旧出雲街道「土居宿 西惣門」(美作市)

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復元された門(門の高さ:6m50cm、幅:7m88cm)
 この惣門は、慶長(1596~1614)年間に幕府による出雲街道の整備にあたり、ここに美作七駅の1つとして土居宿駅を定めた際、東と西の出入り口に関門を設け、朝夕門番によって開閉し、国境の警備のために建築されたもので、明治2年の関所廃止令により取り壊されたものを平成13年3月復元建築したものです。宿場町の両端に惣門を備えていたのは、全国的にもまれな事例といわれています。

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復元された「土居宿 西惣門」

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復元された「土居宿 西惣門」

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復元された「土居宿 西惣門」

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復元された「土居宿 西惣門」

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四つ塚志士顕彰碑
 元治2年(1865)2月、尊王派の同士を募るため作州路を遊説していた岡元太郎・井原応輔・島浪間・千屋金策の四人が盗賊に間違えられ、百姓たちに追われ作州勝南郡(現在の柵原町)百々村から土居宿西惣門まで逃げ延びたが、夜間のため惣門が閉められ土居宿に入れず追い詰められた四人は惣門の内外において自刃やお互いに刺し違えて自害した。この碑は、現在の位置より南西約8m(県道に面して)に昭和44年に前述勤王の志士四名の遺徳を讃え建立されたものを西惣門復元にあたり移設したものです。作東町教育委員会

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案内板                     近くの一里塚

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出雲街道「土居宿跡」案内図

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(文:案内板より)(2020年9月13日撮影)