美作の大庄屋「大寺家」(美作市)

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大寺家 大寺三郎左衛門 英田郡土居村 森藩
大庄屋まで
 大寺氏は、鎌倉時代の末から英田保の地頭だった安東氏の一族であるという。安東系譜によれば、寛永年間(1624~1644)に大寺伝右衛門が、大庄屋を勤めた。
大庄屋として
 寛文4年(1664)伝右衛門の孫三郎左衛門は不都合があったとして大庄屋を罷免され、家屋・所有地をすべて没収されたといわれる。
 その翌年に山外野村の安東三郎兵衛が大庄屋に任命された。

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屋敷跡                     屋敷跡から望む

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所在地
 土居村は、江戸時代になって出雲往来が杉坂峠に代わり万能峠を通るようになり、宿場町として栄えた。宿場町の東西の入り口には惣門があった。現在、西惣門が復元されている。森家の家老森采女正が陣屋を置いた。万能峠には芭蕉塚が建てられている。森藩改易後、幕府領となり、元禄15年(1702)代官所が置かれた。その後、播磨三日月藩預り領、幕府領、播磨龍野藩預り領、慶応4年(1868)鶴田藩領となった。

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墓地へと続く                  墓地

屋敷・墓地
 屋敷跡は、土居宿より南の片伏の丘陵南斜面にあり、現在畑になっている。片伏に子孫が住んでいる。墓地は、屋敷跡の背後にある。菩提寺は浄土真宗報恩寺(美作市江見)である。
(文:『美作の大庄屋~故地をたずねる~』より)(2019年2月24日撮影)