2025 江見さん宅のバラの花達(美作市)
2025年5月25日、美作の 江見さん宅のバラの花達に誘われてきました。
江見さん宅は山に囲まれたお宅で、そのすぐ側の山裾の斜面にバラの花達が植えられています。また、バラばかりではなく、多肉腫やシャクヤク、クレマチス、これから咲くアジサイなど四季を通じて楽しめる花々が所狭しと植えられています。また、桑やモモ、無花果、梅の木などの果物もあり、ジャム作りも楽しんでおられるそうです。
2025年5月25日、美作の 江見さん宅のバラの花達に誘われてきました。
江見さん宅は山に囲まれたお宅で、そのすぐ側の山裾の斜面にバラの花達が植えられています。また、バラばかりではなく、多肉腫やシャクヤク、クレマチス、これから咲くアジサイなど四季を通じて楽しめる花々が所狭しと植えられています。また、桑やモモ、無花果、梅の木などの果物もあり、ジャム作りも楽しんでおられるそうです。
江戸一目図屏風(岡山県指定重要文化財)文化6年(1809)鍬形蕙斎(紹真)六曲一隻 館蔵
文化6年(1809)、江戸の全景を詳細に描いた景観図で、墨田川東岸の上空から西方の地上を見下ろした鳥観図となっている。
画面中央に江戸城、左に江戸湾、下に墨田川を配置。江戸城の周囲には大名屋敷が並び、外堀の外には入り組んだ街路や蛇行する用水路に沿って、民家や社寺がびっしりと描かれている。また、浅草寺、向島、新吉原など著名な江戸の名所が250ヵ所以上も描き込まれ、さらに、画面上方の遠景には秩父や丹沢の山々がかすむようにあらわされ、その中央には霊峰富士がひときわ大きく描かれている。
当時より、江戸は人口100万を超える世界でも指折りの大都市であった。本図は西洋画の技法を駆使しながら、19世紀初頭の江戸の繁栄を描いた肉筆画として、近世景観図の傑作と評価されている。(2012年3月14日取材時の写真引用)
鍬形蕙斎が生きた江戸
鍬形蕙斎は明和元年(1764)に江戸で生まれました。この頃、江戸では武家文化人・地方出身者・江戸っ子が一丸となって多彩な江戸文化を創出します。鍬形蕙斎が江戸で育った時期には、浮世絵や狂歌が流行し、新興の出版資本蔦屋重三郎や須原屋などが黄表紙・江戸切絵図など多種多様の本を出版しました。
鍬形蕙斎は13歳の頃に浮世絵師北尾重政に入門したと考えられており、15歳の頃にはすでに黄表紙の挿絵を描いています。その後、北尾政美と号して狂歌で有名な大田南畝や蘭学にもくわしい森島中良などとの交流を深めていきました。(文:「江戸一目図屏風実物展示ー鍬形蕙斎と江戸ー」津山藩御抱絵師の鍬形蕙斎より)(2025年4月5日撮影)
森家はもともと清和天皇からの流れを汲む氏族といわれ、相模国森郷を領したのち森氏を名乗ったと伝えられています。森家が歴史上に現れるようになるのは16世紀、森可成のころからで、可成はのちに織田信長に仕え美濃国金山を領することになります。
また森家は著名な人物も多く輩出しており、この中でも先の森可成のほか森長可や森長定(蘭丸)などは特に有名な歴史上の人物としてよく知られています。
三日月藩森家にはこのような氏族の後裔(こうえい)として森忠政が開いた津山藩森家(現岡山県津山市)を本家とし、その分流として成立します。慶安二(1649)年、後の三日月藩租である森長俊は二代津山藩主森長継の子として生まれ、延宝四(1676)年には藩主森長武に領内の一万五千石を分け与えられ津山新田藩を開きます。
しかし元禄十(1697)年、本家である津山藩森家が改易となったときに森長俊は播磨三日月の地に移され、ここに三日月藩が始まることになります。
三日月藩の領地は現在の三日月町、佐用町、上月町、南光町、新宮町、山崎町の一部にまたがり、佐用群内では四十の村、新宮では七の村、穴粟郡では十八の村の計六十五村を数え、石高は津山の頃と同じ一万五千石でした。
後の三代俊春、四代俊韶のころには、今の岡山県と兵庫県内に四万石ちかくを預かり五万四千四百三十石を有したこともあったようです。
さて、この長俊の後三日月藩の藩主は二代長記、三代俊春、四代俊韶、五代快温、六代長義、七代長篤、八代長国、九代俊滋と続くことになります。
藩主の説話もいくつか残っており、初代長俊は長身で鼻筋が高く眼光の鋭い人であったといわれ、いまでも菩提寺(ぼだいじ)である高蔵寺(こうぞうじ)にはその面影を伝える木造が残されています。二代長記は氏神の日岡八幡宮(ひおかはちまんぐう)、菩提寺の高蔵寺の増築を行っています。三代俊春は学問を好み、四代俊韶も能書であったと伝えられ、また五代の快温も学問を好み私金でを投じて藩校廣業館(こうぎょうかん)を設立し、学問・武芸に力を入れたとされます。
この後三日月藩は九代の俊滋のときには明治維新(めいじいしん)を迎え、さらに明治四年の廃藩置県(はいはんちけん)で藩知事(はんちじ)を免ぜられたことをもって三日月藩九代174年の治世は終わりを告げることとなりました。(文:兵庫県佐用郡三日月町発行『森家一万五千石の陣屋 三日月藩乃井野陣屋跡』より転載)(撮影2023年5月18日・20日)(佐用町許可済み)
2025年4月17日の勝田。北総合スポーツ公園で咲くツツジの花が満開です。
津山市の中でツツジの花と云えば思い出されるのが、勝北総合スポーツ公園のツツジです。ここのツツジはいつきても綺麗だなぁ~と思います。公園の展望台に行く途中で出会ったのは、村の人が道の掃除をしておられる光景でした。この景色が保たれているのはこういった方々の努力のたまものだと有難く思いました。(2020年4月11日の勝北総合スポーツ公園のつつじ)
毎年この季節になると見たくなるのが、菜の花畑です。私にとってちょっとした北海道の大自然の中に居るような錯覚を覚えるところです。この菜の花畑は菜種油用に植えていらっしゃるそうです。那岐連邦をバックに菜の花の黄色が素敵なところです。(2025年4月17日査定)
令和7年(2025)2月22日10時~11時津山東公民館会議室に於いて「作州忍者鶴山隊総会」が執り行われました。結成6周年を向かえ名実ともに活動が拡大されてきています。
「新入隊の方をお迎えしての総会は、令和7年度の活動方針も承認され、また、更に地域の観光振興の一助になれるように、心一つに致しました。今年度も引き続き、ご支援をいただきますよう、よろしくお願い致します。国際忍者学会津山開催、隊員222名を目指して、忍々
」
元津山朝日新聞社記者の廣戸暑大さんの写真展「廣戸暑大 写真展」が、2025年2月6日(木) 〜 2025年2月16日(日)城西浪漫館ギャラリーで開催されています。
2000年前後にフィルム撮影した風景や自然、人物などのモノクロカットをメインに約30点が出展されています。動物の可愛い写真や、大自然の風景など今では拝見することが出来ない昔懐かしい風景に出会い、思わず笑みがこぼれてきました。(2025年2月11日撮影)
元文4年(1739)、不作が続く美作国勝北郡(今の岡山県)の幕府領で百姓3千人が蜂起し、野非人の扮装で富家に押し掛け米や金銭を要求し、鎮圧後に北野村(今の勝田郡奈義町)藤九郎・与三右衛門が死罪となりました。
平成15年(2003)、経済産業大臣の平沼赳夫の揮毫による「元文一揆発頭人義民藤九郎与三右ヱ門之慰霊碑」が奈義町内に建てられました。
(2024年6月14日撮影)
津山市出身、倉敷市在住のガラス造形作家、中原司氏の「ガラス彫刻作品展」が、2024年12月1日〜22日までポート アート&デザイン津山にて開催され、2024年12月11日に伺って来ました。
ポート アート&デザイン津山には、いつも私たちが普段気軽に目にできない作品展を企画していただいていています。是非、足を運んでみてください。
中原さんは板ガラスを重ねて接着し、研磨して作品に仕上げていく作風で、彫刻や照明作品など幅広く制作されています。今回展示していただく作品「High tide」はガラスと金属(鉄、ステンレス)の複合作品で、ガラス部分はまるで水のゆらめきを想起するような曲面になっています。板ガラスの青みがかった色も作品の一要素として象徴的な意味合いを持っているように感じます。
2024年10月26日(土)13:30~15:00 津山城西公民館において、作州忍者鶴山隊の隊長克丸こと 河部克己さんから「2024 国際忍者学会参加報告会」と「甲賀にある津山城」の話を興味深く聞かせていただきました。その後、今年、ともちピンクさんが受験した「甲賀流忍者検定」の資料を頂きましたが、とても難しく検定問題はチンプンカンプンでした。