十寸鏡神社裏山の天王山古墳群(楢)

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 江戸期以前の楢村についての記録はないが「穴塚」と呼ばれている古墳や、十寸鏡神社のある通称「宮山」に六基の小さな円墳が残っている。
 穴塚は、小足谷の北の尾根に南向きに造られた円墳で、盛り土の径18m、奥行約10mの横穴式石室を持つ。この古墳については次の記録がある。
 「石室幅約六尺、高さ五尺、奥行三十五尺、巨石を以て覆われ、円丘高さ約廿尺、径九十尺、古来から火の雨塚と呼ばれている。」

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 宮山の六基は丘の南西部にあるものが大きく、その北50mほどにある一基は楢村の共有地として「楢塚」と登記されている。竜が爪道路に接しても小円墳があり、その上に谷に面して一基ある。ほかに通称相生様の北西の林の中にも二基ある。これは盛り土がかなり失われていて、うち一基は石室の石も散乱している。
その他、今は開発によって消滅した五反田および才ノ峪古墳群があった。これらは弥生の里文化センターの発掘記録として資料がある。(文:『勝加茂史』より)(2019年2-月12日・1月23日撮影)

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天王山4号墳確認調査報告
 津山市楢に所在する天王山古墳群は、岡山県遺跡地図では2基の古墳群として掲載されていた。その後の分布調査で2基の古墳が確認され、これらは続きの3・4号墳と呼称する。今回4号墳一帯で開発が計画されたため、事前に確認調査をおこない古墳の概要を把握することとした。
 トレンチの結果から、4号墳は直径14m、高さ1~2m程の円墳と見られる。山側には周溝の存在が考えられ、現状では葺石や埴輪は見られない。また、埋葬施設は竪穴式石槨ないしは木棺直葬と推測され、須恵器が副葬されている。なお、浅い位置からこれら須恵器が出土している事から、墳丘上部の土がかなり流失しているものと考えられる。(地図、報告書は弥生の里文化センターより)