企画展「津山洋学の名品展」
7月、開催中の企画展「津山洋学の名品展」は一部展示替えを行いました。
今回の企画展では、常設展示には並んでいないけれども、津山の蘭学・洋学を語るうえで貴重な資料のほか、異国文化への関心や明治の文明開化を物語る興味深い資料などを、いくつかの小テーマに沿ってご紹介しています。会期は9月25日(日)までですので、ぜひご観覧ください。(文:津山洋学資料館)(2022年7月3日撮影)
7月、開催中の企画展「津山洋学の名品展」は一部展示替えを行いました。
今回の企画展では、常設展示には並んでいないけれども、津山の蘭学・洋学を語るうえで貴重な資料のほか、異国文化への関心や明治の文明開化を物語る興味深い資料などを、いくつかの小テーマに沿ってご紹介しています。会期は9月25日(日)までですので、ぜひご観覧ください。(文:津山洋学資料館)(2022年7月3日撮影)
只今、洋学資料館では、令和4年度前期企画展「津山洋学の名品展」会期:令和4年3月19日(土)~9月25日(日)が行われています。
常設展示には並んでいないけれども、津山の蘭学・洋学を語るうえで貴重な資料のほか、異国文化への関心や明治の文明開化を物語る興味深い資料などを、いくつかの小テーマに沿ってご紹介します。
主な展示資料...ペリー来航絵巻、開成学校開業式之図、オランダ王国総領事館旧蔵のヒンデローペン装飾缶など約35点(津山洋学資料館)
人は昔から、動植物や鉱物などを薬として使ってきました。
江戸時代の薬は、そうした自然由来の生薬であり、刻んで乾燥させるなどの簡単な加工を施して、薬効が高くなるように調合されました。当時は、いわゆる「鎖国」によって、中国人とオランダ人のみが、長崎で交易を許された時代でしたが、医師たちは治療に役立つものを見つけ出そうと、両国から輸入される薬を研究したのでした。
本展では、江戸時代から明治時代にかけて、人々が薬に対してどのような関心を持ち、どのように研究したのかをご紹介します。「あれも薬になったのか、これも薬になったのか」と、楽しみながらご覧いただければ幸いです。(文:津山洋学資料館)(2021年7月11日撮影)
津山洋学資料館 春季企画展「資料が秘めた物語Ⅲー洋学者がみた西洋文化ー」が、令和3年3月13日~6月13日まで開催の予定でしたが、岡山県に「緊急事態宣言」が発令(6月20日まで)され各公共施設が閉館となってしまいました。その前に取材していた様子です。(2021年3月19日撮影)
江戸時代の洋学者たちは、西洋から医学や植物学、化学などの新しい学問を受容しました。また、学問だけではなく、西洋の衣・食などの文化にも関心を持って、様々な記録を残しています。そうした記録は、洋学者たちの研究活動のもとになった好奇心や探求心・観察力を伝えてくれます。
今回の企画展では、『解体新書』が刊行され、江戸で蘭学が花開く中で催された蘭学(洋学)者たちの宴「新元会」、そして幕末から明治時代にかけての「鉄道(蒸気機関車)との出会い」という二つのテーマで、資料に秘められた洋学者たちの「西洋文化・文明への好奇心」を読み解いていきます。洋学者たちのワクワクした気持ちを追体験していただく機会になれば幸いに存じます。(令和3年3月13日津山洋学資料館)
風情あふれる旧出雲街道「城東町並み保存地区」のひな祭りです。
代々受け継がれてきた歴史のある雛人形や豪華な飾りはそれぞれのご家庭でご自慢の品々でしたが、生活様式の変化によってかつてのような「雛まつり」を祝うご家庭が少なくなりせっかくの素晴らしい「雛飾り」の多くが仕舞われたままになっています。そんな、「お雛さま」を玄関先やお店のショーウインドウに飾って皆さんに見て頂き一緒にお雛まつりを祝う、そして雛まつりを楽しみながら街を巡り城下町津山の歴史や文化を感じて頂くのが「津山城下町雛めぐり」です。
2020年12月16日(水)午後1時30分~午後3時から、津山市大谷 津山市中央公民館 1階大会議室で、「第8回作州忍者鶴山隊学習会」がありました。いまや忍者は世界中で知れ渡っています。NHKでも忍者の特集があったり、また、ブラタモリなどで全国的にも脚光をあびていますね。
さて、今回のテーマは「津山出身の蘭学者 箕作阮甫とその家系」講師は小島 徹氏(津山洋学資料館館長兼津山市史編さん室長補佐 学芸員)です。今回は密を配慮し方多くの方に参加して頂くため大会議室を確保しての学習会でした。(第7回勉強の様子)
令和2年度津山洋学資料館冬季企画展「仁木永祐と籾山黌をめぐる人々」
会期:令和2年11月28日(土)~令和3年2月21日(日)津山洋学資料館 企画展示室(津山市西新町5)
津山市街の北方、籾保の丘陵に、高さ4メートル程もある、大きな石碑があります。この石碑は、江戸時代後期から明治時代にかけて、この地で医療や教育、政治に尽力した医師 仁木永祐を顕彰するため、門人や地域の人々によって建立されたものです。
永祐は1830(文政13)年に下津川村(現在の津山市加茂町下津川)の中庄屋 豊田伊兵衛の四男に生まれました。江戸や大坂へ遊学して洋学と漢字を学び、籾山村(現在の津山市籾保)の医師 仁木隆助の養子となって地域医療に尽力。明治時代には自由民権運動にも参加して「美作の板垣退助」と呼ばれました。
2020年10月17日(土)の夜(大隅神社宵祭りの夜)に城東地区の旧出雲街道を交差する小路や上之町の通りに手作り燈籠を並べ町に明かりを灯すイベント「つやま町燈路」~コロナに負けない町・城東!~が開催されました。
開催の趣旨は、冬の新型コロナウイルス第2波到来に向けて、城東地区連合町内会が一体となって実施。コロナで暗かった2020年前半を払拭し、気分を明るくすると共に、来るべき冬のコロナとの新たな戦いに備えて英気を養う目的で開催されました。美しい白壁が燈籠とよくマッチして素敵でした。
箕作佳吉は、1857(安政4)年に津山藩の江戸上屋敷で生まれました。この前年、祖父の阮甫は洋学の研究・教育機関であるはん蕃書調所の教授職となり、佳吉の幼少期には、父 秋坪が翻訳方として2度ヨーロッパへ出張、二人の兄もイギリスへ留学します。
洋学者一家に育った佳吉は、17歳でアメリカへ留学し、エール大学とジョンズ・ホプキンス大学で動物学を学んで、帰国後26歳で東京大学の日本人最初の動物学教授に就任しました。そして53歳で亡くなるまで、臨海実験所の建設や動物学会の再建に尽力し、多くの弟子を育成して、日本における近代的な動物学研究の確立に功績を残しました。
その功績の大きさを反映しているのが、佳吉にちなんで名づけられた生物たちです。多くの学者たちが、佳吉への敬意や親愛を表すため、新しく発見した生物の学名・和名を佳吉に献名しているのです。
今回の企画展では、魚類を中心に佳吉にちなんで名づけられた生物約20種類をパネルにして紹介しました。(文:津山洋学資料館)
2019年10月20日に大隅神社・高野神社を皮切りに、津山まつりが始まりました。当日は、晴れときどき曇り空のお天気でしたが、大隅神社の秋の大祭も無事に終了しました。大隅神社では、今年初めてのお餅投げがあったり、インドネシアの若者や、美作大学の学生さん、また、多くの若者が初参加という事で和気あいあいでとても良い雰囲気でした。数人で参加していたインドネシアの若者に津山まつりについて聞くと、「お祭りは楽しいです。インドネシアにも沢山のお祭りがあって賑やかです。」と教えてくださいました。