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取材記事内を検索ワード「古墳」で検索した結果,77件の記事が見つかりました。

万燈山古墳 加茂町指定史跡 

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 万燈山古墳は直径24m、高さ4mの円墳と指定されています。昭和46年11月から12月にかけて発掘調査が行われ次のことがわかりました。
 南に開口する横穴式石室であり全長約11m、玄室長6.5m、幅2.2m~2.4m、高さ2.8mで、現在わかっているものでは、県北最大の石室です。この石室の中に組合わせ式の石棺1、陶棺1、木棺7があり、20体以上の埋葬者がたしかめられ、また羨道入口において大がめなどを破砕した葬送儀式あとが見つかりました。
 石室内からは次のような遺物が出土しました。金環21、勾玉7、管玉6、切子玉6、大玉・小玉類130、小金環2、空玉20、直刀9、刀子(短い刀)14、鉄鏃(鉄のやじり)10、馬具2組(鉄地金銅張飾具付)、馬鈴2、鉄滓及び土師器多数、須恵器の高坏5、坏21、まり(水や酒を盛った器)2、提瓶5、平瓶3、壺2、坩2、台付鉢1、大がめ1、他破片多数。(出土品の一部は加茂町歴史民俗資料館に展示しています。)
 この遺物のうち鉄地金銅張の馬具類や馬鈴は、石室の規模とともに、この古墳に葬られた人が当時の社会階層の上位にあることを示し、鉄滓は、鉄生産又は加工を行ったことを示しています。
 この古墳は6世紀後半(約1400年前)に築造され、7世紀始めまで追葬が行われたものです。

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中宮1号墳の出土遺物

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中宮1号墳の鉄刀と出土遺物
 現在、岡山県が国道53号(津山南道路)改築に伴い発掘調査をしている丘陵の、皿川を挟んだ対岸にも数多くの古墳が知られています。これらの古墳の中で、近年津山市が少しずつ進めている鉄器の保存処置が完了したばかりの「中宮1号墳出土の鉄刀」を中心に、中宮1号墳出土遺物を展示します。

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弥生の里文化財センター「記念物100年展」

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碁石 美作国府跡(津山市総社)
 平安時代の後半(12世紀)に使われていた碁石です。白色または透明の碁石と黒色の碁石の2種類が出土しています。
 碁石は、現在のように真ん丸なものは少なく、ほとんどが楕円形や少しいびつな円形です。石の厚さも薄いものから分厚いものまで様々で、自然石をあまり加工せずに碁石として使用していたようです。よく使われていたのか、石の表面はつるつるしています。
 碁石は国府の建物があったと推定されている場所の近くで多く出土しているため、平安時代の役人たちの間では、休憩時間に囲碁をすることが流行っていたのかもしれません。

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青勝窯 勝間田焼きの窯だし

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 2019年10月14日に青勝窯(勝田郡勝央町岡)の勝間田焼きの窯だしに伺って来ました。ここでは、勝間田焼き復活会の皆さんがノースビレッジ北約200mの所の窯で仲間と共に勝間田焼きを続けておられます。奥田福泰のお話では、
 勝間田焼は、古墳時代に朝鮮半島から伝わった須恵器生産の技術を受け継いで焼成されたもので、青灰色で非常に硬質な焼き物です。その生産は勝間田窯(勝田郡勝央町)で行われ、現在窯跡として十数か所が確認されています。製品は碗・小皿の食器類からこね鉢等の調理具、壺、甕等の貯蔵具など多様で、主に美作地域から山陰まで広域に流通していました。しかし、鎌倉時代までに生産の終焉を迎えることになったそうです。

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第22回 さら山時代祭

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 2019年11月10日(日)9時00分〜15時00分 今年は素晴らしい天気に恵まれて心もウキウキです。青空の下佐良山小学校から、御醍醐天皇が顔を洗ったとされる洗顔清水までを時々バスを利用しながら歩いてきました。途中で時代行列とも出会いました。美味しいうどん、焼きそば、ピザにたい焼きなどに舌鼓を打ちながら、空手や踊りなどのステージイベント、抽選会もあり盛りだくさんの行程でした。

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発掘古墳に祀られた本平の早神様(福井)

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 福井の本平集落の西側は、山地となっているが、そこに井ノ奥谷(いのおくたに)と呼ばれる谷がある。そこには、明らかに半ば削り取られたとわかる古墳があり、その中央部分を平らにして、早神様(はやがみさま)と言われる小詞が祀られている。また、その後側のすぐ近くに、井上一族のこれまた珍しい先祖社が祀られている。
 所在は、井ノ奥谷に入ってすぐ山際北斜面である。
 その場所は、かつて森藩政のもとで、福井村の大庄屋であり、福井八幡宮の軒札にも名前が記載されている井上五良兵衛(いのうえごろべえ)の屋敷があったすぐ裏手の山である。井上五良兵衛の庄屋屋敷は、今は全く畑となっているが、屋敷裏の谷には、いまも防火用水池のあとが残されている。その池付近から、この古墳や祠を見ることができる。
 津山市の埋蔵文化財センターでは、この山地に本平古墳群として、三基の古墳を登録しているが、古墳時代末期の、この早神様が祀られている古墳もその一つに該当している。

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坪井鉱山選鉱場跡・茶臼山古墳(坪井上)

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 坪井上立野の谷にあり黄銅鉱を産出。文久元年(1861)の頃採掘を始めた。明治30年頃から大正にかけては一時大盛況となったが、大正末に休山。昭和10年頃、昭和鉱山KKが再度始めたが終戦後銅価の暴落で閉山。すぐ後ろの山が茶臼山古墳である。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)

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十寸鏡神社裏山の天王山古墳群(楢)

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 江戸期以前の楢村についての記録はないが「穴塚」と呼ばれている古墳や、十寸鏡神社のある通称「宮山」に六基の小さな円墳が残っている。
 穴塚は、小足谷の北の尾根に南向きに造られた円墳で、盛り土の径18m、奥行約10mの横穴式石室を持つ。この古墳については次の記録がある。
 「石室幅約六尺、高さ五尺、奥行三十五尺、巨石を以て覆われ、円丘高さ約廿尺、径九十尺、古来から火の雨塚と呼ばれている。」

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さら山時代祭2018

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 津山市佐良山地区の出雲街道沿いで、第21回「さら山時代祭」が2018年11月11日午前9時から午後3時10分まで、佐良山小学校~種(津山市佐良山地区で3kmに及ぶ)で開かれました。後醍醐天皇配流時をイメージした時代行列(カキタニ古墳から洗顔清水まで)、屋台、ステージ、スタンプラリー、バザー等が人気でした。また、小学校体育館で行われたオープニング・エンディングイベントでは餅まきや、抽選会などが賑やかに行われました。

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