすみいし)」の伝記
 人皇第九十六代後醍醐天皇は、鎌倉幕府倒幕のため笠置で幕府軍と衝突したが敗北し執権、北条高時に捕えられ、元弘2年(1332年)3月7日、京都六波羅をご進発、響く何の旅路を重ねられ、美作の国より備中路に入られ、旧阿哲郡大佐町大井野を通過、市倉峠を越え、入野(現在の井原)に至り、落合より当地花見へご到着されこの大井氏に御輿を駐(やす)め、しばしご休息遊ばされました。
天皇は更に北上、明智峠を越され、伯耆路に入られ4月1日隠岐島へ流配されました。
よってこの地を休石と呼ぶようになり、爾来天皇を偲び毎年旧暦9月15日、後醍醐神社の祭として執行し今日に及んでいる。(文:現地由来書き看板転載)(2025年5月18日撮影)

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JCI tsuyama 公開例会「横田英毅氏講演会」

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 2025年7月13日、グリーンヒルズ リージョンセンターで、一般社団法人津山青年会議所が、伝説のトヨタディーラー創業者横田英毅氏を迎えて、公開例会という新しい試みの講演会を行いました。
 全国のトヨタディーラーの中で、顧客満足度13年連続No.1の組織を創り上げた実績のある横田英毅氏の「社員のエンゲージメントを高めて最大限の力を発揮することができる組織風土づくり」という演題の講演会で、第一部はマネージャーとしてあるべき姿、第二部は社員との接し方で、会場のリージョンセンターはほぼ満席で、みなさん熱心に講演を聞いておられました。

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狩衣清水(千貫清水・満願清水)の由来について

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狩衣清水の由来について               (上記写真:狩衣清水の内上手の満願清水)

 狩衣清水の由来は、鎌倉時代末期元弘二年(1332)前年の元弘の乱により、隠岐の島に配流となった後醍醐天皇が途中当地の泉(清水)の傍で休息、御召の狩衣をぐいび(グミ)の木に掛けて洗顔の上、清水を飲まれた際に、京への早期遷幸を祈願し、満願清水と名付けられた。そして、出立の折、天皇方の目印にと狩衣を置いて行かれた。
 その故事により、当地を狩衣と称し、下手の井戸を千貫清水(洗顔清水)、上手を満願清水として現在も愛飲されている。
 今般、地元狩衣自治会では、地域の歴史遺産として守り伝えていく為に、上手井戸に石碑を新設しました。(下手井戸は石碑、案内板有)
 この歴史ある狩衣清水が末永く後世伝承される様願うばかりである。また、地元中正小学校校歌の一節にも「狩衣清水湧くところ」と歌われ親しまれている。

<関係年表>    
後醍醐天皇  京都進発   元弘二年(1332)3月7日(旧暦)
 〃     院庄館到着   〃      3月17日
 〃     〃  出立   〃      3月21日
 〃     〃  早朝  児島高徳十字の詩の出来事有
 〃    ※狩衣清水<休息>       3月21日
 〃     醍醐桜~大井野~千屋~根雨(ルートは諸説有)
 〃     隠岐の島到着         4月2日
 〃      〃  脱出 元弘三年(1333)2月24日
 〃     京都遷幸   建武中興(新政)

<参考書籍> 太平記・作陽誌・久米町史 他  令和6年 狩衣自治会(津山市宮部下字狩衣)

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臨済宗妙心寺派 万歳山 安国寺

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 1339年(暦応2)足利尊氏・直義兄弟が夢窓国師の勧めにより、桓武天皇が国分寺を建てたことと同じように、国土安泰・元弘以来の戦死者のために、全国66か国と2島に安国寺を建立しました。『作陽誌』によると美作国では院庄神戸村にありました。しかし戦災にあい、元禄年中の洪水のため跡形もなくなり、吉井川の川敷に安國寺瀬という名だけ残されていると伝えられています。
 1689年(元禄2)龍雲寺の夢堂自桓禅師は藩主森長継公に請い、当時英田郡作東町角南村(現美作市)龍雲寺にあった十一面観音を移し、善福寺の開祖となりました。
 宝暦年間(1751~1764)に四世萬愚和尚が許を得て善福寺を安国寺と改めました。

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つゞみち(鼓打)鼓ヶ池

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 大字宮部下にある地名で「つゞみち」というのが本来の地名であるが、これに「鼓打」と言う漢字をあてた為に「つゞみうち」となって次の伝説が発生したのかもしれない。
 後醍醐天皇が隠岐へ御遷幸の途次、ここで鼓をうたれたということである。(文:久米町史下巻 伝説より)(2025年5月17日撮影)

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