2025 神楽尾公園のさつきと藤の花
2025年5月3日の神楽尾公園です。さつきはやっぱり神楽尾公園でしょう。
岡山県津山市総社にある神楽尾公園は、津山盆地のほぼ中心に位置する神楽尾山(標高308m)に築かれた中世の山城(神楽尾城跡)への出発地点でもあります。市内を一望する場所にあり、四季折々の植物観察やゴーカートなどが楽しめます。春には藤の花や、桜がきれいに咲くスポットです。
2025年5月3日の神楽尾公園です。さつきはやっぱり神楽尾公園でしょう。
岡山県津山市総社にある神楽尾公園は、津山盆地のほぼ中心に位置する神楽尾山(標高308m)に築かれた中世の山城(神楽尾城跡)への出発地点でもあります。市内を一望する場所にあり、四季折々の植物観察やゴーカートなどが楽しめます。春には藤の花や、桜がきれいに咲くスポットです。
2023年4月30日にドライブがてら美咲町にある両山寺へシャクナゲの花を見に伺ってきました。
この両山寺の境内には色とりどりに咲くシャクナゲの花で有名なお寺です。見ごろは少し過ぎていましたが、それでも境内で咲く綺麗な山藤、そしてシャクナゲの花と出会えました。
二上山にある両山寺は、元明天皇の和銅七年(714)に開祖泰澄法師が観音の霊夢により造営した古い寺院です。また、両山寺の鎮守護法善神は、毎年8月14日祭式(県指定無形民俗文化財)を修め、天下泰平、万民快楽、五穀豊穣の祈念が行われています。
2023年4月22日のグリーンヒルズで花を観ながらお散歩です。
清々しい風がなびくグリーンヒルズの丘です。
加茂町大字知和の千磐(ちいわ)神社の駐車場に建立されている加茂郷88ヶ所霊場第32番札所があります。比較的新しく建て直されたのか新しく綺麗です。本尊は弘法大師です。
矢筈城址上り口にある千磐(ちいわ)神社・千磐(ちいわ)神社のスギ・津山市指定天然記念物「臥龍藤」藤の花・矢筈神社(2021年5月9日撮影)
津山市指定天然記念物 臥龍藤(千磐神社の藤蔓)平成元年7月20日指定
2022年5月6日の千磐神社の蔓に咲いている藤の花を見てきました。大きな蔓の木なので花が咲いているのも上の方なので中々近づいて見るのは難しいのですが、薄い紫の花が咲いていました。
臥龍藤という呼称は、藤蔓が隣に位置する神木・二又杉に絡まっている様子が、大蛇が臥している姿に似ていることから名付けられています。目通り周囲1.45メートル、推定樹齢600年です。(2021年5月9日・2022年5月6日撮影)
2021年、津山市加茂町の「人咲く、水と森の郷 川の学校公園」に藤の花が沢山咲いているのを発見しましたが、既に散り始めていたので、来年こそは咲き誇る藤の花が見たいと、2022年5月6日行って来ました。ここの藤は電柱のような棒に巻き付いているのですが、その数11本もあります。それぞれの枝の藤の咲き方は様々ですが今年は数本の柱に花がたわわに咲いている藤が見られました。
あまり知られていない藤の花ですが青空の中風に揺られ美しい。
人咲く、水と森の郷 川の学校公園(加茂町公郷)
2022年4月16日の阿波の自然を楽しんできました。
市内ではさくらが葉桜になり、藤の花が咲いていましたが、津山市阿波では桜の花が真っ盛りでした。阿波森林公園までのドライブでしたが、途中の景色は山々に若葉が芽生えてピンクや萌黄色などがまるで美しい絵画を見ているようでした。また、あば森林公園内では、近年注目のグランピングを楽しんでいる方もいらっしゃいました。
2021年8月8日の津山城(鶴山公園)であった、「お城で作る in 夏休み 体験教室」の取材に伺ったところ、藤木弘道さんから「備中櫓の横の藤棚で、狂い咲きのフジの花が咲いている。」とお話を聞き、お願いして写真を撮っていただきました。以前久米南町の森田さんから、今の時期に咲く花の事を裏花(一旦咲いて次に出てくる花)というと教えていただきました。また、ネットで調べてみると、「返り咲き・狂い咲き」ともいうらしく「二度咲きが出来るのは栄養や環境が整っている場合のみですので、普段から健康な樹であろうと推測出来ます。また、数年に1度、夏にも花をつける習性がある。」とのこと。いつもは春先に奇麗に咲いている藤の花を眺めて楽しんでいましたが、春のように沢山ではないですが、この季節の藤の花もいいもんですね。
2021年4月25日鏡野方面に行き、1本の木にたわわに咲く豪華な藤の花と出会いました。
ここは、嘗て伯耆往来の新町の中島家を訪ねたのが初めてで、その静かな佇まいに魅せられ時々訪れていましたが、ふと見た景色にひときわ目立つ藤の花が目に入り立ち寄ってきました。この様な豪華な藤の花が咲いたのを見たこともなかったので、見た時は感動ものでした。このお宅は藤屋の髙宮さんというお宅で、髙宮さんの奥様にお聞きすると、この藤は30数年前お嫁に来た時からあったそうです。
美作の田口氏=云い伝えによれば蘇我蝙蝠臣の末、田口朝臣房富二十一世の孫田口重如當國苫田郡を領して田野村に瑞雲山を建立す。その子光益、大和國髙市郡を領し、その子左衛門尉光政、小吉野庄を領してて北髙田に城を築く。また、田野邑に田口山引乘寺(正明寺)を建立す。建武以来山名時氏に属して作州を平定し應永二年三月七日卒したり。なお、山名坊菴入道忠政の女(守護代鶴山城に居る)、虎御前は田口薩摩守光政の室なりと伝わる。
光政の一子紀重藤は、天正十七年に備中松山城を攻めて庄蔵人を討伐せし功により、勝南郡南分吉留村を領し、光政の二男忠光は父の跡を継ぎ北髙田に居城す。忠光五世の孫田口彦兵衛光正に至り、大内義興を助け、その子志右衛門尉重光は尼子晴久に属し、天文年中各地に転戦したれど、のち毛利氏に随いて宇喜多勢と戦いたり。その後大蔵甚兵衛尚治と謀りて志戸部の出城を潰滅させたれど、その子藤左衛門益重に至り、天正七年神楽尾落城して宇喜多氏に降りたりという。このほか「東作志」に「勝南郡公文庄重藤邑庄屋田口庄七」記載さる。(文:『田口一族』より)