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取材記事内を検索ワード「遺跡」で検索した結果,66件の記事が見つかりました。

史跡 院庄館跡発掘現場

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 2019年8月8日立っているだけでくらくらするような炎天下、院庄にある作楽神社東側の発掘現場にお邪魔してきました。ここは住宅地になるそうで、その前に発掘調査がなされていました。現場で作業されているみなさんご苦労様でした。

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津山やよいライオンズクラブの奉仕活動 2019

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 2019年8月7日(水)の早朝6時から沼住居跡で、津山やよいライオンズクラブ会員の皆さん(会長大戸司朗)が沼遺跡の草刈奉仕作業をされました。津山やよいライオンズクラブの名前の由来である沼遺跡の草刈奉仕作業は、昭和45年のクラブ結成以来続いているそうです。また、津山弥生の里文化財センター職員さん、有本明彦教育長はじめ津山市教育委員会職員の皆さんも参加されていました。(2017年吉井川河川敷の清掃の様子)(2016年8月24日の沼住居跡草刈の様子

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津山弥生の里文化財センターのお雛さま

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 2019年3月8日に津山市沼にある津山弥生の里文化財センター2階の展示室に今年初めてお雛さまが飾られました。過去の取材の時にも展示室で眠っておられたお雛さまも、このように晴れの舞台に飾られて嬉しそうですね。(2019年3月8日撮影)

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十寸鏡神社裏山の天王山古墳群(楢)

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 江戸期以前の楢村についての記録はないが「穴塚」と呼ばれている古墳や、十寸鏡神社のある通称「宮山」に六基の小さな円墳が残っている。
 穴塚は、小足谷の北の尾根に南向きに造られた円墳で、盛り土の径18m、奥行約10mの横穴式石室を持つ。この古墳については次の記録がある。
 「石室幅約六尺、高さ五尺、奥行三十五尺、巨石を以て覆われ、円丘高さ約廿尺、径九十尺、古来から火の雨塚と呼ばれている。」

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鷹山の削平跡(楢)

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 鷹山に中世の城砦と思われる跡がある。
 加茂川沿いの近長道に接する鷹山の頂上は南から西、北と非常に眺望がよく、以前から村人のお花見場として親しまれていた。この山頂に削平された南北二段の平地がある。30㎝ほどの段差で上段南側は一辺約12mの方形、下段北側はやや広い不定形の平地である。尾根続きの40mほど東にも現在は墓地になっているが平坦地がある。ここから東に5、60mのところには尾根を馬の背のように削り出した通路が残っていて陸橋の跡である。なお東に続く尾根には土塁の跡を疑わせるところもあり、一帯が城砦の跡と思われる。

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宮本武蔵生家跡地(美作市)

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武蔵生家跡
 武蔵は天正12年(1584年)に生まれ、父を平田無二(無二斎)、祖父を平田将監といい、両人とも十手術の達人であった。こうした武術家の家に生まれ育った武蔵は幼少の頃から武術にたけており、13歳の時、播州平福で新当流有馬喜兵衛に勝ち、それ以降諸国を巡って剣の道一筋に練磨し、29歳で豊前国小倉船島(巌流島)での佐々木小次郎との決闘など、60余度の勝負をし一度も負けていない。武蔵は流儀を二天一流と称し、その兵法を五輪書、兵道鏡に残した。また、書・絵・彫刻・工芸を好み禅の修行を重ね[枯木にもずの図」等、今日重要美術品とされている数々の作品を残して、正保2年5月(1645年)、熊本の千葉城にて62歳で亡くなり弓削の里に葬られた。
 昭和34年には、宅跡が「岡山県史跡」に指定された。

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医王山 等覚寺(大字宮尾)旧久米町

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医王山 等覚寺(大字宮尾)旧久米郡 (2014年9月17日取材)
天台宗の寺院である。作陽誌には嘉祥三(850)年の建立とあり、又、貞観二(860)年三月、天台座主慈覚大師が、清和天皇の勅命を奉じて建立したものともされている。何れにしても平安前期の開山創立ということになる。往古は十二坊もあったといわれるが保元年中(1156~1159)火災により末房悉(ことごと)く消失した。それから約六百年ばかりの間は様子がわからないが、江戸時代になって天和二(1682)年五月梁行二間、桁行二間の本堂が建てられ、それから九年の目の元禄四(1691)年三月十二日には庫裏が建築された。庫裏は敷坪十二大工、備前國奥(邑久)郡上山田村、光義次左衛門となっている。それから五十五年目の天明三(1783)年には鎮守八幡堂・門・飛境内の観音庵・大日堂が出来上がった。

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グリーンヒルズでお散歩

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 2017年11月12日の少し曇り空だったのですが、夕暮れ時にグリーンヒルズ津山へお散歩に行って来ました。今丁度イチョウの木が黄色に色づいてとても綺麗でした。また、トリムの森は縄文遺跡をモチーフにした遊園地です。
 大地のウォールや石・丸太の滑り台、大きな自然石、砂場、ターザンロープなど子供達の豊かな想像力を生かした遊びができるゾーン。「トリムの森のわんぱく城」は県内の木材を使用した大型木製遊具で、低年齢の児童から小学校高学年までのお子様が安全に遊べる人気スポットです。ファミリーのためのテーブルベンチもあり、幼児から大人まで楽しめ、一日ゆったりと過ごせます。

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新善光寺のミニ四国靈場、明星の井戸

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四国靈場八十八ヶ所の開基
 当時の四国霊場八十八ヶ所の勧請は、時の住職英傅和上により天保2年より7年がかりの天保9年(1839)正月に開基されたもので、一番札所寺阿波の靈山寺より八十八番札所寺讃岐の大窪寺に至る各札所寺の夫々の本尊像を現地の四国に於て石像に刻み当時寺まで運んだと言う誠に大掛かりな大事業であった。この勧請に参じた施主は、檀家を中心に近郷の篤信者を加え、各寺毎の施主名は石佛台に刻記されて、本堂前より金森山、城山の外周を巡り約1.5粁に渡って配置されている。この外に番外の堂宇が加わり一百余堂となり、今回の記念事業の一環として再整備されたものである。(文:現地案内板より)(撮影:2017年7月15日・8月12日)

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勅使山 圓福寺(高野)

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津山市押入れにある真言宗醍醐派 勅使山 圓福寺(2017年6月210日取材)
勅使遺跡
 国道53号線の高野交差点付近にある遺跡です。交差点付近にある勅使山圓福寺の小堂付附近の耕作地附近から瓦などが見つかっており、寺院跡と考えられています。平成21年と平成27年に一部発掘調査は行われていますが、その際には遺跡と遺物は発見されていません。(文:『第112回文化めぐりの案内』より)

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