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神崎与五郎・茅野和助直筆の書状が明顕寺にあった。

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真宗 大谷派の寺院、超日山 明顕寺(2015年3月15日撮影)
「忠臣蔵」で知られる赤穂義士の1人、神崎与五郎(1666~17033)が妻に宛てた直筆の手紙や、借用書など7点の史料が明顕寺(相生市陸本町)で発見された。今までは「赤穂義士の神崎与五郎関係の書状」と聞かされていたが、一般に公開されたことはなかったそうです。神崎は城明け渡し後、元禄15年春に江戸へ下向するまでに那波に移住。同寺は同年に那波の得乗寺から分寺したとされるため。
 与五郎は江戸で商人を装い、吉良邸の奉公人らから内部の様子を聞き取るなどして討ち入りに貢献したとされる。(情報提供:真宗 大谷派の寺院、明顕寺)

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文化財めぐり(本源寺)

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  2015年12月6日(日)津山郷土博物館友の会 第107回 文化財めぐり「森長継の生母 渓花院ゆかりの史跡探訪」があり、本源寺(森家墓所)を拝見してきました。
 本源寺(森家墓所)
 本源寺の由緒:山号は東海山、臨済宗東海派。元は足利尊氏が創建した神戸村の萬松山安国寺。森忠政の美作入国時に小田中に移転。慶長12年(1607)忠政夫人の於岩が没すると西今町の北方に埋葬され、ここへ再び安国寺を移転し龍雲寺と改称、森家から200石の寄進を受けて菩提所となり、元和年間に山号が東海と改められた。寛永11年(1634)に京都で急逝した忠政は大徳寺三玄院に葬られたが、津山の龍雲寺にも供養墓が建立された。天和3年(1683)忠政の50回忌に当たり、法名にちなみ本源寺と改称。(矢吹正則『津山誌』参照)

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2016年「勝山のお雛まつり」

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 町並み保存地区を中心とした勝山市街地で2016年3月2日(水)~3月6日(日)まで開かれた「勝山のお雛まつり」は訪れる人びとをわくわくさせてくれます。旧出雲街道として栄えた勝山の民家らしい風景が今年のメインビジュアルだそうです。今年はいろんなお家の中を拝見させていただき発見することが多い勝山のお雛まつりでした。まず、河川敷の駐車場があんなに広かったとは知りませんでした。(2016年3月5日撮影)

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蔵元のお雛まつり2016「衣裳蔵長持の中のきものたちⅢ」

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 「勝山のお雛まつり」に出かけてきました。いつも進化しているように感じる勝山の雛まつりは今年も大勢の見物客で賑わっていました。また、5日はぽかぽかの暖かい日差しだったので道行く家族連れもウキウキした感じでした。ここ御前酒蔵元如意山房でも「蔵元のお雛まつり」があり、辻家に代々伝わるお雛さまや、花嫁衣裳などの華やかな着物の数々、子どもの袴などの展示もあり見ごたえがありました。また、与謝野晶子さんをはじめ大勢の文人・墨客作曲家の三木稔さんなどが、勝山の辻家を訪れていたそうです。 (取材2016年3月5日)

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素朴な可愛さ 全国土雛展(東蔵)

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城東むかし町家(旧梶村邸)は江戸後期から昭和初期にかけての城東地区を代表する屋敷として大切に保存されているお屋敷です。毎年、お雛まつりの季節になると行って見たいところの一つです。今年も全国土雛展があり行って来ました。3月2日(水)~4月3日(日)まであります。[9:00~16:30火曜日は休館日] また、江戸時代の商家跡、梶村邸広間に七段飾りのお雛さまが飾られています。是非、ご覧ください。おススメです。(撮影2016年3月4日)2016年のスケジュール

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文化財めぐり(渓花院「於郷」)

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西寺町・渓花院跡(新高倉稲荷神社境内とその南東)
寺院としての渓花院の由緒:臨済宗東海派。
 渓花院の没後、元和初年に夫の関成次が亡き妻の菩提を弔うため、天倫を開祖として墓所の側に堂宇を建立。承応元年(1652)大名の待遇を得た次男の関長政により装飾が加えられ、長男で藩主の長継からは10人扶持を寄進。隠元が「渓花院」の3文字を大書した銅製の扁額もあったという。森家改易で関家が新見に移ると衰退し、無住となる。明治17年(1884)の時点で、境内は東西17間(約30m)・南北14間半(約20m)。明治末期に今の倉敷市連島辺りに移転したらしく、弥勒菩薩を本尊として本堂・庫裏・土蔵など630坪の境域と信徒300人を有し、岡山の国清水の末寺として亀島に渓花院という臨済宗妙心寺派の寺院が存在したとの記録があるが、その後に廃絶した模様で、その詳細は不明である。(矢吹正則『津山誌』・本源寺萬愚誌「森関宗廟由来記」・『浅口郡誌』参照)(2015年12月6日津山郷土博物館第107回文化財めぐり)


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津山城(鶴山公園)のひな祭り

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津山城ひなまつり

2016年3月2日(水)~13日(日) 9:00-16:00 ( 津山城内「鶴山館」)で、明治初期から平成までの雛かざりを展示。会場内では熱心に見入る方がおられましたよ。また、苅田家のお雛様は明治時代の初期~40年代の楽しいお雛様が沢山あって見ごたえがあります。(2016年3月2日撮影)

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【津山人】岡田直也さん(リオデジャネイロ五輪出場を決めた)

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2016年2月16日(火)射撃の男子10mエアライフルでリオデジャネイロ五輪出場を決めた岡田直也選手(射撃男子エアライフル)が、津山市役所で宮地昭範市長を表敬訪問し、五輪出場決定の報告会が行われました。
 日本代表のユニフォームと、五輪出場を決めたインド・ニューデリーで開かれたアジア予選優勝で獲得した金メダルをかけて登場した長身の岡田直也選手に、宮地津山市長は「津山市民の誇りです。精神力が試される競技なので、万全の態勢で悔いのない戦いをしてほしい」と激励したのを受けて、「射撃は幅広い年代の人が取り組める競技。今後も認知度を上げていきたい」と抱負を述べた。

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文化財めぐり(小田中 法源山 宗永寺)

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 2015年12月6日(日)津山郷土博物館友の会 第107回 文化財めぐり「森長継の生母 渓花院ゆかりの史跡探訪」があり、宗永寺(本堂内・森家墓所)を拝見してきました。
 宗永寺の由緒:山号は法源山、臨済宗東海派。長継が生母・渓花院の供養のため創建。家臣の市村重政・各務元正を奉行として堂宇を建立させ、明暦2年(1656)落成。方丈・書院・庫裏・廊下・中門・外門など、いずれも美麗を極めたという。渓花院の住持・正伝を開祖とし、渓花院の法名にちなんで宗永寺と命名、寺領として150石を寄進。森家の改易後は徐々に衰退し、天保年間に火災に遭うなどして、伽羅は昔の規模をとどめていないが、幕末に田中諦堂が住職となり、堂宇の修繕に努めた。明治17年(1884)の時点で境内は東西19間(約34m)・南北49間(約88m)あり、現状よりも北に大きく広がっていた。現在の本堂はかつて観音堂で、33体の観音像のほか、渓花院をはじめとする森家一門の位牌を安置する。(矢吹正則『津山誌』ほか参照)(文:津山郷土博物館友の会 第107回 文化財めぐりより)

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油地蔵(勝央町 壽福山 東光寺)

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油地蔵(岡山県指定重要文化財)
 字 石佛の土中より堀り出されたもので旧県道沿いに安座していたものを大正14年東光寺山門前に移したもの。花崗岩の上部を舟形におとし佛像を刻んでいる。右手には錫杖、左手に宝珠を持つ延命地蔵の相で重厚の感じの像容である。
 左に「庚暦二庚申二月二十九日亥午後」(1380年)右脇に願主円佛敬白の銘がある。油をかけると如何なる難病にも御利益があると云われその為、油地蔵と呼ばれている。
 県内外からの参拝者も多い。昭和34年1月13日、県の重要文化財として指定される。

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