2020「縁起年の瀬市」
2020年12月19日(土)ソシオ一番街で「七福神もちつき縁起年の瀬市」をはじめ、盛りだくさんのイベントが開催され、久しぶりに多くの方が来られて賑わっていました。
午前11時から美作国七福神霊場会の僧侶による法楽、餅つき、銭太鼓の演奏、午後1時からは太極拳、大道芸、太鼓のステージなども。その他「手作りマルシェ」や津山ホルモンうどんも出展して会場は大盛り上がりでした。
2020年12月19日(土)ソシオ一番街で「七福神もちつき縁起年の瀬市」をはじめ、盛りだくさんのイベントが開催され、久しぶりに多くの方が来られて賑わっていました。
午前11時から美作国七福神霊場会の僧侶による法楽、餅つき、銭太鼓の演奏、午後1時からは太極拳、大道芸、太鼓のステージなども。その他「手作りマルシェ」や津山ホルモンうどんも出展して会場は大盛り上がりでした。
令和2年度津山洋学資料館冬季企画展「仁木永祐と籾山黌をめぐる人々」
会期:令和2年11月28日(土)~令和3年2月21日(日)津山洋学資料館 企画展示室(津山市西新町5)
津山市街の北方、籾保の丘陵に、高さ4メートル程もある、大きな石碑があります。この石碑は、江戸時代後期から明治時代にかけて、この地で医療や教育、政治に尽力した医師 仁木永祐を顕彰するため、門人や地域の人々によって建立されたものです。
永祐は1830(文政13)年に下津川村(現在の津山市加茂町下津川)の中庄屋 豊田伊兵衛の四男に生まれました。江戸や大坂へ遊学して洋学と漢字を学び、籾山村(現在の津山市籾保)の医師 仁木隆助の養子となって地域医療に尽力。明治時代には自由民権運動にも参加して「美作の板垣退助」と呼ばれました。
大字南方中長谷の出雲街道から寺岡に渡る橋のたもとに地神石の傍らに二本の柳の木があった。
昔、出雲の国の人で観音様に深い信仰を持った男が、諸国の霊窟(神仏を祀った神聖ないわや)をめぐるためにこの地を通過した時、この地で柳の枝を折って箸にして弁当を食べた。この男はその頃脚気であろうか脚疾をわずらっていた。食事を終わった男は箸をこの地に植えて。「これからの長旅を控えてこの脚の病に苦しんでいるが、どうか観音様のご利益によって、目的の霊場の場巡りを終えこの地に帰ったところ、かの箸は枝葉よく茂り巨木となっていたので「二つ柳」と名付けた。
また、この街道は伊勢参宮の道で、昔伊勢参宮の姉と弟の二人が柳の箸を作って食事をした後でその箸を地に挿し、「残るとや、かげも形もみえねども」と姉がくちずさめば、弟がすぐにそれを受けて、「いつの世にまでものこれ木の箸」と歌をよんだそうで、その二本の箸が二本の柳になった」のだ、ともいわれている。『久米町史』より
・道しるべ 西側の小さい石碑 出雲街道の表示
・材木供養塔 中央の碑
・一畑薬師 東側の碑
「昔、目の病が流行り、早く治るようにと願い、人畑薬師様に参拝した。
今後この様な病気が流行らないようお願いをし、また薬師如来を勧請(神仏の分霊を請じ迎えて祀ること)し、碑を建てた。地区では毎年7月に地域の人が集まって、円光寺さんに拝んでもらい、いつのころか始まったかは不明。
2020年11月8日、「出雲街道 勝山宿の会」主催で、つながる「出雲街道」を歩こう会の特別企画第二弾(大井西の会と共催)で、津山市中北上~宮尾間を歩いてきました。実際に歩いてみないと細かなところまでは分かりませんが、資料を片手に歩いたところを紹介してみます。
このページでは、坪井下の馬頭観音のイボ神様・念仏供養塔・六体地蔵様です。すぐ近くには餝摩津(しきまず)斉七塚・鶴亀神社(鶴坂)・鶴坂神社等があります。
2020年12月5日、津山市中北上ある曹洞宗澤龍山 少林寺の境内に飾られたイルミネーションを見に行ってきました。着いてみると先に見学に来られた方々が「わぁ~きれい!」と歓声をあげておられました。
このイルミネーションは、喬松小学校3年生が自ら考えた地域貢献プロジェクト「地域を明るくしようプロジェクト」だそうです。イルミネーション・花ロウソク・竹灯籠を点灯して、みんなの心を和ませたいと、児童と地域とお寺が連携して一緒に手作りした灯だそうです。コロナ禍の世の中で人々の心が暗くなりがちですが、拝見して心がほっこりしました。ありがとう。
前回組んだ田熊の謎の石碑の後、2020年9月27日「出雲街道を歩こう会」に参加したのをきっかけに、勝央町文化財保護委員長の赤木耕三さんに、「我が家の山の中に、大きな石碑があるんだけど解らないから気になって仕方がない。」と相談したところ「そりゃ~解明せにゃ~いけんじゃろ。」ということになり、10月10日に赤木さんが現地に来て判読してくださいました。この時は判読できないところが少しあったそうで、再度12日に来てくださって「完全に判読できた。」と赤木さんから連絡が入り、喜び勇んで現地に行き説明を聞きました。(その後も何度か足を運んでいただいたそうです。)
正保4年(1647)8月に建てられた供養碑であること、南無妙法蓮華経 日心院宗有 施主 ニ木宗一〇尉であることが確認でき、福栄山寿林寺2代目の住職が祈祷、二木氏が施主であることが分かりました。
津山市宮部上の黒田家について
太田亮著「姓氏家系大辞典」第2巻(1963年初版、角川書店)によると、「美作の黒田氏」の項に、次の記述がある。
「久米郡宮部上邑に黒田氏あり。前述高満の嫡孫右近大夫高政備前邑久郡福岡村に移り、其の三男源三郎定隆宇喜多家に仕ふ。その嫡孫定重に至って、天正七年(1579)五月、久米郡宮部に土着す。其の子忠朝より以降、或は中庄屋、または里正を勤むと云ふ。又英田郡山外野、倉敷等に黒田氏あり。」
2020年11月22日の午後から奈義町にある菩提寺の大イチョウの紅葉を見に行ってきました。
先の台風で大けがをした大イチョウ、少し痛々しい姿ですが紅葉は進んでいました。この日も沢山の方が紅葉した大イチョウを見に来られていました。また、境内のモミジが色とりどりに色づいてとても奇麗で、皆さん盛んにシャッターを切っておられました。
2020年11月8日特別企画(第2弾)「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会(第6区)」に参加してきました。久米ふれあい学習館をバスで出発、岩屋城麓に着き簡単な説明を受け徒歩出発しました。約4時間ほどかけて無事久米ふれあい学習館に戻ってきました。
出雲街道とは、播磨の国 姫路を発し、出雲の国 松江に至る約215kmの古道を言う。また、終点は松江を過ぎ、出雲大社とも言われている。
今回は「つながる出雲街道(東部Ⅱ)」を歩こう会より、特別企画 第2弾として、大井西の会の応援を得て、共催で開催されました。津山市・中北上~同・宮尾間7.8km(実質9.0km)