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取材記事内を検索ワード「岩」で検索した結果,228件の記事が見つかりました。

造山古墳(つくりやまこふん)

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 日本遺産「桃太郎伝説」の生まれたまち、おかやま ~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~
造山古墳:古墳時代中期(5世紀前半頃)に築造された全長約350mの前方後円墳です。現在全国4位の規模で、築造当時は国内最大でした。自由に立ち入ることができ、墳丘(ふんきゅう)を歩いて見学できる古墳としては国内最大です。
 周囲には、家来などを埋葬したといわれる倍塚(ばいづか)が6基もあり、その一つである千足古墳(せんぞくこふん)では、熊本県から運ばれた石材が使われ、直弧文(ちょっこもん)と呼ばれる直線と曲線を組み合わせた文様を刻んだ石も発見されています。
 この地に大きな勢力を持つ有力者がいたことで、対立する大和朝廷が派遣した吉備津彦命(きびつひこのみこと)が、鬼神(きしん)(温羅とも呼ばれる)を退治する伝説が生まれたと考えられています。(文:現地案内板より転載)(2024年7月3日撮影)

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再企画 つながる出雲街道(久世~勝山宿2)

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 再企画第1弾第3区 つながる出雲街道(久世~勝山宿1)からの続きです。
「夢街道・ルネサンス」認定 真庭の歴史遺産の古道
 現在の兵庫県にあたる播磨国の姫路から、島根県にあたる出雲国の松江までを結ぶ約215キロの古道「出雲街道」を歩くイベントが、2024年10月29日(日)に開かれ、県内外から約50人が参加。今回主催の出雲街道勝山宿の会メンバーの皆様に、久世から勝山まで案内して頂きました。


「街道歩こう会」の活動履歴
平成24~28年:「出雲街道(1)を歩こう会」7区画(延57.0km)
       (津山市~真庭市~新庄村~鳥取県・日野町)
平成26~令和元年:「大山みちを歩こう会」6区画(延55.5km)
       (真庭市・上山~真庭市・延助)
令和2年:国土交通省より認定された「夢街道ルネサンス」の「「つながる」をキーワードに、同2年より市外に活動の場を求める。
令和2~4年:つながる「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会」6区画(延45.1km)
(美作市・勝央町・津山市)
各会団体の協力を得、県内の「出雲街道」及び市内の「大山みち」は統べて踏破(延19回)することが出来ました。(文:資料より転載)

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津山商工会議所女性会2月例会で淡路島日帰りバス旅行

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 2024年3月7日津山商工会議所女性会の2月例会(親睦委員会主催)で、淡路島日帰りバス旅行に参加してきました。午前9時津山を出発して一路淡路島へ向かい、昼食会場のオーベルジュフレンチの森にて昼食をいただき、昼食会場から淡路島の沿岸のリゾート施設を眺めながら約30分後、目的地の水仙の丘へ到着、早速清々しい空気を胸一杯吸いながら水仙の丘を散策。その後、すぐ近くの伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)に参拝。途中から語り部の方がバスの中で絵本を見ながら説明をしてくださいました。伊弉諾神宮では神社の由来や君が代、さざれ石の由来、神宮参拝の作法など多くの事を学ばせて頂きました。そして、たこせんべいの里、淡路ハイウエイオアシスでお土産を買い込み帰路へ着きました。皆さん、大変楽しい旅で大喜びでした。

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史跡 大谷・定古墳群(真庭市)

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 2021年5月12日「第1回さららバス研修 古道をたずねる」北房方面~多和山峠~の研修に参加してきました。大谷1号墳遺物見学の様子を記しておきたいと思い組んでみました。


 真庭市上中津井の地では7世紀に入ってから、定東塚・定西塚・定北・大谷1号・定5号・定4号という6基の横穴式石室の方墳が次々と築かれました。これらを総称して大谷(おおや)・定(さだ)古墳群といいます。
 6基の各古墳はいずれも、石垣状の列石を有する段構造の方墳であることを大きな共通点としており、技術的に一連の系譜上にあることを示しています。
 出土遺物をみても、大谷1号墳の環頭大刀や定東塚古墳の全製品に代表される豪奢な副葬品などから、大谷・定古墳群の被葬者がこの地域を治めていただけの首長にとどまらない、かなり広域に影響を持つ特殊な立場の人物であったことが十分に考えられます。
 7世紀代という、この時期の古墳が特定の地域に集中し、連綿と築かれるというありかたは西日本でも大変珍しく、そのことから大谷・定古墳群は国の史跡に指定された。真庭市教育委員会(文:現地案内板より)

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衆楽園「竹あかり」

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 2023年7月29日(土) 〜 2023年7月30日(日) 津山市山北にある衆楽園(旧津山藩別邸庭園)で、竹が奏でるほのあかり「衆楽園 竹あかり」が(一社)津山青年会議所主催で執り行われました。
 「津山藩初代藩主・森忠政公の奥方・お岩の初盆に竹を使い万灯をともしたと言われ、それから 76 年間、庶民らの手によって万灯会は続けられてきたそうです。先人の想いを馳せると共に、衆楽園の魅力発信にもつなげられれば」との思いからだそうです。

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西登山 金屋寺(加茂郷88ヶ所霊場第18番札所)

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西登山金屋寺は、西谷の奥の山腹、木ノ口にある。(昭和46年2月10日村指定史跡)
 金屋寺創建の由来については明確ではない。人口に膾灸されているところによれば、阿波村はこの地からタタラ稼業の集団によって開発された。
 阿波村の地は、良質な砂鉄を含んだ真砂土(風化花崗岩)の山が多く、タタラ製鉄の跡と思われる鉄滓の散乱したところや、タタラ製鉄にまつわる地名も多く、古代から近世にかけてタタラ製鉄が行われていたことがしのばれる。
 本来、タタラ製鉄に従事した稼業集団の人たちの信仰したのは金屋子神を祀る習慣をもっていた。金屋子神は自分たちの稼業の安全と加護を願って信仰する神であった。したがって、金屋子神も社はいわゆる自分たちの職場のところに建立されたものと考えられる。

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2023 千年寺の満開のさくら(下田邑)

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2023年3月30日の千年寺の満開のさくら
 長継山千年寺は、長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した寺です。 今は、桜の木が大きく育って、とても綺麗に整備されています。(2009年4月5日取材)(2014年4月6日取材)

 徳川幕府と後水尾法皇は中国よりの渡来僧隠元禅師に帰依され宇治の地(後水尾法皇のご生母中和門院の別荘)を付与し、摂津国麻田藩主(青木氏一万石)を普請奉行として黄檗山万福寺を創建されました。
 美作の国主森長継公(十八万六千五百石)も又隠元禅師に帰依し、領内に教義を具現する長継山千年禅寺の造営を発願されました。それは「泰国安民武運長久」を祈念すると同時に一種の公共事業でもありました。鎌田源太兵衛を普請奉行として農閑期に作業をし手当ては毎日支給をするように・・・又戦乱に備える要害としての機能も持たせています。
 神楽尾の山城を一望に治める千年寺は鶴山城とも連繋されていたのです。千年寺一帯は西に紫竹川が流れ周囲の山を利用して進入路を大門(田邑川東向公会堂)に集結させ龍吟径を通って寺に入るようにし、他は谷の湿田を利用して侵入を防げました。
 寛文八(1668)年十一月七日、長継山千年寺は創建され翌年の春、二月五日開山鉄堂和尚(美濃の出身)が入山致しました。

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史跡津山城跡二の丸東側石垣修理工事見学会

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 国史跡の津山城跡整備事業の一環として、令和元年度から津山市が行っていた二の丸東側石垣の修理工事が終了したので、2023年3月11日に現地見学会が行われました。当日はお天気も良く汗ばむくらいの中、普段は入れない所での見学会でした。この工事で一番大変だったのは、東側は狭くて大きな重機が入れないので、石垣を挟んだ見えない本丸からのクレーン操作だったそうです。
 この石垣修理工事は令和元年12月~令和5年3月、工事金額は171,523,000円、解体した石のは約950個(築石および大きめの間詰石含む概数)、解体面積は242㎡(表面228㎡、背面14㎡)、取り替えた石は(築石サイズ)約70個(破損によるものと、花崗岩の取り替え)
2021年11月28日の二の丸東側石垣修理工事の現地見学会の様子

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セツブンソウの花が咲いています。

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 2023年2月25日に美作市田殿にある神社の境内で咲く可愛いセツブンソウを写してきました。
境内の看板には、「田殿の自慢は清瀧と節分草です。節分草は珍しい大切な植物です。ここが一番好きで群生したのです。田殿の人たちが、大切に保護して育てています。人間が手を入れるのが一番悪いことがよくわかりました。どこでも育ちません。そっと見守ってください。美しい花を咲かせます。
平成8年7月 清龍の里の会・美作町」と書かれています。毎年可愛い花を咲かせ楽しませてくれる節分草を踏みつけないでね。

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出雲街道 宿場名の語源由来

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出雲街道 宿場名の語源由来を四日市観光ボランティアガイドの村田三郎様から頂きましたのでご紹介させていただきます。(上の写真は津山ボランティアガイドの末澤敏夫さんと所有の出雲街道絵地図)

出雲街道 宿場名の語源由来 2023.02.12 村田三郎

1.序
出雲街道は、播磨国姫路(兵庫県姫路市)を始点として、中国山地を横断し、出雲国松江(島根県松江市)に至る街道のことを指す。古代は都(大和)と出雲とを結ぶ最短距離の官道で、国司が中央とを往復する道であった。江戸時代は、参勤交代の道として、津山、勝山、広瀬、松江などの各藩主が利用し、出雲(松江)の藩主・松平侯(越前松平家)が参勤交代で通ったことから「出雲街道」と呼ばれるようになった。姫路から松江までは、53里208km、25か所の宿場があった。出雲街道の特徴というべきは、出雲大社(祭神大国主大神)・美保神社(祭神事代主神、三穂津姫命)を祀る「参詣・信仰の道」であり、また、たたら製鉄製品の全国流通を支えた「鉄の道」でもあった。

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