美作の大庄屋巡り「多胡家」

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多胡家 多胡勘右衛門 東北条郡綾部村 森藩~松平藩
大庄屋まで
 多胡氏は、尼子氏の家臣として出雲国に居住していた。尼子氏滅亡後は宇喜多氏に仕え、医王山合戦では宇喜多氏の武将として戦っている。秀吉の朝鮮出兵に参加したといい、宇喜多氏滅亡後、綾部村に帰農した。吉兵衛が森藩の大庄屋に任命され、以後大庄屋を勤めた。
大庄屋として
 大庄屋を勤めた多胡氏は、屋号を米山という。経済的に行き詰まり、安永5年(1776)大庄屋職を取り上げられ、その後再び大庄屋に任命された。栄二郎は第1次長州戦争に従軍した。(雲路日記)

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所在地
 綾部村は、加茂川が北から東へ大きく迂回する右岸の段丘にあり、丘陵地に田畑が広がる。因幡往来が丘陵地を南北に通っている。背後に多胡氏の先祖が戦った医王山城など山城も多く戦国時代には戦略上の要地であった。

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すっかり竹藪に覆われた屋敷跡地

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屋敷跡地の玄関付近のシュロの木

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屋敷・墓地
 屋敷は因幡往来から東に入った所にあり、藪に覆われた広い屋敷跡には家屋が建っている。
 墓地は屋敷跡より北のJR因美線の側に当時のまま残っている。菩提寺は真言宗岩尾寺であったが、明治以降神道に改宗している。

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子孫 
 子孫は東京に在住している。分家で中庄屋の多胡家があり、他に多胡姓は近辺にも多い。

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屋敷跡地から見える風景             すぐ傍の多胡昭彦さん宅の望遠鏡が見えます。
(文:『美作の大庄屋~故地をたずねる~』より)(2020年11月28日撮影)

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墓地(墓地の写真は2014年10月8日美作東部―大庄屋巡りの時に撮影したもの)