三日月藩乃井野陣屋物見櫓

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 建物は旧陣屋で現存する唯一の建築遺構です。(三日月町指定有形文化財建造物平成14年指定)
 三日月藩の創建当初には無かったことがわかっていますが、建物の創建年代を明確にする史料は発見されていません。江戸時代後期(寛政三年1791)の古文書に「御物見」の記述がありますので、1700年代の後半には建立されていたと考えられています。
 櫓(矢倉)とは、敵の襲来を見知したり、矢を射たりして防御性を高める軍事目的の建物でした。
しかし、この建物は、堀川に大きな出格子を付け、二階には床を設けた書院的な造りで、藩の接待などに使われていました。また、二階からは眼下の武家屋敷や街道が見渡せる絶好の位置で、堀端での武芸の試合を藩主が謁見した記録も残っており、江戸後半期の平和な時代の性格が良く表れています。
 明治17年に三日月町の広業小学校に移築され、明治44年に村役場や公民館として再び移築されました。二度の移築にもかかわらず、屋根瓦や建物の一階の柱を除いた主要な構造材、出格子、階段など江戸時代の部材がよく残っていました。この建物は、これらの部材を解体し、現在の位置に復元したものです。(平成14年3月復元工事完成)(文:現地案内板より転載)

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三日月乃井野陣屋前にはルピナスの花畑があり、とても綺麗でした。

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三日月藩乃井野陣屋復元櫓を表から望む      裏側から望む

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三日月藩乃井野陣屋館入口

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三日月藩乃井野陣屋館入口

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三日月藩乃井野陣屋物見櫓

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三日月藩乃井野陣屋物見櫓1階(撮影許可済)

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二階には床(とこ)を設けた書院的な造りで、藩の接待などに使われていました。(撮影許可済)

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二階からは眼下の武家屋敷や街道が見渡せる絶好の位置で、堀端での武芸の試合を藩主が謁見したそうです。(撮影許可済)

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復元三日月藩乃井野陣屋物見櫓の内部展示の様子です。(撮影許可済)

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復元三日月藩乃井野陣屋物見櫓の内部展示の様子です。(撮影許可済)

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長屋
 絵図に門と並んで描かれている白壁の建物です。
礎石を抜いた穴が石垣と平行に約5m北側で並んで見つかりました。この穴から石垣までの間に建物が建っていたと考えられ、内側には4~5間づつ間仕切りの壁と見られる礎石を抜いた柱穴も見つかっています。またこの柱のすぐ北側には屋根から落ちる雨水を受けるために造られた河原石の石組溝も見つかっています。
 なお濠の中から見つかった、長屋の壁に使われていたとみられる漆喰(しっくい)の破片から、長屋は絵図に描かれているとおり白壁と考えられます。

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中御門(なかごもん)
 絵図にあるやぐら門ふうの建物で、門のある部分の石垣が堀に張り出しているのがわかります。
 調査では門の礎石(そせき)は取り去られて見つかりませんでしたが、基礎となる部分が見つかっています。

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 基礎は礎石を据(す)えるところを中心に、こぶしぐらいから人の頭までの大きさの石を搗(つ)いて固めています。
この跡より中御門の扉の幅は、3.5mあることが分かりました。

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通用御門(つうようごもん)
 中御門の東側にある門です。ここでも石垣を張り出しています。やはり礎石はありませんでしたが、基礎となる部分が見つかっています。
 基礎は礎石を据えるところに大きく平たい石を据え、その周りにこぶしぐらいの大きさの石を詰めて造っていることがわかりました。
 通用御門の扉の幅は調査結果より2mぐらいであることがわかりました。

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裏側から望む陣屋です。

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現地案内板です。

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現地案内板です。

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現地案内板です。

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陣屋の内側の様子です。

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陣屋の右横の細い道を進むと御殿山の看板が見えてきます。

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陣屋の敷地
 堀から北側は陣屋の敷地の中になり、発掘はこのうち書面のあたりをおもに行っております。
 絵図には三つの門とやぐらのような建物、白壁の建物が描かれており、小文書などの内容から中央の大きな門は中御門、その東が通用御門、中御門の西側にある建物が物見やぐら、その西が長屋門と呼ばれていたのではないかと考えられています。発掘調査ではそれら建物の基礎、雨落水を受ける溝や塀に水を引く管などが見つかっています。
(文:2004年3月兵庫県佐用郡三日月町・兵庫県佐用郡佐用町発行『森家一万五千石の陣屋跡 三日月藩乃井野陣屋跡』より転載)(撮影:2023年5月18日・20日/2024年1月12日・17日・22日・2月)