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芭蕉塚と黒田畝中(宮部下)

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 大字宮部下に芭蕉塚が現存する、ここには二つの句碑があって、その一基には松尾芭蕉の句が刻んであり、他の一基には芭蕉の句碑を建てた人と推定される黒田畝中の辞世の句と思われる句が刻まれていて、土地の人は此の二つ並んだ句碑を総称して「芭蕉塚」と称して今日に及んでいる。
此の二つの句碑には建立の年月日も刻んでなければ句碑を建てた人の名前もなく、おまけによきほどにの句の作者も無く、句だけが刻まれているのである。このことについて塩尼青茄氏はその著『岡山の芭蕉句碑』の中で次の様にのべられている。
 (芭蕉の)あまり有名でもない句を、それも作者の名も出さず、もちろん建立者の名も建立年月日も刻まずに建てた心を私は尊く思う。畝中は茶堂の新築に際して芭蕉句碑をそれも句だけ刻んで建てることによって浮世の見聞から離れて立つ自分をかえり見たかったのではなかろうか。それにしてもこうした建立者の名を刻まない芭蕉句碑を見るとき私は調査の困難さに困却するものの半面また昔の俳人たちの姿勢に思いをいたさずにはおられない。現代俳人の句碑のむなしさは、常に見聞がうすぎたなく漂うところにあるような気がする。畝中の辞世句碑も、これまた作者の名前も刻んでない。

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仲仙道城山(宮部上)

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大字宮部上、字仲仙道にあつて、土地の人は単に「城山」と呼んでいるけれども「城山」と言う地名は各所にあるので、他と紛れないために「仲仙道城山」と呼んでおく。
 此の山は西北の部分が細くきびれて「桧ヶ仙」を主峯とする山地につゞいてはいるが、殆んど孤立した山で、一目で「城山だな」と思われる小山である。

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美作の大庄屋めぐり「土居家」(東田辺)

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土居家 土居藤七 西北条郡田辺村 森藩~松平藩
大庄屋まで
 田辺村土居家は、田邑土居家の分家である。田邑村七郎右衛門の三男伊右衛門が、寛文12年(1672)に田邑村に居住したまま田辺触の大庄屋に任命され、田辺触として、6か村石高2489石を所管した。伊右衛門は天和元年(1681)田辺村に移住し、同3年伊右衛門の死去により、河辺村土居家にいた弟の七衛門が名を藤七に改め、2代目となり大庄屋を継いだ。
大庄屋として
 藤七は、元禄11年(1698)、美作国に10万石で入封する松平家に大庄屋及び領民を代表して香山太郎兵衛とともに江戸まで祝賀の挨拶を行っている。藤七は、東一宮中島氏とともに第一次長州戦争に従軍した。『美作の大庄屋、大年寄記』屋号を中屋という。

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物見に伝わる千利休の伝説

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利休屋敷
  上加茂村物見のツエガ谷に在り廣さ260坪、口碑に傳ふ千利休此の地に生れ茶道に長ず。天正9年10月羽柴秀吉因州征伐の時中國より美作に入り高山城を攻め物見を越えて因幡に向ふ。利休この時出でて、供奉せしものなりと。里人古來利休の遺風を慕ひ正月元朝挽茶を用うるを例とす。又利休の異名を物草太郎と曰ひしは物見の一字を冒せしものとなりと。屋敷の一隅に利休の末裔八兵衛の墓あり、墓側に周圍二丈に餘る槻の巨樹あり。明和4年八兵衛が天満神社に記念奉納のため栽植せしものにして八兵衛槻と曰へり。樹は大正2年神社合祀の際伐採せり。(文『苫田郡誌』より抜粋)


千八兵衛の墓
 上加茂村大字物見に在り、自然石にして高さ三尺輻一尺餘刻して圓壽奉冷信士と有り。口碑に傅ふ八兵衛は千利休の末裔にして安永7年5月25日此の地に歿せしものなりと。
(文『苫田郡誌』より抜粋)

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2020 摩尼山 高福寺のアジサイの花

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 2020年8月1日津山市阿波にある摩尼山 高福寺のアジサイの花を撮りました。
遅かった梅雨明があり厳しい暑さが戻ってきたのですが、阿波では時折涼しい風が吹いていて皆さん畑や田圃の畔草刈りに汗を流していらっしゃいました。そんな景色を見ながらふと高福寺のアジサイの花がまだ残っているのか行ってみようと思いやって来ました。着いてみるとアジサイの花はまだ健在で美しい鮮やかな青や白、緑と色とりどりの花を咲かせていました。また、ダリア等の花が美しく咲いていました。 
 本源寺開山天倫玄節大禅師をこの地に勧請し、元和四年(1618)に摩尼山高福寺創建されました。高福寺は創建開山禅師の因縁により、津山城主森家の鶴丸を寺の紋として使用することがゆるされている禅宗寺院です。(2009年の取材

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城西公園(小田中)

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 2020年3月20日の城西公園です。ここはすぐそばを藺田川が流れていて、土手沿いには桜の木が植えられています。毎年、桜の花が咲くころにはとても美しい所です。また、すぐ近くには本源寺や宗永寺があり、西小学校にも近いところにある公園です。遊具も揃っているので幼児から小中学生まで幅広く来られているようです。

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恵日山 興隆寺(鏡野町)

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 当山は養老三年(719)の開基、本尊の大日如来像は行基菩薩の作と伝えられます。眉間の白毫より恵日の光明が虚空に遍く満ちゆくのを見て、恵日山と号します。
 天文二十二年(1553)十月二十六日、飛び火の災により消失。永禄二年(1559)三月二十一日、中興光阿上人により再建されました。
 また慶長九年(1604)美作国主・森忠政公より、松平公、明治に至るまでの間、毎年寺領二十石を賜る祈願所でもありました。
 現在も毎月二十八日をご縁日として、息災延命と福寿無量をご祈願致しております。
 また子安大師の由緒ある尊像を安置し、子育ての祈願所としても親しまれております。
(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)(2020年6月7日撮影)

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大ヶ山(阿波西谷)

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 2020年6月21日阿波方面にきたので、ついでに大ヶ山(だいがせん)頂上の標高989.8m(ちなみに那岐山は1,255m)の展望台まで来てみました。車で頂上まで来れるのでいいですね。展望台から雄大な景色を眺めていると、昭和の時代にスキーを楽しみに来たことなどを思い出しました。また、山に詳しくないので調べてみると、天狗寺山、烏山、桜尾山、袴ヶ仙、後山等の山々が見えるそうです。

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東宮殿下御成婚記念橋(西寺町)

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 泰安寺(西寺町)前に架かる東宮殿下御成婚 記念橋を撮影してきました。吉井川支流の「藺田川」(小田中~南新座)に架かる歩行者専用橋です。
 この橋は、大正13年(1924年)に皇太子(昭和天皇)の御成婚を祝して、当時の南新座青年団が発起人となり、近隣の方々の寄附によって造られたそうです。側には東宮殿下御成婚 記念橋」という記念の石碑があり、橋の竣工のために、寄附した方々や世話人の名前が刻んでありました。その世話人の中に、夏木マリさんの、父方の曽祖父中島啓次郎さんの名前があります。(写真:2017年2月4日撮影)

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押渕神社(押渕)

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 押渕神社は、津山市押渕164にある神社です。吉井川に沿って県道26号線沿いの旧道の西側の田んぼに押渕公会堂の案内があり、それを目指していくと駐車場に着きます。(境内には押渕公会堂もあります。)また、社務所内には、綺麗な色の保存状態の良い絵馬が飾ってあります。今回、案内くださったのは神社総代でもいらっしゃる日下英彦さんです。
『岡山県神社誌』によれば旧村社で拝殿と本殿があり、創建年月・由緒等不詳。明治十年三月十三日字寺床より遷座。主祭神は大国主大神、摂末社は日吉神社とありますが、拝殿は見当たりませんでした。(2020年6月24日・29日撮影)

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