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取材記事内をタグ「国指定重要文化財」で検索した結果,35件の記事が見つかりました。

本源寺 庫裏(津山市小田中)

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本源寺 庫裏 国指定重要文化財 (2013年6月17日、7月3日取材)

 庫裏は延宝(1673年~1680年)ごろの建築とみられ、桁行20.0m、梁間12.0m、一部二階、屋根は切妻造、桟瓦葺で、南面妻入とし、出入口に庇を付す。南面を除く三面に居室、便所及び浴室など居住のための改変が加えられているが、柱や梁組などの主要構造や平面の構成は、建築当初の状態よく残す。

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本源寺 御霊屋表門(津山市小田中)

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本源寺 御霊屋表門 国指定重要文化財 (2013年6月17日、7月3日取材)

 御霊屋表門は、御霊屋と同じ時期の建築とみられ、間口2.7mの四脚平唐門で、屋根は銅板葺とする。御霊屋同様に頭貫の地紋彫、蟇股彫刻や冠木先の八双形彫刻など精緻な細工を施す。

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津山城模擬天守閣を遠目に見てきました。

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2013年8月18日(日)今日で津山城模擬天守閣ともお別れなので、少し遠くから見てきました。半分の大きさとはいえ遠くからでもよく見えるものですね。私が行った中では全体が一番よく見えたのは小田中の山の上でした。この模擬天守閣が無くなってしまうのは残念ですが、昔の人はこんな感じで津山城を見ていたのだろうと往時を忍びながら眺め、真夏のひと時を楽しませていただきました。

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遂に完成、津山城模擬天守閣!

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2013年8月2日(金) ついに完成した津山城「模擬天守閣」。このプロジェクトは、津山JCが美作国建国1300年プロジェクトとして復元したものです。その完成記念式典が8月2日にあり、多くの人がお祝いしました。模擬天守閣は高さが実物の約半分なのですが、発泡スチロールを使って制作されたものです。この制作には多くの市民ボランティアさんが加わって完成となったものです。市民の皆さん、8月18日まで展示してあるので是非ご覧になってくださいね。またこれから24時間体制で見張りをするJCのみなさん、お疲れの出ないように無事にプロジェクトが終わることをお祈りしております。

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津山城模擬天守閣がもうすぐ完成です。

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展示期間:2013年8月2日(金)~8月18日(日)、場所:津山城(鶴山公園)、開催時間:午前8時40分~午後7時まで、入園料:16歳未満無料、16歳以上300円。(天候などによりスケジュールや内容が変更になる場合もあります。)


 津山城の本当の姿を知っていますか?津山城は廃城令により天守・櫓などの建物が廃棄され鶴山公園として今の姿になりました。もし、保存されていたら。街の風景はどうかわったでしょうか?美作国建国1300年記念事業として、期間限定で復元されることになりました。地域のたからである「津山城」を復元する夢を皆様と一緒に思い描き、誇りと愛着といった郷土の和を広げましょう。

津山城模擬天守閣復元特集バナー
▲復元プロジェクトについて

復元進捗状況バナー

▲7月時点の進捗状況

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本源寺 御霊屋(津山市小田中)

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本源寺 御霊屋(おたまや) 国指定重要文化財 (2013年6月17日、7月3日取材)

 御霊屋は寛永16年(1639年)の建築で、桁行3間(8.2m)、梁間3間(8.2m)、屋根は宝形造、銅板葺である。正面に唐破風屋根の向拝を付け、柱頭部に金襴巻状の地紋彫、頭貫に亀甲模様の地紋彫を施し、破風や垂木は精緻な彫刻で飾る。


☆本堂西の御霊屋(おたまや)は、忠政公逝去の5年後の寛永16年(1639)に、二代長継公の建立。忠政公をはじめ二代長継、三代長武、四代長成、父可成、兄長可、乱丸、坊丸、力丸、忠政公奥方、子息、息女など、森家と関家と松平家、全28基の御霊碑を安置しています。(本源寺は津山城の真西にあります。)

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本源寺 本堂(津山市小田中)

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▲東海山 本源禅寺 本堂 国指定重要文化財(2013年6月17日、7月3日取材)

 本源寺は、津山市街西部に位置する、臨済宗妙心寺派の寺院で、津山藩主森家の菩提寺である。境内中央に本堂が建ち、東に庫裏が並ぶ。本堂の北西が森家の墓所で、霊屋と霊屋表門を配する。
 本堂は慶長12年(1607年)に上棟され、桁行25.3m、梁間18.9mの方丈型本堂で、屋根は入母屋造、桟瓦葺とする。現在花頭窓が設けられている正面などは改変されているが、柱や梁組などの主要構造は当初の様子をよくとどめている。

詳しくは津山瓦版の過去取材の様子でご覧ください。

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史跡 美作国分寺跡

史跡美作国分寺跡とその特徴
  美作国分寺は、総国文寺となる東大寺と伽藍配置が極めてよく似ています。また、寺域(お寺の範囲)も二町(約220m)四方で、国分寺の基本的な規模に一 致するといわれています。その上、創建時に屋根に葺かれた軒瓦の文様は、平城宮で用いられた瓦の文様と瓜二つという特徴があります。
  美作の国は、713(和銅6)年に備前の北部6郡を分割してつくられた新しい国で、その国府(国の中心の役所)は津山市総社に置かれました。美作国分寺の特徴である都との密接な関係は、そういった事情を反映しているかもしれません。
  奈良時代中ごろに建立された美作国分寺は、その後変遷を重ねながら、平安時代末には衰退したようです。
  美作国分寺と対になり建立された美作国分尼寺は、発掘調査の結果、国分寺の西方約500mのところに存在していたことが明らかになりましたが、伽藍配置等の詳細はまだ分かっていません。

 平成16年2月27日国指定重要文化財(史跡)指定

2009.9.2
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中山神社

▲中山神社本殿(国指定重要文化財)建造物大正3年4月17日指定

中山神社の沿革
  文武天皇慶雲四年(707)の創祀。貞観六年(864)官社に列し、延喜式では美作国唯一の名神大社で此の国の一宮とされ、永保元年(1081)には正一位の神階を授かる。
  平安時代の代表的説話である「今昔物語」には当社の猿神伝説があり、鎌倉時代の後白河法皇の御撰にかかる「梁塵秘抄」では関西に於ける大社として安芸の厳島、備中の吉備津と共に肩を並べている。
  国家非常時(元寇など)には勅命により特に全国七ヶ国の一宮(武蔵・上野・伊豆・駿河・若狭・美作・肥後)を選び、国家安穏を祈願せしめ当社も其の中に選ばれて祭祀を厳修したとされる。
  建武中興破れて約四百年間は、美作国中戦乱の巷と化し、永正八年(1511)と天文二年(1533)の両度に祝融の厄に遭い宝物・古文書等悉く焼失したが、永禄二年(1559)に至り、出雲国尼子晴久が戦捷報賛の為、社殿を再建し歴代藩主の崇敬厚く、「一宮さま」と親しまれ、明治四年(1871)六月には、国幣中社に列格す。
  現在も、鍛金・冶工・採鑛等の守護神、農耕・牛馬の守護神として広く崇敬されている。

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